880.「一件落鳥」
シャオグイが空中で木端微塵になったことで、『灰銀の太陽』のメンバーは怒りを収めたようだった。
一件落着。そんな雰囲気が形成されている。
一歩引いて騒動を眺めていたわたしにとってはなかなか信じられないことだけれど。
「これで、これで死んだ仲間も報われる!!」
そう叫んで号泣しているのは、アレクとともにルドベキア入りした半馬人である。そんな彼の肩を抱いて、別の半馬人が「ああ、そうだとも。同胞の魂は清らかな肉体に生まれ変わるのだ」と慰めていた。
そんな光景を目にしていると、なんだか少しだけ穏やかな気持ちになってくる。
わたしがゾラに勝利したことで、『灰銀の太陽』はおおむね目的を達成したと言っていい。いや、厳密な話はこれからだけれど、少なくとも樹海でのぶつかり合いは『灰銀』の勝利に終わったと考えるべきだ。だからこそ口に出すことが出来ずに溜まっていた鬱積があって、それが今回の騒動である程度解消されたとするなら――シンクレールがやったことの意味は案外大きいのかも。
まあ、きっとシャオグイもどこかで生きてるだろうし。
彼女が空中で四散する寸前、濃い魔力が展開されたのを思い出す。あれはシンクレールの魔力ではない。つまり、シャオグイ自身がなにかの魔術を使ったというわけだ。
歓声はすっかり穏やかな会話へと推移していた。そこかしこで素直な言葉が交わされている。
これでハックに対する不信感が拭えたわけでも、ましてや憎悪が消滅したわけでもないだろう。一旦のはけ口を得ただけだ。それでも、この場で彼が死ぬようなことにならなかっただけでも安心に足る。
「さてと」
すぐそばの声に振り返ると、ちょうどヨハンが踵を返すところだった。
「ヨハン、どこ行くの?」
「野暮用です」
「野暮用って?」
「ご機嫌取りですよ」
ふぅん。
まあ、いいんじゃないだろうか。シャオグイはヨハンにご執心みたいだし、少しはかまってやるべきなのだろう。
それにしても二人の関係性が気になる。直接たずねるなんて絶対にしないけど。
大人の関係という奴……? いやいや、まさか……。
「だったらなんだって言うのよ」
誰にも聞こえないくらいの呟きだったはずなのに、ヨハンが振り返る。「なにか言いましたか?」
「なんでもないわ。早く行って慰めてあげればいいんじゃないの?」
小さく肩を竦めて去っていくヨハンを、わたしは長いこと、それとなく目で追っていた。そんな自分に気付いて嫌になったのは言うまでもない。
さて。気を取り直して――。
人波を縫い、前庭の中心に踏み出す。そして、悄然と地面で三角座りをするハックのもとへと足を運んだ。彼のそばには相変わらずエーテルワースとデビスがいる。佇んだまま、しかしハックの近くを離れようとはしない。そういうタイプの優しさは、なんだか少し羨ましく思う。わたしには真似出来ないから。
「ハック」
「お姉さん……おはようございますです」
「うん、おはよう」
大変だったね、とは言わない。そこまでわたしは軽率じゃないから。
彼の隣にただしゃがみ込んだだけだ。
「お姉さんはここでなにしてるんです?」
「休憩よ」
そう、小休止。これまでずっと気を張っていたんだ。数日くらいリラックスしても罰は当たらない。
「あと数時間もすればゾラさんとの会合がはじまりますです。お姉さんも――」
ハックの言葉が止まったのは、わたしが軽率にも頭に手を置いたからだろう。
「もう無理しないでいいからね」
ああ、もう。迂闊なことばかり言ってしまう。でも、こういう自分が嫌いじゃないんだから、我ながらどうしようもない。
ハックは地面をじっと見つめて、小さく、震えと混同してしまうくらい小さく頷いた。
これでハックは責任問題から解放されたはずだ。そうでなければならない。きっとシンクレールも、それを見越して大芝居を打ったんだから。
「あ、クロエ!」
こちらへと手を振って駆け寄る青年魔術師の顔を見て、わたしは苦笑してしまった。
「シンクレール、ご苦労様」
「いやぁ、緊張したよ」と言って、彼はわたしの隣に胡坐をかいた。「でも、負ける気がしなかったね。ははは……」
まったく、散々酔っ払った翌日だと言うのに……とんだ役者だ。
「どんな取引をしたの?」
彼の耳元で囁いてやった。するとシンクレールは途端にきょときょとと目を泳がせてみせる。
さっきまでの真剣な表情とギャップがあり過ぎて、わたしはまたも苦笑するばかりだった。
あのシャオグイのことだから、タダでは動かなかっただろう。シンクレールがなにを代償にしてこの場を作り上げたのか気になる。正直かなり心配だ。まさか寿命とか……。
「え、と……言わなきゃ駄目かな?」
「ええ。正直にね」
「あー、うん。でもここじゃアレだから、また今度ね……」
シンクレールはへらへらと困り笑いを浮かべた。
問い詰めるのは簡単だし、きっと苦労せずに真実を得られるだろう。が、彼の言うことも一利ある。周囲には『灰銀の太陽』のみんながいるのだから、まだ演技を続けなければならないはずだ。
うーん……でも、やっぱり気になる。
耳打ちする程度ならたぶん大丈夫だろうし、シャオグイが生きていることを伏せておけば問題ないはず。
うん、そうだ。聞こう。
息を吸った瞬間――。
「あ」
シンクレールが空を見上げて、唐突に声を上げる。
誤魔化そうとしているのかと一瞬訝ったけど、そうじゃなかった。
色とりどりの微光に満ちた朝の薄闇を、なにやらカラフルな物体が泳いでいる。否、翼をはためかせて飛んでいる。随分とずんぐりした鳥で、嘴が冗談みたいに大きい。
「バァカ!!!」
「うあっ!」
急降下した鳥は、唐突に罵倒を叫んでシンクレールの胸に飛び込んだ。
え。なに。なんなの。その鳥、喋るの?
仰向けに倒れたシンクレールの上で、鳥は「バカバカ、バーカ!!」と嬉しそうにぴょんぴょんとはしゃいでいる。
「シンクレール。その鳥、なんなの……?」
「いてて……こいつかい? 樹海で出会ってからずっと僕のあとをつけてくるんだよ。いなくなったと思ったら急に現れて……まったく臆病な鳥さ――って、あ!」
バサバサと大袈裟な羽ばたきが目の前を過ぎ、頭にずっしりとした重さが伝わった。と、すぐに負荷が消える。
鳥はわたしの頭を足場にして、ハックの肩に降り立ったのだ。
ちょっぴりムッとしたけど文句は出ない。相手が鳥だから――というわけではない。
「……?」
鳥はハックに、うっとりと頬擦りをしたのだ。随分と懐いている様子である。
「ハック、その鳥と知り合いなの?」と思わずたずねる。
すると彼はくすぐったそうにしながら、小さく首を横に振った。「いえ、知りませんです」
じゃあ、動物に懐かれやすいとかなのかな。彼の穏やかさと健気さ、そして意志力を見抜いてるのかも……?
「お。貴君は、もしや――」
不意にエーテルワースがハックの前に膝を突いた。その顔には驚きと喜びに染まっている。
「バーカ!」
「その声! 間違いない! 嗚呼、なんと――なんと懐かしい」
涙を流さんばかりに感動を露わにするエーテルワースを、わたしは唖然と見つめた。
「エーテルワース。この鳥を知ってるの?」
「知っている。知っているとも! 嗚呼! 生きていたのか! そうか、生きていたのか……」
エーテルワースは目元をぐしぐしと拭う。
そんな彼をから視線を外し、わたしとシンクレールはきょとんと首を傾げ合った。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて
・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




