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幕間3.「スタイン」

 無き等しいほどの魔力量しか持たなかったオブライエンが魔術をかたちにした一方で、スタインにはなんの進展もなかった。


 それも当然で、彼は私の魔術教育を完全に拒否していたのだよ。それとなく教えようとしても、すぐに(さっ)して耳を(ふさ)ぐかどこかへ遊びに行く始末。


 とはいえ、決して険悪な仲ではなかった。スタインはよくラガニアのことを私にたずねたものだ。街並みだとか生活模様だとか話してやると、身を乗り出して目を輝かせたのを覚えている。


 さあ、緞帳(どんちょう)を上げよう。オブライエンがはじめて魔力球を生み出してから半年後――私が辺境の地グレキランスに足を踏み入れてから一年後のことだ。




 ランプに照らし出された簡素な小部屋。耳を澄ませば窓越しに北風の(うな)りが聴こえるだろう。ご覧の通り今は夜で、時刻は間もなく零時になる。


 ここはウェルチ氏から与えられた私の寝室(けん)、書斎だ。棚に詰まっているのはラガニアから持ってきた書物の数々で、はじめからこの邸にあった本ではない。そもそも本自体、この邸にはほとんどない。辞書と辞典と、それから小説がいくつか。いずれもウェルチ氏がラガニアから個人輸入した物で、埃をかぶった年代物ばかり。


 とまあ、些細(ささい)なことを説明してしまったが、諸君の関心がどこにあるかは分かっている。


『うぅ……うっ……えぐ……う』


 ベッドに腰かけて泣く少年。髪の色ですでにお分かりかと思うが、スタインだ。


 彼は私が家庭教師として赴任してから、一度も涙を見せたことなんてなかった。どんなに叱られても飄々(ひょうひょう)とかわすか、笑い声を上げて逃げ出すか、あるいは真正面から言い返すのが常である。


 そんな彼が、夜半に私の部屋をノックし、入るや否やこうしてベッドに座って泣き出したのである。この場面を見られたらちょっと誤解されかねないとか、そんなことを私は考えていたはずだ。今となっては遠い昔のことだがね。


『紅茶を飲むかい、スタイン。アンジェラさんにもらったんだ』


 彼の頷きを待って、私は紅茶を()れる。こんなとき、魔術は実に便利だ。茶葉をカップに入れて、それから湯を注ぐ。手のひらから、ね。そして数分蒸らしてから葉を取り除く。あとは棚の砂糖をひとつまみ入れれば完成。


 どうだろう。諸君らにとって魔術は、このように生活的な代物だろうか。そうであってほしいと願うが、(はなは)だ自信がない。


『どうぞ』


『うぅ……』


 泣き止んではきたものの、まだ落ち着いてはいないようだ。そら、彼の目からカップへ雫が落ちる。


『スタイン。思い切り泣くといい。君のように意志の強い男の子だって泣きたくなるときはあるからね。僕でよければ、いつだって(かくま)ってあげるよ』


『ら、ラルフはさ』


『なんだい?』


『ま、魔術師に……ぇぐ……なるときっ……誰にも、反対、されなかった?』


『……反対されたよ。大変だからやめとけってね。両親(そろ)って言うんだ』


『それで、どうしたの?』


『必死で勉強して、本気だってところを見せつけたのさ。そうしたら、もう反対しなくなったよ。口で言うより行動で示したほうが説得力があったんだろうね』


 はは。どうだろう、この(よど)みのない嘘は。


 私は反対されるどころか、両親が魔術師の家系だったもので、ほとんど選択の余地のないまま魔術学校に通いはじめたのだ。そこで秀才扱いされるにつれて級友から妙な嫉妬や嫌がらせを受けるようになってから、馬鹿々々しくなって退学したわけだが。


 まあ、私の話はどうでもいい。


『俺は……』


 まだ涙の名残はあるが、だいぶ落ち着いてきたようだ。さあ、彼の悩みを聞こうではないか。


『うん、なんだい』


『俺は、ラガニアに行きたい』


『へぇ。いいんじゃないかな。でもどうして?』


『向こうには俺の知らない世界がある』


 笑ってはいけない。この年頃の少年にとって、隣町はもう別の世界みたいなものだ。


 遠く隔たった地。今自分の生きているこの土地よりずっと賑やかで、進歩的で、発展しており、多様な場所。それを夢のような世界だと感じて、いつか見てみたいと思うのは自然なことだ。


『ウェルチさんに反対されたんだね?』


『……お前は跡継ぎになるんだ、って。だからグレキランスから離れちゃいけない、って』


 ウェルチ氏の言いそうなことだ。非常に穏やかな好人物ではあるものの、彼の思考はどこまでもこの地に根差している。オブライエンを後継ぎとして考えることが出来ない以上、なんとかしてスタインを後継者に仕立てなければならないと思っているのだろう。


 このときの私は、少々焦りを感じていた。


 もし私という存在がスタインにとって悪影響であると判断されたのなら、すぐに解雇されるかもしれない。私はすっかりこの土地を気に入っていたのだが、ウェルチ氏にお払い箱にされてまで居座ることは難しい。ラガニアという都市で神経を擦り減らす生活に戻らねばならないと思うと、身震いしてしまう。


『ウェルチさんは君に期待してるんだ』


『……分かってるよ、そんなこと』


 スタインの瞳に、少しの敵意が浮かんだのを見ただろうか。


 きっと彼はこう思ったに違いない。お前もお父様の味方で、俺の敵なんだ、と。


 しかし、事実は違う。ウェルチ氏の機嫌を損なうわけにもいかないのだが、それ以上に私は彼の意志を尊重してやりたかった。


『こう説得したらどうだろう。良き統治者になるためにも、外の世界に触れなきゃならない。それがこの町を発展させる鍵になる、とかね』


 スタインの顔を見てごらん。生き生きと輝いているだろう。素直な子だ。


『明日……! 明日話してみる!』


『僕も同席しようか?』


『ううん、俺ひとりでやる。ラルフに迷惑かけたりしない』


『君は立派だよ。本当に』


『これからもっと立派になってやるよ。おやすみ、ラルフ』


『ああ、おやすみ』


 眩しい子だ。憧れを実現しようとする行動力に満ち溢れている。


 さて、彼の顛末についてはくどくどと述べるまい。


 彼は父親の説得に失敗した。癇癪を起こして大喧嘩になる前に、こっそり魔術で覗き見ていた私が無粋(ぶすい)にも割って入ったのだ。


 結果として、すぐにラガニアへ行けるという話にはならなかったが、今後、視察目的で旅に出てもかまわないというところまで説得は出来た。ただ、成人して伴侶(はんりょ)を見つけてからという大きな制限はあったが。


 スタインはもちろんがっかりしていたが、未来永劫この土地から一歩も出られないという不幸は脱したのである。


 それからというもの、スタインはよく相談してくれるようになった。寝る前の一時間、私室で彼とともに過ごした日々は、それなりに楽しい記憶だ。


 魔術こそ学ぼうとしなかったものの、彼はラガニアの歴史や統治システムなどを私にたずねるようになった――というより、魔術を除くあらゆる学問を自分に教えろとまで迫ったのだ。少々手間ではあったものの、彼の人生に期待を抱きはじめた私にとって、それからの家庭教師の日々は充実の一途をたどったことは言うまでもない。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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