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幕間5.「病魔」

 無期限の契約延長が私にとって幸福であったことは今さら言うまでもあるまい。この平和な田舎町で過ごす日々に、私は途方もない満足を感じていたのだから。


 (なぎ)のように穏やかな空気のなかで、二人の子供――才能あふれるオブライエンと、まだ見ぬ世界への野心を燃やすスタインを教育するというやりがい。私は確実に満ち足りていた。


 契約延長が決まって五年。私たち疑似家族はそれまで通り、平穏で刺激的な毎日を送っていた。


 緞帳(どんちょう)を上げよう。




『ウェルチさん……』


『ああ、ラルフか。心配をかけてすまないね。ここのところ具合が悪くて……けひっ……けひぃっ』


 ベッドに横たわるウェルチ氏が諸君の目に映っていることだろう。あの福々しい顔にも陰りが見える。


 ひと月ほど前から、ウェルチ氏はベッドから起き上がれなくなってしまったのだ。ラガニアから呼びつけた医師によると、どうやら肺を病んでいるらしい。今のところ治療の見込みはなく、朝夕の薬で容態の悪化を抑えている状況だ。むろん、薬はラガニアから定期的に取り寄せるほかない。代金はと言うと、『いずれ請求します』と妙なことを言っていたが、ウェルチ氏はそれで承諾した。


『けひ……けひっ……』


『ウェルチさん、お水を』


『ありが……けひっ……とう』


 妙な咳だろう。死神の笑い声のようではないか。温厚なウェルチ氏に似つかわしくない、ひどく不吉な音色だ。


 この状態が今後死ぬまで続くと医師は診断した。余命は長くとも五年程度だという。


『ラルフ……けひ』


『なんでしょう、ウェルチさん』


『オブライエンと……けひぃ……スタインは……けひ、けひ、かは……君に迷惑を……ひぃ……かけていないかね?』


『ご安心ください。お二人とも相変わらず熱心に勉強しておられますよ』


 肺を病んでからというもの、ウェルチ氏は二人の息子を自分から遠ざけた。万が一にもうつってはならないと考えてのことだ。医師は感染を否定したが、ウェルチ氏の不安は拭えなかった。


 ウェルチ氏と顔を合わせなくなってから、スタインとオブライエンにも陰が落ちたように思う。おおむね態度は変わらないものの、ふとした声や一瞬の表情に父への心配が(にじ)んでいたのだ。


『……それでは、失礼します』


 私もまた、この頃は塞ぎがちになってしまっていたようだ。仮にも教育者であるゆえ、表には出さないよう意識していたのだが……足取りの重さは視界の推移(すいい)からも分かるだろう。


 ドアを開けた先で、ウェルチ氏の邸が見えたことを諸君は奇妙に思ったかもしれない。なんのことはない。ウェルチ氏は庭に小屋を作らせて、そこで過ごしているのだ。意図を確かめはしなかったので定かではないが、感染を恐れてのことだろう。あるいは、奇怪な咳をなるべく誰にも聞かせまいとしていたのかもしれない。いずれにせよ物悲しい配慮だった。


 さて、(ひさし)の影になって分かりづらいかもしれないが、邸の玄関口で(たたず)む男に気付いているかね。五年という月日でこうも精悍(せいかん)に変わるのだから、子供というのは不思議なものだ。最初に出会ったときから数えて八年が経過している。もう彼も十六歳だ。


『どうしたんだい、スタイン』


『親父の容体は?』


 声もすっかり低くなっているし、口調も重々しいだろう?


 それに、父のことを親父だなんて呼ぶようになったのは大きな変化かもしれない。


『相変わらずさ』


『……そうか』


『オブライエンはどこに?』


『知らん。どこぞの娘でも口説(くど)きにいったんだろう』


 スタインの口にした言葉は決して冗談ではない。太陽を克服してからというもの、オブライエンは積極的に外出するようになった。多感な年齢だったからだろう、当たり前のように恋をし、浮ついた噂がほうぼうから聞こえるようになったのだ。そのどれもが醜聞としてではなく恋多き美青年の(たわむ)れとして語られているのだから、それなりに上手くやっていたのだろう。


 ウェルチ氏が何度かオブライエンをたしなめるのを見たが、決まって『これまで味わえなかった外の世界を楽しんでいるんだ』という切り返しでおしまいになってしまう。


『噂をすれば、だ』


 スタインが苦笑いするのも無理はない。さあ、振り返ってみよう。


 燦々(さんさん)と降り注ぐ真昼の日差しのなかをゆく、線の細い男。白というより銀に輝く髪を腰のあたりまで伸ばしている。そしてなにより格好だ。シャツのボタンをいくつも外して歩く優美な乱れっぷりときている。


『ごきげんよう、ラルフ先生。今日もいい天気だね』


『やあ、オブライエン。デート帰りかい?』


『嫌だなぁ、ただのピクニックだよ。さ、そろそろ授業の時間だよね?』


 遊んでいるように見えて、オブライエンはこれまでただの一度も授業を休んだことはない。才能に陰りが見えたことすらない。彼はその天才性を一切損なうことなく、こうして優雅な日々を送っているのだ。


『それじゃ、今度は俺が散歩に行ってくる』


 スタインは相変わらず魔術を学ぼうとはしない。それ以外の学問に夢中なのも相変わらずだ。


 オブライエンと同じく、この頃スタインもよく出歩く。といっても、こちらが魔術の授業をしている間のことではなあるが。


 オブライエンが婦女子を(とりこ)にしているように、スタインも町の男衆の信頼を勝ち得ていた。以前のウェルチ氏と同様、農園を回っては農夫と一緒になって汗水を流したりだとか、相談を聞いたりしているそうだ。ときには若者たちを集めて、なにをするでもなく町外れをぶらぶらしていることもあるらしい。彼(いわ)く、『それも必要な時間』なんだと。


『先生。お父様はあと何年生きられるだろう』


『医師が言うには、長くとも五年らしい』


 本来は伝えるべきではないことだが、私は迷うことなくそれを口にしていた。この青年に、なにか奇跡めいたものを期待していたのだろう。


『魔術で人の寿命を延ばせないかな』


『オブライエン……さすがにそれは無理だ』


『どうして?』


『人は魔力で生きているわけじゃない。血液や臓器の働きで生きていて、それらは魔術によって(まかな)える機能ではないからだ』


『……たとえば臓器の各機能を()した魔道具があれば、不可能じゃないと思うけど』


『仮に心臓なら心臓、肺なら肺の機能を充分に備えた魔道具を作れたとして、それらを連動させるのは困難だろうね。個々の機能を有した魔道具を作り上げるより、連動のほうが難しいんだ』


(もと)になった魔術が異なるから、だよね?』


『そうだ』


『そっかそっか……。ふたつやみっつくらいの魔道具なら、連動のための機構を組み込めそうなものだけれど、臓器全部だと確かに厄介そうだね』


『だから、不可能なんだよ』


 (じつ)のところ理論上は可能だ。各魔道具を連動させることも、生命活動に必要な機能を担わせることも不可能ではない。ただ、それを通常の人体のサイズで行うのが非現実的なだけの話である。


 それよりも私は、病の駆逐こそオブライエンに期待していた。彼ならば画期的で完璧な方法を考え付くのではないかと。


 ただ、ついぞ彼の思考がそちらに向かうことはなかった。生命を延長することこそ、彼の興味の範疇(はんちゅう)だったのだろう。


 実を言うと、このときのオブライエンはまだ魔術師としては私よりも下位の存在だった。高度な知識は呑み込めても、実際的な能力は遠くおよんでいない。


 オブライエンはもしかすると、自分の力を過大評価していたのかもしれない。だからこそ、あんなことを仕出かしたのだろう。


 ウェルチ氏が亡くなったのは翌年のことだ。病死ではない。


 オブライエンが死なせてしまったのだ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて

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