856.「バスルーム・パーティ」
事のはじまりから話すから、ちゃんと最後まで聞いておくれよ。これがまた波乱万丈なんだ。びっくりして腰を抜かしても大丈夫なように、ぜひベッドで聞いてほしいものだね。
……あ、椅子でいい? そう。眩暈がしたら言っておくれ。ちゃんと介抱してあげるからね。なんたって僕はクロエの――あ、はい、分かった。話を進めるよ。
僕はこの素晴らしく豪華な部屋で衣装を選んでから浴場に向かったんだ。真っ直ぐね。ところで衣装選びについて話してもいいかい?
駄目?
お願いだから! いや、だって、君だって不思議に思ってるんじゃないかい? あれほどバリエーション豊かな服のなかからどうしてローブを選んだのかってことが!
夜会にぴったりな燕尾服だとか、ミステリアスなコートだとか、そういうもののなかからどうして僕がローブを選んだと思う? どうしてだと思う?
あ、うん、正解。やっぱりいつも通りの服が一番落ち着くからね。それに、あんまり派手な変身をキメてしまうと君がびっくりするんじゃないかって……ふふふ。『まあシンクレール! 男前じゃない!』なんて言われたら僕だって天にも昇る気持ちになるけれども、そこは、ほら、服の力に頼らないでなんとかしたいものじゃないか。
あ、お水ありがとう。
ふぅ。少し落ち着いてきたよ。
そうそう、浴場に向かったところだったね。ところで君は浴場を見たかい? え、それは勿体ない! ぜひ入ったほうがいいよ。本当に豪勢で、お湯もちょうどよくって、まさに極楽さ。獅子顔のモチーフからドバドバお湯が出ててさ、浴槽はちょっとした水泳訓練が出来るくらい広いんだ。で、なんと言っても浴場全体が綺麗なタイル張りでね、石鹸だってたくさんあるんだよ。僕は三回も身体を洗っちゃったよ。すべすべになるんだ、これが。
ほら、触ってごらん。あ、そっか。うん、続けるね。
身体を洗って、浴槽で休んで、また身体を洗ってを三回繰り返した僕は、さて四回目の石鹸塗り込み作業に入ろうかと思って浴槽から出ようとしたんだ。そのときなにが起きたと思う?
僕の足が、こう――ガシッ! と掴まれたんだ。
ごめんなさいごめんなさい、つい魔が差して……。もうしないから、ほら、椅子に掛けておくれ。
……続けるよ。浴槽には僕ひとりだけだったのに、なぜか僕は足を掴まれたんだ。しかも水中からだよ。驚いたのなんのって……。僕は生まれてから一度もお化けなんて見たことがないし、そんなもの信じてもいなかったけど、このときばかりはゾッとしたね。『すわっ! 幽霊!』ってな具合に。とうとう僕もオカルティックな世界の仲間入りを果たしたのかと思ったよ。
そう、君の言う通りお化けなんかじゃなかった。なんてことはないよ、人魚さ。獅子の口から出てきたんだって。どうも水源はルドベキアに流れる川みたいで、それを魔術かなにかで汲み上げて、温めて、浴槽に流し込んでるみたい。
で、人魚が次々と浴槽に入ってきてさ……むふ……ちょっとしたハーレム――失礼、なんでもない。ひとりで湯浴みを楽しんでたのに、たまったものじゃないよ、まったくもう! で、君も知ってるだろうけど人魚の族長のメロもどこかからやって来てさ、もうしっちゃかめっちゃかさ! 彼女、陸も泳げるだろ? 『黄金宮殿』は泳げる場所と泳げない場所があるみたいだけど、浴場から貯蔵庫までは行けるみたいでさ、それでピンと来たのさ。貯蔵庫にお酒はあるかい、って。
さながら僕は戦場の指揮官だったよ。『メロ殿、今度の任務は危険を伴うが……任せてもいいか?』『ウチを誰だと思ってんのさボス。失敗知らずの、アンタの右腕だぜ?』
そしてメロはやり遂げたのさ。ブドウ酒をひと抱え。そしてパーティがはじまったのさ。
……クロエ、なんだかすごい顔をしてるよ。僕は、ほら、普段は冷静沈着で物事の分別をわきまえた人格者だけれど、へへ、やっぱりあれだけの女の子の前だと気が大きくなっちゃうこともあるのさ。そういうものなんだよ。あ、でも一途だから、そこは疑わないでほしいものだね。
ああ、うん、続きね、続き。
僕たちはどんちゃん騒ぎをしてたわけだけど、まあ、バレるよね。浴場の入り口にゾラの姿を見つけたとき、僕は心臓が止まるかと思ったよ。
いやあ、お酒って怖いね。そのときの僕はすっかり上機嫌だったから、ゾラにも一杯勧めたのさ。『僕の奢りだ! じゃんじゃん飲もう!』
……一気に酔いが醒めちゃったよ。気付いたら僕は浴場のタイルに額を押し付けてて、人魚はすっかり消えてた。いや、別に暴力を振るわれたわけじゃないよ。いやあ、すごい威圧感だねゾラは。
で、『そんなに呑みたいなら今晩呑み比べをしろ』と言われたんだ。僕が勝ったら今回の無礼は許す。負けたら……弁償だってさ。
なんて器の小さい男なんだ、と思ったよ。一瞬ね。でも、違うんだ。ゾラは僕と決闘――つまり飲み比べをしたかったのさ。で、どうせやるなら賭けなきゃつまらないって寸法だよ。男ってそういう生き物だからね。実のところ勝負にこそ価値があって、報酬だとかは二の次ってパターンが多い。
けど、さすがの僕もビビったね。あのゾラと決闘か、って。
でもね、不思議なことに、君にこうして話してるうちに自信が出てきたよ。今じゃちっともゾラなんて怖くないさ。きっと僕は負けない。君に勝利を捧げよう。
え? 『馬鹿じゃないの』って?
ふふ……男は馬鹿な生き物さ。プライドってものがなによりも大事なのさ。きっと君の目には愚かに映るだろうね。笑っておくれ。でも二言はないよ。僕は勝つ。君のために勝つ。
あ、どこ行くの?
――おっと、レディに行き先をたずねるのはマナー違反だったね。忘れておくれ。僕はゆっくりここで待っているよ。
部屋を出ると、至極当たり前のようにため息が出た。濃ゆい濃ゆいため息だ。
心配して損した。完全にシンクレールの自業自得だし、勝手に決闘して勝手に負けてほしい。そして決闘以前に、弁償するのは当たり前の話だ。
「ふぅ」
さて、ゾラはどこにいるだろう。
シンクレールの長話から解放されたかったのもあるけれど、なによりさっさとゾラに謝罪したかった。これじゃ彼のなかにある『人間』のイメージは最悪になってしまう。もちろん獣人にとって人間は憎悪の対象で、これ以上下がらないほどに評価が低いのかもしれないけど、種族と個人はあくまで別物だと考えたい。現に、わたしに対して随分と良くしてくれてるし……。
浴場に向かうと、ちょうどゾラが出てくるところだった。なにやら桶を抱えている。
「ゾラ! ――あ」
浴場の入り口まで来ると、彼が手にしている桶に大量の酒瓶が入ってるのが分かった。
片付けすらしなかったのか、シンクレールめ……!
「なんだ、女」
「女じゃなくてクロエよ」
「なんだクロエ。俺は忙しい。貴様の連れ合いのせいでな」
あ、完全に怒ってる。これもう、どうしようもないやつじゃ……。
とはいえ、相手の態度など関係なしに謝罪は必要なものである。
呼吸を整え、深々と頭を下げる。
「シンクレールがご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい。人魚も勝手なことばかりして……どうお詫びしたらいいか……」
「どうでもよい。貴様らの行いにかかわらず貴様らは客人であり、俺たちの態度は変わらん。無礼を無礼と思わない厚顔無恥な愚物にも、等しい待遇で接しよう」
「うっ……確かに、シンクレールはとんでもない酔っ払いです。ただ、その……人間全体というか、『灰銀』全部が失礼なわけではないので……あぅ……その、ごめんなさい。お酒とか色々、ちゃんと弁償します」
「顔を上げろ。……クロエ。お前の言ったことは道理だ。獣人にも様々ある。人間も同様だろう。俺たちが種として人間を憎んでいようと、個人へのそれはあくまで別個だ」
ああ、よかった。
顔を上げると、ゾラの口元がやんわりと緩んでいるのが見えた。笑顔だろうか。
「そして道理に基づいて、あの棒切れのような魔術師は今夜叩き潰す。決闘だ」
あ、目が全然笑ってない……。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『黄金宮殿』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




