854.「生きる権利を地の底に」
半馬人たちと離れてから、わたしとシンクレールはまずハックに会うことにした。決闘以降、彼と言葉を交わしていないわけで、約束通り勝ったことをちゃんと自分の口から報告したかったし、これまでの彼の苦労だってしっかり労っておきたかったのだ。
それとは別に、不安もあった。『灰銀の太陽』の半数を犠牲にすることが既定路線だったことについて、メンバーがまったく知らずにいるわけはない。真実を知ったなら、元凶であるシャオグイよりも先にまずハックを問い詰めるはずだ。彼はきっと上手く切り抜けるだろうけど、それでも心配ではある。
しかし残念ながら、わたしたちがハックと言葉を交わすことは出来なかった。なんてことはない、深く寝入っていたのである。たまたま路地で見かけた竜人に案内を頼み、ハックの休んでいる家屋で彼の寝顔を見たわけだけれど、起こすのも忍びないし、待っていても起きる気配さえなかった。なので一旦諦めることにしたのだけれど、収穫はゼロではない。わたしたちを案内してくれた竜人が言うには、末端集落で待機していた『灰銀』のメンバーがルドベキアに向かっていて、明日の朝には到着するらしい。そのときに、仲間をあえて犠牲にしたことについての詰問をすると竜人は息巻いていた。『審判』を執り行う、とまで言ったのである。
気の重さを抱えながら家屋を出て、わたしたちはともかく宮殿へと向かったのである。いい加減お腹が空いていたのだ。なにもゾラに食事をせがむわけじゃなくて、自分の荷物のなかに干し肉があったことを思い出しただけだ。サーベルも布袋も回収せずに出てきてしまったわけで、戻らざるを得なかった。
かくして『黄金宮殿』まで帰ってきたのだけれど、前庭ではまたもや騒動が起きていた。
『骨の揺り籠』の住民が宮殿の入り口へと詰めかけていたのである。
「それ以上近寄るな、不具ども!」
宮殿の入り口では衛兵二人が槍をかまえて牽制している。
「ゾラはまだか! 遅いぞ!」と、『骨の揺り籠』側から野次が飛ぶ。
「じきお目見えになる! 大人しく待っていろ!」
一触即発……というわけでもなさそうだ。衛兵は前庭の中央に座す巨獣――リフを気にして大胆に動けない様子だし、『骨の揺り籠』の住民も口は威勢がいいけれど、明らかにタテガミ族に怯えている。
ちょっと失礼、なんて言って宮殿に入れるような状況ではなかった。
「あれが……『骨の揺り籠』の獣人かい?」
小声で囁くシンクレールに、「ええ」と短く返す。彼はいかにも興味深そうにリフを見上げた。
「あんなに大きな身体なら簡単に抵抗出来そうなものだけど……」
みすみす『異形の穴』に落ちたのが不思議なのだろう。シンクレールははじめてリフに会うわけで、彼の性格はもちろん知らない。見た目で判断してしまうのも頷ける。
「優しいのよ、リフは」
「ふぅん……」
優しくて、繊細で、そして臆病だ。今だって中央に堂々と座しているけれど、よく見れば震えているし、どことなくほかの獣人に守られているような趣さえある。彼の頭に乗った老人――キージーは、林檎の樹を支えにしてじっと宮殿を見下ろしている。
『骨の揺り籠』の住民はわたしたちに気付いていないようだった。誰もがこちらに背を向けている。そのなかにひとつ、ちんまりした姿があった。人波を掻き分けることが出来ず、しんがりでぴょんぴょんと跳ねている。「見えないんでい! 見えないんでい!」なんて声が聞こえた。
やがて、ちっこい獣人がこちらを振り返った。見事なタヌキ顔である。『骨の揺り籠』からルドベキアまでの道中で、わたしの後ろを歩いていた強がりな獣人だ。
彼はテテテテとちょこまか走り、わたしの足元まで来た。
「おう! おめえ、やるじゃねえか! ゾラを倒したんだってな! ところで肩貸してくれぃ!」
タヌキ顔はそう言って、わたしのスカートをぐいぐい引っ張る。
「分かった分かった。あんまり引っ張らないで。借り物なんだから」
「早く肩車しろぃ!」
自分が代わりに、と進言したシンクレールを押しとどめ、タヌキ顔を肩車した。たいして重くはない。サイズも小人より少し大きいくらいだし、全然平気だ。
「クロエ、戦いの後なんだからあんまり――」
「大丈夫。心配ありがとう」
それに、なんだかタヌキ顔のこだわりない態度が嬉しかったのだ。あんなにも異常な戦闘をしたわたしに変わりなく接してくれるなんて。もちろん、タヌキ顔の獣人が余すところなくすべてを――紫に変化した肌も含めて――しっかりと目にしたわけではないだろう。それでも嬉しいものは嬉しい。
「もっと前に行くんでぃ!」
「はいはい」
ちらほらと、こちらを振り返る顔がある。彼らは一様に好意的な表情を浮かべた。そのどこにもわたしという存在に対する畏怖だとか嫌悪感は感じられない。
「クロエよ。よくぞ勝利した」
リフの上に乗ったキージーがこちらへ呼びかける。威厳を演出しようとしている口振りだけれど、顔にはどうにも優しい皺が刻まれていた。
キージーの呼びかけをきっかけに、わたしは『骨の揺り籠』の獣人に囲まれ、ほとんど揉みくちゃになってしまった。賛辞の声が飛び、遠慮なく背を叩かれる。
「お、おい! あんまり揺れると落ちるんでぃ!」
むに、と両頬が肉球に挟まれた。悪くない感触だけど、少し落ち着いてほしい。
「みんな君に懐いてるね」
シンクレールの声がして、振り返ると彼は揉みくちゃにされるわたしを少しばかり距離を置いて眺めている。いっそ巻き込んでやろうと手を伸ばした刹那――。
「ゾラ様のお目見えだ! 静まれ不具ども!!」
衛兵の声が轟き、賛辞やらなにやらが一斉に消える。
宮殿の回廊から、堂々たる歩調で進む黄金色の獣人が見えた。
ゾラは入り口を出てすぐのところで足を止め、ずらりと居並ぶ獣人を――そしてわたしも――眺め渡した。
「俺になんの用だ」と、ゾラはひどくつまらなさそうに言う。
すると、わたしの上でタヌキ顔が拳を片方、振り上げた。「なんの用だと? とんだご挨拶だなぁ! きんきらりんのタテガミめ! てめえなんて――ひぃっ」
言葉の途中でゾラが睨みをきかせ、タヌキ顔は短い悲鳴を上げた。そして、こそこそとわたしの顔を盾にしている。
まったく、小心者なんだから……。
「おほん」と咳払いをしたのはキージーである。「ルドベキアの長よ。わしは貴様らに捨てられた者――『異形の穴』の底に住む棄民の長老じゃ」
「……」
ゾラはじっと押し黙って、キージーとリフを眺めやっていた。相変わらず暴力の気配が漏れ出ている。威勢がよかったのは先ほどのタヌキ顔ばかりで、ほかの獣人はすっかり委縮していた。
「穴の底の民がなんの用だ」
「わしらはルドベキアから――」と言いかけて、キージーは首を横に振る。「いや、言うまい。……わしらは捨てられ、死者として扱われてきたことは想像出来るな? 『異形の穴』がどのように使われているか知らぬわけではあるまい」
「知っているが、それがどうした?」
遥か頭上で鳥の鳴き声がした。爽やかな、唄うように間延びした声だ。その旋律を挟んでキージーが続ける。絞り出すように。
「わしらに生存権を認めてくれんか。ほかの集落と同じように、一個の共同体として」
再び、頭上高くで鳥が鳴いた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『リフ』→『骨の揺り籠』の住民。巨人の魔物キュクロプスと、タテガミ族とのハーフ。巨大な身体を持ち、頭には林檎の樹が生えている。夜会卿の統べる街で女性研究者によって生み出された。夜会卿の妾を誤って殺してしまった結果、使用人をしていたキージーとともに街を追放された。臆病な性格。幻覚の魔術を使うことが出来る。詳細は『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて
・『キージー』→『骨の揺り籠』の長老。かつて夜会卿のもとで使用人をしていたが、リフとともに追放された。詳しくは『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『骨の揺り籠』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて
・『異形の穴』→樹海に空いた巨大な穴。身体的にハンデのある獣人を葬るべく、暗黙のうちに使用されている。詳しくは『807.「一度死んだ者たち」』にて
・『黄金宮殿』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




