889.「一ヶ月」
メロがたったひとり、人魚として戦場に出る。それで誓約書を得ることを卑怯だなんて思わない。彼女以外の人魚は水場しか移動出来ないし、血族と戦えるだけの力も持ってないだろう。ゆえに彼女の宣言は『種族の代表として出来る限りの協力をする』ことと同義だ。
「ありがとう、メロ」
本当に頭が下がる。軽薄そのものの言葉ばかり使っていても、決して彼女の本質まで軽いわけではないのだ。
「いいっていいって~。それじゃウチは退散するから、みんな賢い選択をするといいんじゃね? ギャハハ! じゃあね~」
そう捲し立てると、メロはさっさと床に潜ってしまった。
ゾラは彼女の沈んだ場所を睨み、むっつりと「会合に参加するのなら最後までいるのが礼儀だろうに……人魚め」なんて呟いた。わたしも割と頑固なところはあるけれど、ゾラは比じゃないくらい堅い。
「それで、デビスとサフィーロはどうかしら……?」
ちょっぴり上目遣いでたずねてみる。すると二人は顔を見合わせた。
先に口を開いたのはデビスである。
「即断は出来ん。一度持ち帰って、種族全員で話し合う必要があるだろう。それだけの時間をもらえるか?」
どうだろう。数日なら大丈夫だろうけど、実のところどれほど時間的余裕があるかは分からない。
「え、と……」と言い淀んだわたしに代わって、ヨハンが口を開いた。
「半月以内に返事をもらえれば結構です。戦争は一か月後ですから」
思わずぎょっとしてしまった。なんでそんなこと知ってるの――と思ったけれど、考えてみれば不思議ではない。樹海に来るまでの間に、ヨハンはニコルと会っているのだ。そのときの会話でおおよその見通しがついたのか、それとも直接スケジュールを聞き出したのかは定かではないが、信じるに足る。
「半月もあれば意思決定は出来る。おそらく、ほかの種族も同様だろう。『共益紙』を使っての伝達で事足りるな?」
「ええ」
ほかの種族といっても竜人を除けば、今のところ残るはトロールだけだ。彼らは約束そのものを忘れかねない感じだけれど、信じて待つしかないか。
「それで、竜人はどうするのだ?」とデビスが促す。
サフィーロは目をつむって腕組みをしていたが、やがてゆるゆると首を横に振った。そしてひと言。「審議をせねば」
検討してくれるだけでも希望がある。
こんな流れになったのもメロのおかげだ。本当にありがたい。
「くれぐれも半月以内にお願いしますね」とヨハンが念を押す。
意思確認に半月。作戦の検討や準備に半月といったところだろう。
こうして時間を区切って考えると、途端に現実感が強くなってくる。
王都侵略の日を思い出して、自然と拳を握っていた。二か月後には、前回とは比べ物にならないほどの大軍勢が押し寄せることだろう。そこにはきっとニコルもいて、もしかすると魔王の姿もあるかもしれない。
勝つ。なんとしてでも。
わたしが意思の炎をめらめらと燃やしていると、不意にゾラが口を開いた。
「『緋色の月』の動きについて、詰めさせてもらいたい」
「そうですね。まだ概要程度ですし、差し当たっての障害もあります」と、すぐさまヨハンが返した。
障害……なんだろう。
「オブライエンの居場所は特定しているのか?」
ゾラの疑問に、ヨハンが首を横に振る。「いえ、それはこれからです。半月以内には看破する予定で動きますが、正直どうなることやら……」
あ、っと思って、すぐに口を挟む。
「オブライエンなら王都での面識があるし、アリス――わたしの仲間が彼の拠点まで行ったわ」
「……お嬢さん。そういう貴重な情報はもっと早く教えてください」
だって聞かれなかったんだもん、と返すほどわたしは子供ではない。うっかりしてた。でもまあ、情報共有してくれないのはお互い様だし……。
ヨハンはしきりに顎に触れ、ニヤニヤと性格の悪そうな笑みを浮かべて言う。「簡単にはいかないでしょうけど、ひと月以内には侵入ルートを確保します」
アリスによるとオブライエンの拠点――魔具制御局へは、王都内の各所に設置された『回収箱』という箱から行けるらしい。
「見通しがあるのなら、それで結構だ。刻限に間に合わなかったのなら、俺たちは血族とともに戦場に立つほかないことは理解しておけ」
ゾラは険しい表情で、そう言い放った。
間に合わなかったから戦争参加自体を見送る、というわけにはいかないのは分かってる。彼らは『黒の血族』の利害関係者でもあるのだから。
なにはともあれ、すべきことは決まりつつある。
『灰銀』側の各種族は人間に与して戦争参加するか否かの意思決定を行い、わたしたちはオブライエンの拠点までのルートを探る。
そこまで整理して、ハッとした。
「ヨハン。今聞くことじゃないかもしれないけど……どうしてオブライエンが人間にとっても敵なのか、ちゃんと説明してくれないかしら?」
肝心のところが置き去りになっていたじゃないか。そもそもオブライエンは今のところ王都に全面協力しているわけだし、敵というより味方のイメージが強い。毒食の魔女を殺した以上、個人的には敵としか思っていないけど。
「まあまあ、そう焦らないでください」とヨハンはへらへら笑う。
こいつ……わたし程度はどうとでもなるとでも考えてるんじゃないか。悔しいけど、これまで彼の手のひらの上で踊り続けていた自覚はある。
なんとかヨハンに一撃を入れてやるために頭の中で言葉を捏ね繰り回していると、意外にもゾラが声を発した。
「オブライエンについて知りたいのなら、絶好の材料がある」
「絶好の材料?」
ゾラがクロに目配せをする。すると黒毛のケットシーは小さく頷き、足早に広間を出て行った。
「本来なら俺だけで確認するつもりだったが、この地にいるのは基本的に利害を共にする者だ。情報共有してもよかろう」
なにを言ってるんだろう、ゾラは。
首を傾げた直後、広間の外から甲高い声が聞こえた。なにやら叫んでいるようだが、はっきりと音の輪郭が掴めない。
じっと入り口を見つめているうちに、やがて音が近付いてきた。
「エー、離せ! エー、ケダモノめ!」
やがてクロが入り口に姿を見せた。右手には深紅の装丁の本を、左手には髭をたくわえた小人を抱えて。
「エー、いい加減にしないと、エー、舌を噛むぞ!」
「舌を噛んだら、君の同胞は皆殺しにされる」
クロが淡々と返すと、老小人はきょどきょどと目を泳がせて「エー、エー」と繰り返した。
あの小人、どこかで会ったような……そうだ、思い出した。『岩蜘蛛の巣』の長老じゃないか。
びっくりしているわたしには目もくれず、クロはゾラの前に本を置いた。そうして空いた右手で小人の口を塞ぐ。
「ご苦労」
クロは会釈をし、老小人を抱えたまま、先ほど同様ゾラの背後に控えた。
「これがなにか分かるか?」
誰にともなくゾラが問う。
「小人の歴史書……それも一番古い書物」
グリムと引き換えに、ゾラへと渡した物だ。
「これが読めるか?」とゾラが続けて問う。
「いいえ、読めないわ。だって小人にしか分からない文字で書かれているんだもの」
通称、小人文字。彼らが独自の文字文化を有していることは、王都の研究書にも記されている。ただ、解読した者はいない。
「ほかの歴史書がすべて、小人文字で書かれているのは事実だ」とゾラは頷く。
ほかの歴史書は?
「ということは、それだけは別の文字で書かれてるの……?」
首を傾げて見せると、ゾラは歴史書のなかほどを開いた。なにやらびっしりと文字が記されている。特殊な加工がされているのか、『最古』というには状態がいい。
その歴史書は、わたしも道中で何度か開いてはみた。けれども、どのページもぎっしりと文字が詰まっているばかりで図も絵もなく、もちろん読み解くことも出来なかったのである。
「これは文字ではない。さらに言うと、書物ですらない」
「……どういうこと?」
ゾラは顔を上げ、わたしを見つめた。黒目のなかに映る自分の顔は、なんだかひどく無知に見える。
「これは、記憶を保存した魔道具だ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『アリス』→魔銃を使う魔術師。魔砲使い。ハルキゲニアの元領主ドレンテの娘。王都の歓楽街取締役のルカーニアに永続的な雇用関係を結んだ。『33.「狂弾のアリス」』にて初登場
・『毒食の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照
・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『老小人』→小人の長。「エー」が口癖。人間をひどく嫌っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『クロ』→ケットシー。ジェニーの幼馴染。ルドベキアの獣人とともにケットシーの集落を滅ぼした。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って毒食の魔女を死に至らしめたとされる。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて
・『共益紙』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて
・『魔道具』→魔術を施した道具。魔術師であっても使用出来る。永久魔力灯などがそれにあたる。詳しくは『118.「恋は盲目」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『ケットシー』→獣人の一種で、猫に似た姿をしている。しなやかな毛で小柄。五感が優れている
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『魔具制御局』→魔具を統括する機関。拠点は不明。オブライエンが局長を務めている。詳しくは『6.「魔術師(仮)」』『196.「魔具制御局」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。実は最果てと王都近辺を繋いでいる。中には小人の住処も存在する。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




