876.「責任の所在」
ルドベキアでは、事件はおおむね『黄金宮殿』の前庭で起こるらしい。ゾラとの決闘しかり酒宴しかり。
そして、不穏に満ちた沈黙の衝突しかり。
前庭は他種族で溢れていた。半馬人、竜人、トロール、有翼人……どれも『灰銀の太陽』のメンバーばかりで、『緋色の月』の面々は遠巻きに前庭を窺っている。
人波を掻き分けて中心へ向かうと、ぴり、と肌が震えた。
「どれほどの命が失われたか分かっているのですか!?」
「分かっていますです」
「すべてハック殿の指示で失われたのです! 我々も死を覚悟して戦いに臨みましたが、死ぬことが算段に含まれているなど……貴殿の倫理観を疑います!」
「なんの反論もありませんです」
中央にぽっかりとスペースが出来ていて、そこで三人の人物――竜人のアレクと有翼人のアポロ、そしてハックが距離を置いて向かい合っていた。
アレクの鱗は薄い赤に染まっている。怒りが彼の内側で渦巻いているのは、その口調でも分かった。一方、彼の隣でゆったりと羽ばたくアポロは凍り付いたように無表情である。
「貴殿は我々が犠牲になることをはじめから分かっていて――というより失われるべきものとして、わざわざ『灰銀の太陽』を分断したのですね!?」
アレクの後ろには数体の半馬人が腕組みをして控えていた。彼らの視線は一様にハックへと注がれている。それも、随分と鋭く。
『灰銀の太陽』の半数の死がシャオグイの魔術――冥途献身とやら――を発動させる条件となっていたことまで、ハックは知らなかったはずだ。あくまでもゾラを説得するためには相応の血が流れなければならないとして、あえて『灰銀』にも『緋色』にも犠牲が出るような作戦を選んだのである。いずれにせよ多くの死を前提として動いていたのは事実だ。ゆえにハックはこうして矢面に立ち、悄然とするでもなく、居直るでもなく、顔を上げてアレクの言葉を受け止めているのだろう。
ハックがちらとわたしを見た。ほんの一瞬、鋭い目付きに射られる。
大人しくしているように。そんなメッセージを感じた。
「終わりよければすべてよしと、そうお考えですか?」
「いいえ。アレクさんたちが望むなら、どんな罰も受けますです」
ざわめきひとつ聞こえない。誰もがこの騒動の行方に耳を傾け、目を見開いているのだろう。大っぴらにハックを擁護する声がないのも、冷静に考えれば無理のないことだ。ルドベキアで勝利を味わった『灰銀の太陽』の半数も、ハックの作戦の内実を完全に把握して動いたわけではないのだ。たまたま生き残っただけで、末端集落の待機組に選ばれて死ぬことだってあり得たのである。
人波のなかにサフィーロの顔が見えた。腕組みをして、冷え冷えと中央を見下ろしている。介入すべきではないと思っているか、それともアレクと同じ考えなのか……真意は定かではないが、口を開く様子はない。
『灰銀の太陽』の多くは身体のどこかに深紅のリボンを巻いていた。なんとも場違いな賑やかな色を一場に添えている。
「罰と言ったね」
凛と口を挟んだのはアポロだ。彼は、その美しさを少しも損なわない無表情でハックを見ている。
「ええ。確かに言いましたです」
アポロの優美な睫毛が上下する。
まばたきののち、彼はふわりと宙に両腕を掲げる。すると、肘から先がふっつりと消えた。
え、と思ったときには彼の腕はもとに戻っていて、しかし、なんの変化もないわけではなかった。ひとりの人間が彼の腕に抱えられている。
「ひっ」と、そこかしこで悲鳴を抑えつけたような音が重なった。
悲鳴こそ漏らしはしなかったものの、思わず口を覆ったのはわたしも同じだ。
アポロの腕に収まった男は、随分と虚ろな目をしていた。彼はアポロを見上げてゆっくりとまばたきを繰り返している。口はゆるんだままで、言葉を紡ぐ気配はない。
彼の全身にはいくつもの切り傷があった。傷口のなかが空洞になっているのは、ひと目で分かる。
身じろぎしたその背には、目を背けたくなるほど痛々しい傷跡がふたつあった。ちょうど有翼人の翼の付け根にあたる部分で――。
嗚呼、と吐息が溢れる。
「イカロスは翼をむしられ、全身に傷をつけられ、敵の道具にされたんだ」
鈴のような声が流れ、前庭は静まり返った。
アポロがイカロスに頬擦りする。イカロスはそれまで通りぱちくりとまばたきをするばかりで、意味のある反応は示さなかった。
「イカロスはね、勝気な性格だったんだよ」アポロはくすりと一笑し、続ける。「信じてもらえないかもしれないけれど」
アポロの言葉の途中で、ハックが膝をついた。そしてきっちりと両手を地面で揃え、深々と頭を下げる。
「すみませんでした、です」
「謝って欲しいんじゃないんだよ。顔を上げておくれ」
ハックは地に額を擦りつけたまま、ぶるぶると肩を震わしている。イカロスが現れた瞬間から、ハックの様子には変化があった。目を見開き、なにかを必死で堪えるような、そんな顔をしていたのである。
「ボクが言いたいのはね」ハックを見下ろすアポロは、ひどく哀しげな顔をしていた。「この地獄に釣り合う罰なんてないってことなんだ」
そうなんだろう、きっと。
取り返しがつかないほどのことが起こってしまったのだ。イカロスに限らず。
でもそれをハックの小さな肩だけに背負わせるのは違う。
わたしが足を踏み出しかけると――。
「責任は私にもある」
ハックの隣に歩み出たデビスが決然と言う。そして器用に足を折ると、ハックの襟を掴んで立たせた。
「ハックは私にだけは作戦の全容を伝えてくれた。此度の問題が作戦の隠匿にあるとしたら、私もまた罪人にほかならない」
立ち上がったハックはデビスを見上げ、それからアレクへと視線を戻した。
「デビスの言葉に偽りはありませんです。今回の一件の責任は僕とデビスにありますです」
二人の姿を眺めて、わたしはほとんど無意識のうちに拳を握っていた。
ハックはデビスを庇うことも出来たはずだ。むしろ、そうすべきだと思う。仮にデビスが情報を握り込んでいたとしてもだ。
にもかかわらずすんなりとハックが認めた背景には、ひどく哀しい決断があるように感じてならない。こうして二人で矢面に立つことを何度も話し合ったのだろう。きっと押し問答の末、彼らは運命をともにすることに決めたのだ。
ハックの息を吸う音が、やけに大きく響いた。
「今回の一件の責任として、妥当な償いではないかもしれませんですが――」
駄目だ。これ以上言わせてはいけない。
そう思って前傾したわたしの身体が、ぐっと後ろに引かれ――ハックたちの姿が人波に消えた。
振り返ると、そこには黒山羊の顔があった。彼は口のあたりで人さし指を立てている。
なんで邪魔するの、と言いたかったけれど、それより先に人波の向こうからハックの声が流れた。
「――僕とデビスの死をもって、終結としてくださいです」
そんなの間違ってる。どれだけ許し難い罪を背負ったとしても、死をもって溜飲を下げるなんて絶対に認められない。
「だ――」
駄目、と叫ぼうとした口が白手袋で塞がれる。
なんで邪魔するのよ、ヨハン。なんで黙って大人しくしていられるの。なんで、なんで……誰も『違う』と叫ばないのよ。
「これは彼らの問題で、ケジメをつけるのも彼らです」
わたしだって『灰銀の太陽』の一員で、立派な利害関係者だ。それに、ヨハンだって随分深くかかわってるじゃないか。それなのに人ごみに隠れているなんて。
必死でもがくうちに、わたしはほとんど羽交い絞めにされていた。
だから、「待った!!」の叫びが空気を裂いたとき、ハッと意識が声の先へ向いた。
「ハック殿とデビス殿が罪人なら、吾輩も同じだ!」
人波に隠れて姿は見えなかったが、想像は出来る。前庭の中心に飛び出し、ピンと背筋を伸ばすエーテルワースが。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて
・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて
・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて
・『アポロ』→有翼人の族長。金の長髪を持つ美男子。優雅な言葉遣いをする。基本的に全裸で過ごしているが、『灰銀の太陽』に加入してから他の種族のバッシングを受け、腰布だけは身に着けるようになった。空中から物体を取り出す魔術を扱う。詳しくは『742.「恋する天使の[検閲削除]」』にて
・『イカロス』→有翼人の青年。怠惰な性格で、他の有翼人から若干煙たがられている。実は情熱的だが、なかなか素直になれない。『緋色の月』およびシャオグイによって翼を奪われ、道具として利用された。詳しくは『Side Cranach.「毛と翼の捜索隊」』『Side Icarus.「墜ちた翼」』『Side Icarus.「おしまい」』『Side Gorsch.「集落の夜~飛来する異常~」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『有翼人』→純白の翼を持つ他種族。別名、恋する天使の翼。種族は男性のみで、性愛を共有財産とする価値観を持つ。年中裸で過ごしている。王都の遥か北西に存在する塔『エデン』で暮らしている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『742.「恋する天使の[検閲削除]」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『黄金宮殿』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




