888.「灰銀の行方」
「まずは状況の整理をしましょう」
そう言ってヨハンは語りはじめる。サフィーロは『なぜお前が仕切るのだ』と言いたげな表情をしていたが、口を挟むことはなかった。
「私がゾラさんに提案した内容を簡明にお伝えすると、こうです。戦争において『黒の血族』側として参加する。ただし人間と直接衝突するのではなく、あくまでも共通の敵であるオブライエンを始末するために別行動を取る。……これに関してはニコルさんの承諾を得ていますから、血族側から裏切り者呼ばわりされることはありません」
ヨハンの口にした内容はすでに玉座で聞いている。ゾラとの決闘に勝利したことにより、正式にその流れが受諾されたはずだ。
ゾラは口を開くことなく、ただ一度だけ頷いた。異論なしということだろう。彼の反応を確認してから、ヨハンは右手の人さし指を立てた。
「ここでひとつ、追加のお願いがあります。オブライエンの討伐後は、戦争が終結するまで奴の拠点にとどまっていただきます」
戦場に戻った場合の振る舞いを考えると、それがベストだろう。ゾラたちはいわば両陣営に属しているわけであり、人間側への攻撃はありえない。かといって戦わなければ血族側からは裏切り者の烙印を押される。そうした困難な選択を避けるためにも、ゾラたちはオブライエンの拠点に待機したほうがいい。
ゾラも同じ考えらしく、今度も異論はなかった。
「さて、ここまでが『緋色の月』と我々人間陣営の話です。ここからは『灰銀の太陽』の話をしましょう」
『灰銀』の話にシフトしたからだろう、サフィーロとデビスの目付きが険しくなった。
「『灰銀の太陽』の目的は、『緋色の月』の戦争参加を止めることにあったはずです。残念ながらそれは叶いませんでしたが、人間殲滅という物騒な仕事からは手を引かせることが出来たので実質目的を達成したことになります」
「迂遠な言葉を使うな。さっさと話せ」とサフィーロが苛々した様子で促した。
ヨハンは肩を竦めて、なぜかわたしに目配せする。『あの乱暴そうな竜人は困りますね』とでも言うみたいに。そんなメッセージがあったとしても、わたしにどうしろと……。
こほん、と咳払いをしてヨハンは続けた。
「晴れて目的達成した『灰銀の太陽』ですが、今後の動きは共有しているのでしょうか? 話がまとまり次第、組織そのものを解体する運びですか?」
「我々竜人は無論、そのつもりだ。仮にほかの種族がなにを主張しようとも、竜人は役割を果たした。今私がこの会合に出席しているのは目的達成の確認でしかない」
サフィーロはすらすらと、一度も詰まることなく言い切った。今後についての迷いはないのだろう。
当然だと思う。もともと竜人は自ら望んで『灰銀の太陽』に加入したわけじゃない。決闘に敗れ、わたしの要求を呑んだだけのことだ。
「解体だと思っている種族がほとんどだ」とデビスも頷く。「人魚もトロールも、そしてすでに脱退した有翼人も、そのつもりで協力していた。我々半馬人も同様だ」
ハックの掲げた旗印は、あくまで人間殲滅の回避だ。『緋色の月』と折り合いがつけば組織を維持する必要性はない。
……とまあ、このあたりのことはヨハンも把握しているはずだ。にもかかわらずわざわざそれを言い出すということは、なにか意図があってのことだろう。
なんとなくだけれど、彼の言おうとしていることが分かる。
「ひとつ提案なのですが、『灰銀の太陽』の皆さんも我々人間とともに血族と戦っていただけないでしょうか?」
やっぱり。
せっかく様々な種族が集っている状況だ。これを活かさない手はない。だけれども――。
「断る」とサフィーロが即座に返し、「そこまでする義理はないな」とデビスも続いた。
この反応にも『やっぱり』と思ってしまう。
わたしとしても人間側に協力してほしい思いはあるけれど、そう簡単にはいかないものだ。
不意に、ぽん、とヨハンに背を叩かれた。
え、なに。
『説得は任せます』と耳の奥でヨハンの声がして、思わずびくりと反応してしまった。一方通行の交信魔術。久しぶりにされたからか、なんだかくすぐったさに近い気持ちの悪さがある。
ふぅ、とまとまった息を吐き、薄く長く、空気を吸い込んだ。
顔を上げ、デビスとサフィーロを順番に見つめる。
「あなたたちが望んでるかどうかは分からないけど、もし協力してくれるのなら差し出せるものはあるわ」
「人間の重宝する物など、我々竜人にとっては無価値だ」
「一旦聞いて頂戴……。もしあなたたちが協力してくれるなら、ゾラに渡したのと同じ物を手に入れて見せるわ」
「ゾラに渡した物……?」
ノックスの顔を頭に浮かべる。きっと彼なら、真相を知ったとしても書類にサインをしてくれたはずだ。
「あなたたちの住まう土地を、グレキランスが正式に認知する誓約書よ。交易はもちろん、保護も誓約書のなかに含まれてる。つまりあなたたちは、人間から一方的に危害を受けるようなことはなくなる……はずよ」
少なくとも種族が手を結ぶための第一歩となるだろう。すぐに軛を越えることは出来ないだろうけど、和解の兆しにはなるはずだ。
「誓約書だと? それが守られる保証はどこにある」
案の定、サフィーロが厳しい口調で返す。想定通りの反応だ。
「誓約書はグレキランス王が署名するわ。反故にするようなことはないはずよ。もし約束が果たされないようなことがあれば、わたしが全力で抗議する」
「貴様が人間の社会でどれほどの力を持っているか知らんが、信じるに値せん」
ばっさりと切り捨てるサフィーロに、デビスも頷く。「我々半馬人は、人間と積極的に交流するつもりはない」
そうだろうな、と思う。だけど、誓約書は交流を誓うようなものではない。もっと別の使い方だってある。
「誓約書によって土地が認められれば、あなたたちの居場所が人間に侵犯されることもないわ。少なくとも、心無い人たちがあなたたちを脅かしたとき、王都として裁きを与える義務が出てくる。……簡単に言うと、あなたたちの居場所を守る味方が増えるのよ」
誰だって自分の居場所を侵されることなく静かに暮らしたいものだ。しかしながら、そう上手くはいかない。夜に魔物が現れるのと同じように、居場所を脅かす者は必ず現れるものだ。そのための保険は、ないよりあったほうがいい。
肝心なのは、誓約書が戦争参加と釣り合うかどうかだろう。そこはちょっと自信がない。
「ねーねークロエちゃん」
急に円卓の一角から声がした。見ると、健康的な小麦色の肌の人魚が、円卓に乗り出すようにして肘を突いている。
「いつから聞いていたのだ、貴様。この宮殿は魔術除けがしてあるはず……どうやって侵入した」とゾラが怪訝そうに眉根を寄せた。どうやら彼も、メロの侵入は予想外だったらしい。
「魔術除け? ああ、壁とか床の奥にある、なんか分かんないけど通り抜けられない場所のことね。ギャハハ! 岩肌に近いトコなら潜れたけど?」
あ、そうなんだ。魔術除けはあくまで宮殿の外側に施されていて、内側はそうでもないのね。まあ、それを活かせるのはメロの『地中を泳ぐ』魔術くらいだろうけど。
「てか、侵入とか失礼じゃね?」と、メロは挑発的な眼差しをゾラに向ける。「ウチも『灰銀』だし、人魚の族長だし、話し合いなら参加する権利あんじゃん」
「勝手にワインを飲むような奴の参加は認められん」
そういえば人魚は、シンクレールと一緒に浴室でお酒を飲んだんだっけ。
「ゾラちゃん、器が小さいぞ! そんな昔のコト忘れなって~」ひらひらと手を揺らめかせ、メロは軽々しく言う。それから一転、急に真剣な顔付きになった。「でさ、クロエちゃん。今の話、たとえばその種族で戦争に参加するのがたったひとりだった場合でも、ちゃんと約束を守ってもらえんの?」
どうしよう――なんて迷うことはなかった。
「ええ、もちろん」
するとメロは満面の笑みを浮かべ、拳を握った。「そんじゃ、ウチは協力するよ。人魚代表メロ、泥沼の戦争に参加しま~す!」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って毒食の魔女を死に至らしめたとされる。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて
・『ヨハンの交信魔術』→耳打ちの魔術。初出は『31.「作戦外作戦」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『有翼人』→純白の翼を持つ他種族。別名、恋する天使の翼。種族は男性のみで、性愛を共有財産とする価値観を持つ。年中裸で過ごしている。王都の遥か北西に存在する塔『エデン』で暮らしている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『742.「恋する天使の[検閲削除]」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




