9.「視覚共有」
丘を登りきると、周囲を一望できた。魔物の姿はない。小屋とは反対側、なだらかな坂のなかほどにささやかな墓地があり、少しくだって平地を挟んだ先に町が見えた。外周には畑や林が広がり、中心に行くにつれ瀟洒な建物が増えていくようだった。思っていたよりも規模は大きいようで、民家だけでも三百戸はありそうだ。ここであれば王都への道はもちろん、周辺地図も手に入るに違いない。
丘のてっぺんでわたしたちは腰を下ろして、町を見つめていた。
「クロエ。騎士団ってなんでスカ?」
「王都――グレキランスの護衛団よ。分かりやすく言えば」
「騎士はスコップで戦うのでスカ?」
思わず笑ってしまう。「いえ、普段は剣や槌や弓矢、それぞれ得意な武器や魔術で戦うけれど、ありあわせの物を武器にするのも騎士にとって必要なことなの」
戦場に不測の事態はつきものだ。いかなるシチュエーションにも対応しなければならない。それは自分の命のためにも、ひいては住民のためにも必要なことだ。
「騎士のなかでも魔具の所持が認められているのは上位のメンバーだけよ。それも、騎士団を離れたときには返却しなきゃならない」
「騎士団を辞めたのでスカ?」
「わけあって、ね」
新婚気分で浮かれていた記憶は早急に忘れてしまいたかったが、なかなかどうして、簡単に忘れ去ることはできそうにない。
「ところで、ハルは毎晩ああして魔物と戦ってるの?」
「そうデス」
「大変ね……。魔力を上手く制御して、メリハリつけて戦えるようになればもっと楽になるわよ。魔術師に弟子入りするのが一番ね。きっと重宝される。魔力は溢れるくらいあるもの」
羨ましくなってしまう。わたしは魔力の流れや量こそ感じられるが、それは訓練次第で誰でも体得可能な技術だ。一方で魔力量自体は生まれながらのものである。増減はあるものの、訓練で得られるものではない。わたしには人並み程度の魔力しかなかった。昔は魔術師に憧れたものだが、低級訓練校で早々と見込みなしの烙印を押され、代わりに魔具の扱いを学んだのである。
ハルはしばし沈黙してから、ぽつりと答えた。
「ワタシはマスターの人形デス」
「それが嘘だってことくらい、すぐに分かるわよ」
「マスターは大魔術師で、わたしはマスターに使役されているのデス」
「ハルが人形だとしたら、今は身動きひとつできないはずよ。ネロは家のなかでぐっすり眠ってるんだもの。主人の意識が途切れたら人形も眠りに落ちる。人形使いってそういうものよ」
ハルは静かに町を見つめていた。いや、視線こそ町に注いでいるものの、彼女の目には入っていないのかもしれない。物思いに耽っているように見える彼女の横顔は、やっぱり人間としか思えなかった。
「本当に、人形なのデス。マスターは今もワタシと魔力で繋がっていマス。……クロエがどれだけ魔術に詳しくテモ、知らないことはあるはずデス」
確かに、知らないことは山ほどあるに違いない。けれども意識のない人間から魔力を吸い上げるなんて、人形に出来るはずがない。強情に言い張っても仕方がないし、なによりハルの気分を害したところで得るものはなにもない。
「分かった分かった。この話はおしまい」
「なんでスカ、その口調ハ」
「ごめんごめん」
「マスターをばかにすると怒りまスヨ!」
ハルはあくまで真面目な調子だった。信じるか否かは別として、嘘を言っているにしては随分真剣だった。というより、人形も怒るのか、と可笑しくなってしまう。
「ばかにしてないってば。ごめんって」
ハルは頬を膨らませてそっぽを向いている。感情豊かな人形もいるものだなあ、とついついからかいたくなってしまったが抑えた。
「そういえば毎晩魔物と戦っていて、ネロが襲われたりすることはなかったの?」
「ありまセン。魔物は魔具に引き寄せられマス」
「ふうん」
有り得ない、と思った。魔物は魔具に引き寄せられるのではなく、魔力に引き寄せられるのだ。魔物は人間の魔力を求めて夜な夜な現れる。誰の身の内にも微量ではあるが魔力が宿っている。それが魔物の餌なのだ。そしてより強い魔力があれば、そちらに向かうのが彼らの習性なのである。もしネロが魔術師なのだとしたら、とっくに襲われているに違いない。自身の全魔力をハルに仮託しない限りは。
「ネロが偶然起きてきたりしないの?」
「起きることはあっても、外に出ることはできまセン」
「どうして?」
「目が見えないからデス」
ああ、悪いことを聞いてしまった、と少し後悔する。やっぱりあの子は盲目なのだ。しかし昼間の様子を見ていると、物の位置や空間の把握に関しては長けているように思えた。
「それは……昼間でも同じじゃないの?」
「昼間、マスターとワタシは視覚を共有していマス。ワタシがマスターの目になっているのデス」
視覚共有。なるほどと思う。確かに、それぐらいであればハルの魔力で難なくできるだろう。自分の視覚を特定の人物に提供するようなかたちで。視覚に魔力を集中し、相手のそれに上塗りするような魔術は王都にもあったし、騎士団にも使い手はいた。ただ、双方に信頼関係がなければ成立しない魔術だったので用途は限られている。
盲目の少年に視界を与える。それは賢い魔術の使いかただろう。
「なるほど……。で、夜は恐い思いをさせないように共有を遮断しているのね」
「そうデス」
そうすると、あくまで魔力を発信しているのはハルの側であり、ネロは受信側でしかないことになる。この意味でも、ネロが人形使いでないことが明らかだ。あえて口には出さなかったが、わたしは二人の魔術的な立場を理解しつつあった。このごっこ遊びの終わりを、ハルはどのようにイメージしているのだろう。あるいは、永久にこれを続けるつもりなのだろうか。
わたしの思考は中断された。おそらくはハルも同様であろう。
「さて、もうひと仕事ね」
「そうデス。しっかり働いてくだサイ」
その日、わたしたちは朝日が昇るまで戦いと休息を繰り返した。
【改稿】
・2017/8/19 下記項目を修正
視界共有→視覚共有
・2017/11/16 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。




