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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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873.「若年獣人の長き旅⑪ ~幻覚領域~」

 遠くで低い音が鳴っている。


 長く長く間延(まの)びして、途切(とぎ)れたと思えばすぐにまた鳴って。


 音に耳を()ましていると、やがてそれが段々と大きくなり――。


『ガララララララァァァァアアアアア!!!』


 自分が咆哮(ほうこう)していると知っても、ゾラは(おさ)えようとは思わなかった。身の内が沸騰(ふっとう)して、感情が出口を求めて濁流(だくりゅう)のように押し寄せてくる。


 視界は赤々と燃えていて、自分を始末しに来た三人の騎士の姿が陽炎(かげろう)のように揺らいでいた。


 身を焼く炎を熱いとは思わなかった。高速の槍に突かれた箇所(かしょ)は、すでに痛みが消えている。雷は今も(そそ)いでいるが、痺れすらない。


 現実の痛みの数々は、もはやゾラにとって取るに足らない些事(さじ)だった。


 アンナを返せ。そう叫んだつもりだったが、咆哮にしかならなかった。が、雄叫(おたげ)びは確かに彼の力にはなってくれた。


『うぉ!? マジかコイツそんな速く――』


 言葉が終わる前に、シュルトの首が飛ぶ。


『嘘でしょ、そんな――』


 シュルトの末路(まつろ)に目を奪われたのだろう、イライザは次の標的が自分であることを(さっ)してから矢をつがえるまでの時間を(かせ)ぐことが出来なかった。ようやく矢筒(やづつ)に手をかけたところで、彼女の(どう)に大穴が()いた。


(けが)らわしい獣め! 成敗!!』


 グレッチだけがゾラの速さに対応出来たものの、放った火炎は獣人の身を焼き尽くすには(いた)らなかった。炎の先から飛び出したゾラがグレッチの首に噛みつき、食い千切る。


 ぼとり、と肉片が地に落ちた。


『不味い。食えた物じゃない。俺がアンナを食った……? ふざけたことを……!』


 あっという間に出来上がった三体の亡骸(なきがら)を、ゾラは順繰(じゅんぐ)りに、猛烈な憎悪を()めて(にら)んだ。


 追手を差し向けたのは、きっとあの最低最悪な王に違いない。だが、どうにも()に落ちない点があった。


『こんなことになるのなら、なぜ俺を逃がした』


 なぜこんな馬鹿げた捕縛劇をしなければならなかったのか。捕まえるなり殺すなりしたいのなら、そもそも逃がさなければいい。


 (むな)しい自問だと思って口に出した言葉だったが、意外にも返答があった。それもゾラの背後で。


『逃がした? 君が逃げたんだろう』


 咄嗟(とっさ)に距離を取り、振り返る。


『グレガー……?』


 自分を逃がした張本人(ちょうほんにん)がそこにいた。


 冷厳な無表情。長髪が風に揺蕩(たゆた)っている。


 ここ数日でグレガーの姿は見慣れている。が、目付きが明らかにおかしかった。獲物を前にしたときの獣によく似ている。


『気安く私の名を呼ぶな、ケダモノめ』


『グレガー……これはいったいどういうことだ』


 答えることなく、グレガーは片手を上げた。すると彼の背後に――まるではじめからいたように――巨人の魔物キュクロプスが現れた。


 幻術に違いない。だからこそ、ゾラはその場で呼びかけ続けた。


『どうしてあんたがここにいる? あんたは俺を逃がしてくれたんだろ? もうアンナを救うことが出来ない、俺に出来ることはないって――がっ!』


 やがて振り下ろされた巨人の腕が、ゾラの身体を大地に押し潰した。幻覚とばかりに思っていたそれは、確実に現実の痛みを(ともな)っていた。


 地に伏したゾラが顔を上げると、すでに巨人は消えていた。グレガーだけが最前同様、冷え冷えとした無表情で(たたず)んでいるばかり。


『逃がした? なにを抜かしているんだ、君は。どうやら私の幻術がよほど()いたらしい。真実を教えてやろう』


 グレガーの片腕が下りる。すると、遠方にずらりと黒い影が出現した。それらがタキシム――魔力の(かたまり)を弾丸のごとく射出するのを得意としている厄介な魔物――であることはゾラも心得ていた。ただ、一度にこんな数は見たことがない。


 タキシムの指先が、一斉(いっせい)に自分へと向くのが見える。それから()を置かず、一気に魔力の塊が放たれた。


 立ち上がって回避する時間などない。ゾラは立ち上がりかけた姿勢のまま、全身を撃ち抜かれた。


『君は(みずか)ら鎖を破壊し、地下牢を登り、城で暴れたのだ。その(すえ)に王妃を(さら)い、王都を脱した。道中(どうちゅう)、君が王妃を食料にしたことは農民が証言してくれたよ。なんて(むご)いことを……』


『嘘、だ……』


『嘘ではない。もし嘘が存在するとしたら、君自身の頭にあるストーリーこそが虚偽(きょぎ)だ。おおかた自分の精神を守るためにでっち上げた妄想なのだろう。ところで、妄想のなかで君はヒーローになれたか?』


 次々と魔力が放たれ、ゾラの身がいとも簡単に貫かれていく。痛みは本物で、流れる血も現実そのものだった。


『グレガー、俺はあんたを……』


『黙れ、人食いのケダモノめ。私の仲間をよくも!』


 間断(かんだん)なく注ぐ魔力を浴びながら、ゾラは立ち上がった。足に力を入れると血が噴き出し、ひと呼吸ごとに全身に激痛が走る。


『あんたはアンナを愛していなかったのか? 俺と同じように』


(あき)れたケダモノだ。君の言う愛とは、食い物に対する執着のことだろう?』


『ふざけるな! 貴様、自分がなにを言ってるか分かってるのか!?』


『私は正気だよ、愚かなケダモノくん。狂っているのは君のほうだ』


 なにが正しくてなにが間違っているのか、ゾラにはもう分からなかった。痛みも苦しみも、激しく摩耗(まもう)しながら消えつつある命も、なにもかもが不確かだった。


 だから、ゾラは()え、我を忘れてグレガーに飛びかかった。再び現れた巨人の腕に(はば)まれようと、タキシムの弾丸に貫かれようと、何度でも立ち上がり、吼えた。


 やがて痛みを振り切り、グレガーへと爪を振り下ろす。真っ二つにするつもりだったが、浅く、袈裟切(けさぎ)りにしただけだった。それでも鮮血が(ほとばし)るあたり、人間の身体はあまりに(もろ)いと、ゾラはひとりごちる。


 命が消えていく感覚がある。巨人もタキシムも依然(いぜん)として連撃を放っていて、グレガーは血を流し、蒼褪(あおざ)めた無表情で佇んでいるだけ。


 もはや限界だった。もう一撃グレガーに食らわせてやりたかったが、死があまりに目前まで迫っている。


 ゾラは歯を食いしばり、尾根を真っ直ぐに登った。何度も背を攻撃されたが、それでも足を止めず、必死で進む。


 尾根を越え、崖から落ち、それでもゾラは逃げ続けた。迫り来る死のイメージは濃厚で、走り続けていないと正気でいられないほどである。


 グレガーの追撃はとっくに止んでいて、キュクロプスもタキシムも影すらないというのに、ゾラは駆け続けた。痛めつけられた肉体が悲鳴を上げていたが、それでも足は止めない。


 湖のそばを通過し、樹海にたどり着いても、彼は進み続けた。朝が近くなった頃、ゾラは木の幹に足を取られて転び、そのまま意識が途絶(とだ)えてしまった。





「それで、どうなったの?」


 息を()んで先を(うなが)す。すると玉座の黄金色の獣人は、ほんのりと苦笑して続けた。


「通りすがりの獣人に助けられ、近くの集落に運んでもらった。もちろん、意識を失っている(あいだ)に」


「で、手当てもしてもらったのね?」


 ゾラは満身創痍(まんしんそうい)だったはずだ。手厚い治療を受けたに違いない。


 しかしゾラは首を横に振る。


「いや、俺は無傷だった」


「つまり――」


「傷も痛みも、すべて幻だったということだ」


 なんだ、それなら大したことはないじゃないか――なんて思えない。ゾラが逃げ出すほどの痛みを、幻であるにせよ与えられるなんて。もし『鏡の森』で会ったグレガーが、当時の本気をわたしに見せつけていたら……ちょっと想像したくないくらいだ。


「とりあえずは無事だったわけね。でも、グレガーはどうしてそんなことしたのかしら……」


 わたしの疑問が宙に浮かんで、答えを得られないまま消えていく。


 ゾラはたっぷり沈黙したのち、話を続けた。


「目覚めた俺に、獣人が荷物を渡してくれた。手ぶらだったはずなのだが、気絶した俺はどうしてか、巻紙(まきがみ)を握りしめていたらしい」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『幻術のグレガー』→かつて騎士団のナンバー2だった男。『鏡の森』でバンシーを従え、不死魔術を維持していた。洗脳などの非戦闘向けの魔術に精通している。詳しくは『205.「目覚めと不死」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『キュクロプス』→巨人の魔物。『51.「災厄の巨人」』に登場


・『タキシム』→人型の魔物。全身が黒い靄に覆われている。指先から高速の呪力球を放つ。警戒心の強い魔物で、なかなか隙を見せない。詳しくは『341.「忘れる覚悟」』にて


・『鏡の森』→ハルキゲニアの北に位置する海峡を渡った先の森。初出は『104.「ハルキゲニア今昔物語」』


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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