861.「明朝謝罪劇」
玉座の間に姿を現したゾラは、わたしを見るや否や顔をしかめた。くしゃ、っと。
そんな彼から一歩引いて歩くミスラは、たっぷりの呆れを含んだ苦笑を浮かべている。
朝っぱらから正座で待機する奴を見れば誰だってうんざりするものだ。玉座へと腰かけたゾラが、こっそりとため息を漏らしたのも分かってる。
「お前は客人だ。朝から呼びつけておいて正座はやめろ」
却って失礼な態度になっていることは承知で、けれど足を崩すなんてとんでもない。
すぅ、と大きく息を吸い込む。
乙女たる者、そう易々と頭を下げるべからず。つまりわたしが仕出かしたのは易い失態ではないのだ。
床にキチンと手を添えて、一気に頭を下げた。
「ほんっっっとうに、ごめんなさい!!!」
夜間戦闘を終えて宮殿に戻ったわたしは、運良く寝起きのミスラと鉢合わせ、ゾラが起床したら玉座へ来てくれるよう頼んだのだ。彼女は『客人なんだから大人しくしてなさいよ』なんて言っていたけれど、押し問答の末に折れてくれたのである。
二時間でも三時間でも玉座の間で正座しているつもりだったけれど、ニ十分も経たないうちに二人が姿を現したのだ。なんだか無理に起こしたみたいで甚だ申し訳ない。そんな気持ちも全部籠めて、今わたしは床に頭を擦りつけている。
「頭を上げろ」
すっかり呆れかえった声に導かれて、おずおずと顔を上げる。わたしを見下ろすゾラは、案の定苦々しい表情をしていた。
「昨晩は大変なご迷惑を……」
「謝罪などいらん。さっさと客室で休め」
「いや、さすがに申し訳なさ過ぎて……」
注意して見ると、ゾラのタテガミが少しばかりうねっている。寝ぐせではないだろう。ドルフが断片的に語ってくれたわたしの狼藉のなかに、確かゾラのタテガミを三つ編みにして遊んだとかなんとか……そんなとんでもない暴挙があったっけ。
そればかりではない。酒樽をいくつも空にしたとかも……。
「本当に申し訳ないんだけど、その、昨晩の記憶がほとんど消えてて……でも、大変なことばかりしちゃったのは聞いてて、あの、とにかくごめんなさい」
ゾラはぽかんと口を開け、「覚えていないのか?」と怪訝そうに呟いた。眉間に刻まれた皺が段々と深くなる。
「ええ、そうなの……。お酒を呑むといつも記憶が消えちゃって……」
情けない限りだ。これまで何度も失敗して、そのたびに『もう二度と呑まない』と自分自身に誓いを立てているというのにこのざまだ。
いや、これまでの失敗のほとんどは事故みたいなかたちでお酒を口にしてしまったのだけど。
……そんな言い訳を頭で捏ねくり回したところで事実は変わらない。わたしは昨晩、お酒を呑んで暴れ回った。それが唯一確かな現実で、目を逸らすわけにはいかない。
「お前がなにをしたか全部教えてやろう」
言って、ゾラは立ち上がった。腕組みをして威圧的にこちらを見下ろす。壁から染み出した光が、室内に転がる数々の黄金を反射している。ゾラの瞳に、それら絢爛豪華な煌めきが映えた。
「お前の友人だか知人だか知らんが、小枝のごとき魔術師がいたろう」
「……シンクレールのことね」
「ふん。そいつとの呑み比べに勝った俺に、お前は難癖をつけた」
うわ。なんてしょうもないんだ……。
「獣人の体格と人間の体格ではあまりにも大きなハンデがある。人間二人以上のハンデと言ってもいい。ゆえに、自分が小枝のあとを引き取って戦う。――お前はそう言ったのだ」
「はい……」
ちっとも覚えていないけれど、きっとそうなのだろう。身内の敗北が決まってからごちゃごちゃと言い訳を並べるあたり、救いがたい。それが自分の口から放たれたというのだからゾッとする。
「お前は宴席に用意した酒樽をことごとく空にした。そしてあろうことか一方的に勝利宣言をしたのだ」
『もうお酒ないの? そう。ふっふっふ。じゃあ、わたしの勝ちね!』
『ふざけるな。まだ秘蔵の酒があるが、これ以上は消費出来ないだけだ』
『つまりわたしの勝ちね!』
『おい』
『だってゾラにゃん、わたしより呑んでないでしょ?』
『……ゾラにゃん?』
『そうよ。ゾラにゃん。ルドベキア酋長ともあろうゾラにゃんが潔く敗北を認めないとなると、これは大事件ね。事件と言えば名探偵よ。名探偵クロエにゃんの出番よ。分かった?』
『……意味不明だ』
『天才の思考はいつだって飛躍してるものなのよ。わたしの明晰かつ理路整然とした燦々と降り注ぐ理論を把握出来ないとなると、いよいよゾラにゃんも凡夫ね』
『……頭が痛い』
『ふふっ! お酒のせいね! さすがのゾラにゃんも酔うと大きな猫も同然――あ! 動かないで! タテガミに虫が』
フラッシュバックした記憶が、わたしの自尊心を粉々にしてゆく。
……そうだ。わたしは散々ゾラを煙に巻いた挙句、タテガミいじりに夢中になったのだ。阿呆にもほどがある。そして口では拒絶しながらもわたしを無理矢理引き剥がそうとしなかったあたり、ゾラも相当酔っていたのだろう。
「その節は、大変な失礼を……」
ああ、もう泣きそうだ。お酒の失敗は数あれど、これは人生で一番ひどい。
絶望的な落胆と自己嫌悪にまみれたわたしの耳に、ゾラの短い笑いが届いた。
「俺のタテガミで散々遊んだ挙句、お前はなにを思ったか、ルドベキアで一番上等な布を要求した。なぜか分かるか?」
「……ええと……分からない、です……」
「俺のタテガミにリボンを巻くためだ」
言って、彼はくるりと背を向けた。雄々しく広がったタテガミの一部に、深紅のリボンが結ばれている。ドルフやサフィーロをはじめ、夜間戦闘の間に顔を合わせた全員の身体に巻き付いていたのと同じものである。
玉座の横で、ミスラもくるりとターンする。尻尾の付け根に、やはり同じ色味、同じ質感のリボンが可愛らしくくっついていた。
「あ、え、本当にごめんなさ――痛っ!!!」
本日二度目の土下座は咄嗟だったものだから、床に額をぶつけてしまった。ごつん、と重たい音が頭の内側で反響する。
「あはっ」とミスラが笑う。顔を上げると、ゾラが正面に向き直り、ちょうど口元に手を当てたところだった。目尻に皺が寄り――それからハッとしたように顔が引き締まる。
「あうぅ……あんまり笑わないで……」
額をさすりながら、なんだか情けなさを通り越して無性に笑えてきた。
深呼吸をして落ち着いてから、精一杯真剣な口調で投げかける。
「布もお酒も全部弁償するわ。どれだけの対価が必要かは分からないけど……絶対に弁償する。迷惑料も含めて……」
一秒、二秒と沈黙が積もっていく。
やがてゾラはミスラへ顔を向け、淡々と彼女の名を呼んだ。「ミスラ」
ん?
「はぁい」と彼女は返事するや否や、どこから取り出したのやら、羊皮紙にペンを走らせる。「百年物の酒樽五つ。五十年物の酒瓶二十本。絹の反物がひと巻き。幾らになるかは知らないわ。人間の社会でどれだけの価値があるかは分らないもの」
う。百年物とか、どうなってるのよ……。それに布も、よりにもよって絹だなんて……うぅ……。
「弁償出来まい」
ゾラが頬杖を突き、じっとこちらを見据えた。
勘弁してください――と言いたいところだけど、そういうわけにもいかない。わたしの懐事情なんて問題じゃなくて、これは必要な代償なのだ。シンクレールの分まで負担するのはどうかと思うけど、わたしの仕出かしたことに比べればチンケなものだろう。
返事の代わりに、深々と頭を下げる。今度は額をぶつけないように。
くすくすと、二人分の笑いが室内に反響した。
「冗談だ。酒はともかく、布は請求せん」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイに似た獣人。別名、鉄砕のドルフ。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『ミスラ』→女性のタテガミ族。しなやかな黒毛。多くの獣人と異なり、薄衣や足環など服飾にこだわりを見せている。オッフェンバックの元恋人であり、わけあってゾラに侍るようになった。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』『789.「絶交の理由 ~嗚呼、素晴らしき音色~」』『797.「姫君の交渉」』にて




