886.「かつての囚われ人たち」
ヨハンはかつて夜会卿に捕まっていたらしい。それだけでも驚きだが、なんとシャオグイも同じ境遇で、しかも隣の牢屋だったのだという。ヨハンはこっちが口を挟む間もなく、そんな説明を展開した。
シャオグイが誰かに捕らえられるなんてなかなか想像出来ないけれど、疑ったところで仕方ない。
「彼女とはお隣さんですし、ほかにすることもなかったので色々と会話したんですよ。そのときに誤解されてしまったようです」
「添い遂げるとか言ったわけ?」
「無事にここを出ることが出来たら一緒にならないかと言われたので、それらしいことを返してしまったんですよ」
「それらしいこと?」
「悪くないとかなんとか、そんなことを答えた気がします。昔のことなのでおぼろげな記憶ですが」
「ふぅん……」
それで誤解するということは、シャオグイもそれなりに混乱していたのだろう。まあ、そのときの実際のやり取りを聞いたわけではないのでなんとも言えないけど。
「で、どうして誤解をといてあげないの? 冗談だったとか言葉の綾だとか言えばいいじゃない」
「それで納得するような性格じゃありませんよ、シャオグイさんは」
そんな気はする。シャオグイの見せたヨハンへの執着具合は、簡単な言葉でどうこう出来るものではないのだろう。
……というかそもそも、この男は他人の誤解を解消するつもりがあるのだろうか。むしろ、それを利用して立ち回るんじゃ……。
ふと、『黄金宮殿』でのシャオグイを思い出す。
彼女は自分の寿命を支払ってでもゾラを倒そうとした。樹海で失われた多くの命を『冥途献身』なる魔術で力に変えるだけではなく、自分の命をも代償にしようとしていたのだ。
なぜシャオグイがそこまでの犠牲を自らに強いたのか。
「シャオグイが今回の一件にかかわったのって……」
「私が頼んだからですよ。快く応じてくれました」
やっぱり。
でも、無報酬でここまでの仕事をするとも思えない。それこそ結婚を引き合いに出しても足りないぐらいじゃないだろうか。シャオグイの丸薬は、残りの寿命を三年まで圧縮する代物だと聞いている。そこまでの犠牲を前提とするならば、結婚だって立派な交渉材料になるはずだ。
一歩ごとに淡い光を放つ『灯り苔』に目を落とす。わたしたちの歩調は、ゆったりとしたリズムで一致していた。
「対価は?」
さく、さく、さく。苔を踏む音がやけに大きく聞こえる。
しばしの間があって、ヨハンが息を吸う音が届いた。
「勝利した暁には、残された時間を一緒に過ごしてほしいと言われました。ですが、私には私の仕事がありますので断ったんです。四六時中一緒にいるわけにはいきませんし、今後三年を彼女だけに捧げることは出来ませんから」
「それで?」
「色々要求されましたよ。なら代わりにコレはどうだとか、アレはどうだとか。最後は、ちょっとしたスキンシップで折り合いがつきましたね」
ちょっとしたスキンシップ……。なんだかすごく嫌な想像をしてしまう。そりゃもちろん、わたしも子供じゃない。
「スキンシップといっても」ヨハンはへらへらした調子で補足した。「男女のそれではございませんので、悪しからず」
「じゃあなんなのよ」
「秘密です」
追及しようとして口を開きかけたけど、やめておいた。なんだかものすごく気にしてるみたいに思われかねない。
それに、具体的なことを決して教えてくれないのはいつものことだ。
まだ『黄金宮殿』までは距離がある。シャオグイのことばかり話してしまっているけれども、聞きたいことはそれだけじゃない。
「どうやって夜会卿のところから抜け出したの? というか、そもそもなんで捕まったのよ」
ヨハンは「言ってませんでしたっけ?」とわざとらしく小首を傾げる。だからこっちも、すぐさま首を横に振った。夜会卿に捕まってたなんて初耳だ。
「夜会卿に捕まった理由は、リリーさんがグレキランス地方にいるのと同じ理由ですよ」
「それって……革命騒ぎを起こしたから?」
ヨハンは小さく頷いた。
確か、リリーの父は夜会卿の転覆を狙って、彼の支配する街で革命を起こそうとしたのだ。そこにヨハンの姿もあったのだろう。
結果的に革命は失敗したと聞いている。革命を目論んだメンバーは処刑されたものとばかり思っていたけれど、ヨハンが生きているあたり、必ずしもそうではなかったらしい。
「生き残ったのは私だけです。残念ながら、ほかの仲間は殺されてしまいました」
ちらと隣を見ると、彼は真っ直ぐに道の先を見据えていた。
もしかしてリリーの父も実は生きているのではないかと思ったのだけれど……残念だ。
「でも、どうしてあなただけが生かされたのかしら……」
「単純な話です。私の兄が夜会卿に仕えていて、牢屋に行くだけで済んだというわけです」
ヨハンの兄。確かジーザスという名だ。忘れるはずがない。なぜなら、ニコルとともに凱旋した『英雄』のひとりなのだから。
「ねえ、ヨハン。お兄さんのことなんだけど……」
「その話はまた今度にしましょう」
む。肝心なことはいつもそうやって教えてくれない。彼なりの線引きはあるのだろうし、今わたしが知っておくべき事柄じゃないのかもしれないけれど、どうにも納得出来ない。
もやもやしながらも追及することなく歩いていると、ぽつりと、雨垂れのような声が隣からした。
「ノックス坊ちゃんは元気ですか?」
「え、ええ。元気そうだったわ」
唐突に聞かれたものだから、少しびっくりしてしまった。
それから、じわじわと胸の奥のほうが温かくなるのを感じた。
今はグレキランスの王として冠を戴いている、『最果て』出身の孤児の姿が脳裏に浮かぶ。彼――ノックスとともに旅をした日々は、今でもたまに思い出す。そして記憶の旅路には決まってヨハンの姿もあった。
当時のヨハンはわたしを陥れようと画策していたわけだけれど、あらゆる行為が策略でしかなかったとまでは思わない。どの程度かは不確かだけれど、ヨハンが本心からわたしたちに接してくれた瞬間もあったんじゃないだろうか。
たとえば、ボロボロになって帰ってきたわたしにチーズフォンデュをご馳走してくれたこと。
たとえば、涙を流すわたしにハンカチを差し出してくれたこと。
手ひどく裏切られて、すっかり意味が変わってしまった記憶のなかにも、純粋な断片は残っている。
「デミアンっていう大臣がいてね、ノックスの教育をしてくれてるんだけど、かなりタイトなスケジュールで詰め込んでるみたいよ」
「それはそれは、大変ですね。坊ちゃんには同情しますよ」
「まだ王様としての生活には慣れてないみたいだったけど、頑張ってるのよ」
「坊ちゃんのことですから、一生懸命なんでしょうなぁ」
「ええ。頑張りすぎないといいけど。……そうそう、ノックスも随分表情豊かになったのよ。きっと会ったら驚くわ」
凍り付いた無表情は、もうどこにも存在しない。少なくとも誓約書の捺印を求めて王都に戻ったときには、そう確信出来た。
不意に沈黙が下りる。二人分の足音、家屋から漏れる話し声、遠くの喧騒。青く明滅する『ニセホタル』の一群がわたしたちの前をふわふわと通り過ぎる。
ヨハンは今、なにを考えているんだろう。
『最果て』の旅路のことだったらいいなと思って、ちょっぴり悲しくなった。
やがて『黄金宮殿』の前庭にたどり着くと、獣人をはじめ、半馬人や竜人、あるいはトロールでごった返していた。会合がはじまることを知って、宮殿の周囲に集まったのだろう。
人だかりを抜け、宮殿を守護するタテガミ族に目配せする。雄々しいタテガミを持つその獣人は、宮殿に入るようわたしたちに顎で促した。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐
・『ノックス』→クロエとともに『最果て』を旅した少年。魔術師を目指している。星で方位を把握出来る。『毒食の魔女』いわく、先天的に魔術を吸収してしまう体質であり、溜め込んだ魔術を抜かなければいずれ命を落とす。王都襲撃ののち、王位を継いだ
・『デミアン』→王都襲撃の日を生き残った大臣。小太り。詳しくは『590.「不思議な不思議な食事会」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて
・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて
・『ジーザス』→勇者一行のひとりであり、ヨハンの兄。『夜会卿』に仕えている。『黒の血族』と人間のハーフ
・『丸薬』→寿命と引き替えに一時的な力を得る、特殊な丸薬のこと。シャオグイが所有していたが、『灰銀の太陽』の代表的なメンバーの手に渡っている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『灯り苔』→刺激を受けると光を放つ苔。初出は『201.「森の中心へ」』『205.「目覚めと不死」』
・『ニセホタル』→森に住む昆虫。発光しながら飛翔する。詳しくは『201.「森の中心へ」』『205.「目覚めと不死」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『黄金宮殿』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて
・『最果て』→グレキランス(王都)の南方に広がる巨大な岩山の先に広がる土地。正式名称はハルキゲニア地方。クロエは、ニコルの転移魔術によって『最果て』まで飛ばされた。詳しくは『4.「剣を振るえ」』にて
・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




