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幕間4.「光の海に立って」

『スタイン坊ちゃんもオブライエン坊ちゃんも、熱心に勉強しておられるようで……ラルフさんにお越しいただいて本当に感謝しております』


『いえ、お二人とも非常に優秀で、僕も日々成長させていただいております。それに、お二人がのびのびと勉学に励むことが出来るのは、アンジェラさんはじめ使用人の皆様方のご尽力の賜物(たまもの)かと』


『お上手ですわ、ラルフさん』


 さて、ご覧いただいているのは応接間でのひと幕である。メイド長アンジェラと家庭教師ラルフの胸襟(きょうきん)を開いた牧歌的対話だ。


 諸君にとって、アンジェラと出会ったのはつい数刻前の出来事だろうが、すでに三年の月日が経っている。彼女もそろそろメイド長を()して、ほかに家庭を持ちつつ通いで働くか、あるいはすっぱりと辞職するかといった年齢だ。現に翌年、彼女は農夫と結ばれて邸を去ることになる。


『もう三年になりますか。早いものですね』


『ええ。あと一週間で契約も満了となります』


『寂しいですわね』


 ウェルチ氏から契約延長の話は出ていない。このまま時間が過ぎれば、私はお役御免となるわけだ。どうやら水面下でスタインとオブライエンが直訴(じきそ)しているようだが、ウェルチ氏は首を縦に振らないらしい。


 ウェルチ氏が期待しているのは、たったひとつの無理難題だ。それを今日まで実現していないのだから契約終了も仕方ないことではある。


 三年という月日を経ても、私はラガニアが恋しいとは思っていなかった。むしろ、余計にこの地に執着している自分に気付き、そこはかとない胸の痛みを覚えたりもしたものである。


 私が契約満了について、ウェルチ氏と直接交渉しなかったのは、この邸の柔和な主人を最後まで尊重したいと思っていたからだ。解雇が彼の判断であるのなら、快く呑もうと決めていたのである。この地を愛することが出来た背景には、ウェルチ氏の寛容で手厚い優しさがあったからだ。この地での思い出の最後に、惨めな敗残の記憶を挿し込むことを私はよしとしなかった。


 惜しむらくは、オブライエンの才能だ。彼はこの三年で、本当に目覚ましいまでの成長を遂げた。私に可能な魔術の多くを彼は習得してみせたのである。教科書として与えた分厚い初級魔術書はとっくに読破し、中級魔術書、応用魔術書、果ては近年ラガニアの魔術界隈に流行している『魔道具』の理論を解説したものまで読了済みだ。高度な魔術については、さすがに実践は出来ないもののロジックは把握している。私の知る限り、水も漏らさぬほど完璧に。


 遠からず大魔術師になるであろう逸材なだけに、彼のそばを離れるのはなんとも惜しかった。


 そう、この頃の私には少なからず功名心もあったのだ。田舎暮らしをしながらも、世界一の魔術師を育て上げてラガニアにひと泡吹かせてやれたなら、どれほど気分のいいことか。特に魔術学校の教授のお歴々は目を剥いて地団太を踏むだろう。


 とはいえ、それをダシにしてウェルチ氏の邸宅に居座るのも潔くはない。


『そういえば、最近のオブライエン坊ちゃんのご様子なんですが……』


『ええ、随分ぼうっとしていらっしゃいますね』


『この間お部屋を掃除したときには、なんだかぶつぶつ言いながら、こう、天井を見上げていたんですの』


『考え事をしていたのかもしれませんね。なにしろ利発ですから。授業中もよく質問されますよ。はじめの頃は、空を飛べるの? とか、大きい岩を浮かせたりも出来るの? とか、可愛らしい質問ばかりでしたが、いやはや、この頃は高度な質問が多くて私も一緒になって考え込んでしまうことがあります』


 事実、オブライエンの質問には簡単に答えられなくなっていた。魔道具は使う者の魔力を吸い上げて効力を発揮する仕組みになっているが、空気中を漂うごくごく微量の魔力を集約して全自動、半永久的に効能を発揮出来る魔道具は可能か、なんて聞かれたときにはほとほと困ってしまった。まず、魔力を充分に集約する機構から考えなければならないし、その際の環境影響がどうなるかも不明だ。


 魔力を集約する機構を開発し、それを魔道具に組み込むことが出来れば可能。なおかつ、環境影響が無視可能なレベルか、あるいは問題があるとしても充分にクリア出来るのならば一般化も無理ではない、という、(なだ)めすかすような答えでなんとか(しの)いだものだよ。


 おや、ノックの音がするね。振り返ってみようではないか。


『……! オブライエンじゃないか。どうしたんだい? というか、大丈夫かい!?』


 見るからに体調が悪そうだね。目の下には(くま)。足取りは覚束(おぼつか)ない。


 これはあとから聞いた話だが、彼はこのところ一睡もせずに魔術を考えていたらしい。


『ラルフ先生、アンジェラさん。見せたいものがあるんだ』


 さて、暗転だ。そしてこれが、私の運命を決めた一事でもある。


 さあ、幕が上がる。




 この視界いっぱいの白い光がなんなのか。すぐに分かる。


 よく刈り込まれた芝。空の青。今は真昼で、遮るもののない日差しが強烈に降り注いでいる。


 玄関先で陽光を浴びているのは、そう、オブライエンだ。


『オブライエン! オブライエン!!』


 ウェルチ氏が慌てて外へと飛び出したのは無理からぬことだ。突然息子が使用人を含めて家族全員を呼びつけたかと思うと、一目散に玄関へと駆け出し、そのまま外へと足を踏み出したのだから。


 光の洪水に晒されて、しかしオブライエンは笑顔だ。


『大丈夫だよ、パパ。嗚呼(ああ)、あったかいなぁ』


『お、お前、大丈夫なのか!?』


『うん、平気』


 このとき私は、オブライエンの表皮を包む微弱な魔力の(まく)を、確かに感じ取っていた。


 実に感動的だったよ。彼は、私が不可能と決めつけた問題を見事にクリアしたのだ。


『オブライエン! 本当に平気なのか!? これから一緒に外で遊べるのか!?』


『うん。これからはスタインと好きなところに行けるんだ』


 見たまえ、この兄弟愛を。スタインは心の底から喜んでいる。彼の顔には嘘がない。素直な子だからね。


 ああ、ウェルチ氏は泣き出してしまったね。奥様もだ。おや、使用人たちも全員。すまないね、少し視界が見苦しいだろうが、私もこのときばかりは泣いてしまったんだ。でも安心してほしい。視界はずっと、オブライエンを捉え続ける。涙を拭くなんて考えつかないほどの驚きと感動に満たされていたのだから。


『全部ラルフ先生のおかげなんだよ、パパ。これからもずっと、先生に色んなことを教えてほしい』


『ああ、ああ、そうだなオブライエン……。ラルフさん。どうかお願いだ。これからも息子たちの面倒を見てやってほしい。期限は決めない。もし許されるのなら、貴方を家族と呼びたい!』


 これは少し鼻白(はなじろ)んでしまうね。でもウェルチ氏の感動は混じりっけなしだ。彼はそういう男なのだ。


 このときの私がどれだけ感動したかは、説明不要だろう。オブライエンは夜も眠らず、繊細微妙(せんさいびみょう)な防御膜を習得したのだ。自分のためではなく、私のために。


 いつ彼が太陽を克服する(すべ)を思いついたのかは不明だ。あとになって聞いてはみたが、可愛らしく『内緒』とはぐらかされてしまったよ。


 ただ、仕組みは教えてくれた。呼吸のたびに魔力を肌に送り込むそうだ。とてもじゃないが意識してやるには負担が大きいため、自分自身に暗示をかけることで成功したらしい。


『頭も、魔術でいじくれるんだね』


 そんなことを言っていたのを思い出すよ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』


・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて

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