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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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875.「勇者の描く世界」

 手紙の内容をそらんじると、ゾラは口を閉ざした。玉座に降りた沈黙は濃く重い。八方に散る財宝は依然(いぜん)として確固たる(きら)めきを(はな)っていて、それがなんだか皮肉のように感じてしまった。


 わたしの出会ったグレガーは不死魔術に腐心(ふしん)していた。それは死への恐怖であり、また、膨大(ぼうだい)に積み上げた魔術の知識を永遠にするための(はかな)い責任感のようなもの、と語っていたっけ。なんだかゾラの話を聞いたあとでは、まったく別の、決して語られなかった理由が彼の胸に眠っているような気がしてならない。


 醜い世界の敗北者、か。


「樹海が――獣人がこんなにも閉じてしまった理由は、それで全部?」


「そうだ。……もはや愚王(ぐおう)は俺の捕縛を諦めるほかないとグレガーは読んでいたようだが、俺はそう思えなかった。いつなんどき人間が襲撃して来るか分かったものではない。そこにグレガーの姿がないとも限らん。俺は樹海を掌握(しょうあく)し、それまで以上に徹底(てってい)して人間を排斥(はいせき)すべきだと考えた。そのために必要な権威(けんい)を逆算するのは、そう難しいことではない」


 そしてゾラは自分自身がルドベキアの(おさ)となり、ほかの集落をも支配下におくことを(みずか)らに()したのだろう。


 グレガーの手紙は最後のひと押しだったに違いない。アンナの喪失と、人間の浮薄(ふはく)さへの諦め。そのふたつを『価値観』へと昇華(しょうか)させたのだろう。


「じゃあ、弱さっていうのは……」


 口に出さずにはいられなかった。


 室内に転がる数々の宝物を、ゾラは『自分自身の弱さの結晶』だと言っていた。


「何代目か分からんが、いつかグレキランスの王が樹海に訪れて交易を(もう)し出たのなら。(しゅ)としての過去を()い、懺悔(ざんげ)をしたのなら。アンナの死を正しく理解し、真に『弱くとも生きていける』世界を築くと誓ったなら。……つまらん妄想に()りつかれていた俺は、樹海中の財宝を――獣人の世界ではなんの役にも立たんガラクタを――何年もかけて集めた。許し(がた)く憎んでいたというのに、それでも俺はなにかを求め続けていたのだ」


 アンナのような人間を。獣人を獣人と知って、受け入れてくれる存在を。語らずとも、ゾラが求めているものは理解出来た。


 多くの場合、時間は思い出を希釈(きしゃく)していくけれど、そうではないこともある。何度も繰り返し追憶し、身を()がし続ければ、思い出は焼き付いて離れなくなる。十数年の人生でわたしが得た学びだ。ゾラはもっとずっと、気が遠くなるほどの時間を思い出と寄り添って生きてきたのだろう。


 わたしにとってのニコルも、たぶん、そうなる。()る部分はすでに思い出になっている。幼少期の彼にまつわる一切を、わたしは胸の奥の奥、誰にも汚されないところに仕舞(しま)っているのだ。たとえ今のニコルがどんなにひどい言葉を口にし、どれだけ最低の行いをしようとも、彼に救われた事実が意味を変えることなんてない。


 ……いや、正確には違う。泣きじゃくる幼少期の自分の姿とともに、彼の記憶を純粋なまま保存しておこうと躍起(やっき)になっているだけだ。懸命に。


「ねえ、ゾラ」


 だからこそ聞いておきたいことがある。


「なんだ」


「……血族と組んで人間を滅ぼそうとしたのは、なにかきっかけがあるの?」


 人間に対する絶望的な諦めと憎悪があるのは分かってる。


 それでもゾラは()ち切れなかったのだ。こう呼ぶのが許されるのかは自信がないし、正しいかは分からないけど、『希望』とやらを切り捨てることが出来なかったのだ。その証明は、玉座の(いた)るところで輝きを放って存在している。


 そんな最後の糸が切れたからこそ、ゾラは戦争参加を決断したのではなかろうか。ヨハンは夜会卿(やかいきょう)がどうとか理屈っぽいことを言っていたけど、ゾラの過去を聞いた今、ドライな論理だけが動機だとは思えなかった。


 ゾラは腕組みをして、じっとわたしを見つめている。


「さて」不意にミスラが立ち上がり、玉座の奥へと足を向けた。「そろそろ朝餉(あさげ)の用意をしなくちゃ」


 ミスラが去ってからも、しばらく沈黙が続く。


 が、やがてゾラの口が緩慢(かんまん)に開かれた。


「クロエよ。お前はニコルの旧友だったな」


「やっぱり聞いてるのね。……そう、幼馴染よ」


 今ニコルの名前が出ることに対して、そう違和感はなかった。血族と人間の全面戦争はニコルと魔王が引き金になっている。先日王都が魔物の群に襲撃されたことと、根っこは同じだ。


「ニコルも、お前と同じ理想を口にした」


 ……え。


 なによ、それ。


「どういうこと……?」


 自然と身体が前のめりになる。答えを求めて、心が()いている。


 今のわたしと、今のニコル。そこに共通点があるようには思えない。彼は王都を徹底的に破壊しようとしているし、そのためなら手段を選ばないだろう。現に幼馴染であるわたしを利用したわけだし……。


「ニコルはユグドラシルを作ろうとしている」


 ぞわぞわと肌に嫌な感覚が広がった。


 ユグドラシル。空想上の大樹。その根元ではありとあらゆる生物が豊饒(ほうじょう)な資源を分け合って生きている。


「なにそれ……。ニコルは人間を滅ぼすつもりなんでしょ? あいつの思い描くユグドラシルに人間はいないってこと?」


「厳密には違う」


「つまり……どういうことなの」


「我々獣人もいない。より正確に言うなら、半馬人(はんばじん)も、小人も、有翼人(ゆうよくじん)も竜人もトロールも人魚も存在しない」


 どくどくと心臓がうるさい。


「血族だけの世界ってこと?」


「そう。それが奴の理想とする世界――ユグドラシルだ」


 ()に落ちない。


 いや、ニコルが血族だけの世界を創り出そうとしていることは、そうおかしいとも言えないだろう。わたしがモヤモヤとしているのは、どうしてそれをゾラが承知(しょうち)しているのかという点だ。


「だったらあなたは抵抗すべきじゃないの……? 自分たちも人間と同じように滅ぼされると分かってて――」


「すまない。言葉が足りなかったようだ。滅ぶのは人間だけで、ほかの生命は一様(いちよう)に血族になる。(しゅ)という概念が消えるのだ」


 なんだか眩暈(めまい)を感じる。玉座に腰かけるゾラの姿がぼんやり(にじ)んだり、遠ざかったり、傾いたり、ぐにゃぐにゃと(ゆが)んだりした。


 昨晩の酔いが残っているわけではない。この酩酊感(めいていかん)はすべて、わたし自身の混乱からきている。


「種の概念……」いつしかわたしは(ひたい)を押さえ、じっと目をつむっていた。(まぶた)の裏の暗闇に、鼓動のリズムで曖昧(あいまい)な光が明滅している。「ごめんなさい、ちょっと言ってる意味が分からないわ。血族になるって具体的にどういうことなのか、イメージがつかなくて……」


「言葉通りだ。血族としての姿と生命を得る。ニコルはそれが可能だと踏んでいるようだな。俺としても否定は出来ない」


「否定出来ない理由はなんなの……」


 そんなことあるわけがないじゃないか。


 ああもう、頭が痛い……。


 そんな(おり)、玉座にノックが響いた。けたたましく。


「何の用だ!」


 ゾラの大声もまた、わたしの頭を揺さぶる。


 一拍(いっぱく)置いて、扉越しにいかにも律義(りちぎ)な声が届いた。


「申し上げます! 『灰銀(はいぎん)の太陽』の一団および、『緋色(ひいろ)の月』五番手のバアル様がルドベキアに到着しました!」


 バアルという名に覚えはない。けれど『灰銀の太陽』の一団というと、末端集落に残ったメンバーのことだろう。


「報告ご苦労! バアルに(しか)るべき(ねぎら)いと現状の説明をしろ! 納得しないようなら玉座へ連れてこい!」


「はっ! (あわ)せて報告がございます!」


「なんだ!」


「到着した『灰銀の太陽』の一団が、この地に(とど)まっている『灰銀』と衝突(しょうとつ)していまして、どうしたものかと……」


 ハッと顔を上げると、ちょうどゾラと視線が交差した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だった男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。詳しくは『205.「目覚めと不死」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『ミスラ』→女性のタテガミ族。しなやかな黒毛。多くの獣人と異なり、薄衣や足環など服飾にこだわりを見せている。オッフェンバックの元恋人であり、わけあってゾラに侍るようになった。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』『789.「絶交の理由 ~嗚呼、素晴らしき音色~」』『797.「姫君の交渉」』にて


・『バアル』→山吹色の毛を持つ、巨躯のタテガミ族。投てき能力に優れ、筋力に恵まれている。シーラの夫。シンクレールに敗北し、オオカミ族の酋長バロックの支配魔術で抵抗を封じられた。詳しくは『Side Alec.「使命と憎悪」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『不死魔術』→『第一章 第六話「鏡の森」』参照


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて


・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『有翼人』→純白の翼を持つ他種族。別名、恋する天使の翼。種族は男性のみで、性愛を共有財産とする価値観を持つ。年中裸で過ごしている。王都の遥か北西に存在する塔『エデン』で暮らしている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『742.「恋する天使の[検閲削除]」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ユグドラシル』→魔王の城の存在するラガニア地方に伝わる、伝説上の大樹。また、大樹ユグドラシルを中心として広がる空想上の国を指す。『幕間.「魔王の城~書斎~」』参照


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『グレキランス』→通称『王都』。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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