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幕間6.「雨と廃人」

 さて、諸君にこれよりお見せするのはウェルチ氏の亡くなった日のことだ。時刻は夕。あの温厚なる紳士が息を引き取ったのはその日の早朝である。すでに埋葬は済んで、各人が哀しみに暮れているさなかだ。


 舞台は邸の庭。ウェルチ氏が晩年を過ごした小屋の前。


 その日は雨だった。




『オブライエン……風邪を引くよ』


 どうだね。まるで屍のようじゃないか。小屋を背にして、虚ろな表情、虚ろな目。この微動だにしない青年は、ご承知の通りオブライエンだ。


 彼は朝からずっとこの調子だった。昨晩から容体が急に悪化したウェルチ氏を心配して早朝から庭に出ると、今の状態の彼を発見したのだ。そのときからすでに、小雨が物静かに大地を濡らしていたことと思う。


 オブライエンは朝の時点ですべてを話してくれた。ウェルチ氏を延命させるために、まだ(あら)の残る魔術を試したこと。結果としてウェルチ氏が亡くなったこと。


『……君が懸命だったことは、家族の誰もが理解しているはずだ』


 すまないが、ここから私の視線はほとんどオブライエンを(とら)えないだろう。彼の隣に腰かけて、ただただ彼を励ますだけだ。このときの私は(から)っぽになってしまったオブライエンを直視するだけの勇気がなかったのだよ。


 先ほど私が口にした言葉は、決して嘘ではなかった。オブライエンがウェルチ氏を愛していて、なんとか命を繋ぐために魔術を使ったのだということはちゃんと理解していたのだ。ただ、想いがどうであれウェルチ氏を死に追いやった事実は変わらない。だからこそ奥様もメイドたちも庭師も、オブライエンにいくつかの言葉をかけただけでそそくさと引っ込んでしまったのだ。オブライエンがこの場から動こうとしないため、埋葬は彼抜きで行われた。


 こうして私がしつこく声をかけていることも、正解なのか不正解なのかは分からない。今でも、この瞬間における道義的に適切な態度とやらが私には不明だ。


『ウェルチさんのことは、本当に残念に思う。すべては病が悪いんだ』


 事実として、ウェルチ氏の容体が変わらぬままであれば、このような事態は起きなかっただろう。おそらく、オブライエンは五年の準備期間を想定していたのだ。一年かけて理論を練り上げ、これから四年のうちに検証や修正を重ねていくつもりだったに違いない。


 オブライエンのやったことは前例のない試みだった。


 ウェルチ氏の病は、肺の機能不全を引き起こすものである。酸素の吸入および二酸化炭素の正常な排出が妨げられる、といった程度でご理解いただきたい。そこでオブライエンは、呼吸の果たす機能自体を魔術で(まかな)い、呼吸そのものが不要になれば病のもたらす不利益からも解放されると考えたようだ。


 オブライエンの理論はこうだ。呼吸なくして血液の状態および機能を健全に(たも)つべく、血液自体に状態保全および自浄作用の魔術を(ほどこ)せばいい。


 考えとしては悪くない。それが実現出来れば、だが。


 人間の身体を大小様々な無数の血管が走っていることは、オブライエンも知識として把握している。彼は歴史や統治には興味を見せなかったが、生物学には魔術と同じ程度の興味を示したのだ。特に人体構造については、わざわざラガニアから専門書を取り寄せてくれとせがまれたほどである。


 人間の肉体には高度な機能群が詰まっている。彼もちゃんとそれを分かったうえで、不可能ではないと判断したに違いない。


 容体急変により、理論を実践せざるを得なくなった。まだ(ろく)に検証もしていないうちから、たった一度きりの本番の舞台に立たせられたのだ。


 結果は諸君もお察しの通り、大失敗だった。ウェルチ氏の血管は過度の魔力注入により破裂し、皮下は赤黒く変色し、膨張した。オブライエンはなんとかウェルチ氏をもとに戻そうとしたのだが、それも無理だったらしい。時間を巻き戻すことは出来ない。それに近いことをするならば、破裂した血管をすべて修復し、皮下にたっぷりと溢れた血液を正常な状態で血管へと戻し、一度は停止した心臓を再び動かさなければならない。そんなことが出来る魔術師は世界にひとりも存在しないだろう。


 かくして、オブライエンはすべてを諦めて小屋の前で廃人じみた姿を見せるに(いた)ったのである。


 早朝、小屋を訪れた私が目にしたのは、床に散乱したおびただしい量のメモ類と、直視に堪えないウェルチ氏の死骸である。メモはすべて、オブライエンが記した魔術の理論類だ。順序だててまとめ上げれば、ラガニアのエリート魔術師を震撼させるほどの大論文になったろう。


『……オブライエン。今は辛いだろうが、君は生きなくちゃならない。生きて偉大な魔術師になるんだ』


 これもまた、当時の私にとっては本心からの言葉だった。もし彼が罪人として扱われそうになったら、すべての罪を背負ってでも私が犠牲になろうとまで思っていたものだ。


 なに、別段綺麗事ではない。ただの功名心だ。オブライエンの才能は魔術を発展させる大いなる希望だと本気で思っていたのだよ。そのために犠牲になろうだなんてのは、やはり見栄だ。


 おや、邸の玄関が開いたな。誰かと思えばスタインだ。随分と(いか)めしい顔をしているだろう? 彼も複雑な心境なのだ。


『オブライエン』


『……』


『目を合わせろ、オブライエン』


 このとき、オブライエンがちゃんとスタインを見つめたかどうかは定かではない。なにしろ私は、廃人じみたオブライエンに一瞥(いちべつ)も与えなかったのだからな。


『……お前は親父を殺した』


 どうだね。ぎょっとしてしまうほど熱の籠った言葉ではないか。このときの私がスタインから目を離せずにいた理由も分かるだろう。


『同時に、お前は親父を救おうとした』


『……』


『俺はお前を許さない』


『……』


『それと同じくらいの気持ちで、お前を尊敬する』


 私はこのとき、彼がオブライエンに感じていたのと同じものをスタインにも感じたよ。つまり、敬意だ。


 十七歳の少年とは思えないほど真摯(しんし)な言葉じゃないか。しかも、愛する父が死んだその日に言っているのだからなおのこと響く。


 しかしだ。オブライエンはなんの反応も示さなかった。ただ黙って、死んだように身じろぎひとつしなかった。雨に湿った呼吸だけがやけに耳につくだろう? あるのはただそれだけだ。


 この日からオブライエンは、ずっと庭で同じ姿勢を続けていた。


 さて、二週間後の場面へ飛ぼう。




 窓越しに小屋とオブライエンが見えるだろう?


 私に与えられていた部屋は、ちょうど彼を見下ろせる位置に窓があった。幸か不幸か、ね。


 空は快晴だが、小屋の影になったオブライエンはちょうど、人知れず死んでいるみたいだね。しかし、生きている。あれ以来飲まず食わずなのだが、ちゃんと生きている。毎日私が彼に近付いて確認しているから確実だ。


 私も家族の皆も、日々オブライエンを気にかけていたし、邸に戻ってまともな生活を送るよう説得もしていた。しかし、ただの一度も彼は反応を見せなかった。無理やり動かそうとしても駄目だ。まるで貼りついたようにそこから動かないんだ。かくいう私も魔術で移動しようと試みたのだがね、効果がなかったよ。いつの間に魔術解除なんて覚えたのか……。


 さて、ご注目。今、門のあたりをうろうろしている子供がいるだろう?


 四歳くらいの女の子だ。


 あたりに誰もいないことを確かめて門を(くぐ)ったね。こうして私が覗いているなんて彼女は知らなかっただろう。


 一目散にオブライエンのところを目指して――なにかを置いたね。なんだと思う?


 ただの食糧だよ。今日は芋だね。


 ああして毎日オブライエンに食べ物を持ってくるんだ、あの子は。一年前に道でオブライエンと()れ違い、ひと目で恋に落ちた夢見がちな子供さ。憧ればかりを膨らませていたんだろう。廃人じみたオブライエンを見ても物怖(ものお)じしないあたり、(しん)も強いらしい。


 彼女の名はジュリア。のちにオブライエンに臓物を抜かれ、不死者になる人間だ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』

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