853.「追放処分」
それからわたしたちは、お互いに近況報告をしながらてくてくと街を歩んだ。シンクレールはオオカミ族の集落を出てから今に至るまでの経緯を、わたしはルドベキアでの交渉の模様をざっくりと話した。
もはや直近の脅威はない。だからだろう、途中でリリーがうつらうつらとしてしまって、クラナッハが彼女を休ませると言ってわたしたちと別れた。ヨハンは彼女にがっしりと腕を掴まれてしまって、同伴する運びとなった。バロックもそちらについていくことになり、今はわたしとシンクレール、そしてゴーシュとルナルコンの四人で通りを歩いている。
「――というわけで、これからのことは明日話す予定になってるの。だから今日はのんびりするといいわ」
現状までを話し終え、隣を行くシンクレールを一瞥する。と、彼は一拍遅れて不器用に笑った。
「やっぱり君には敵わないよ。ゾラを倒して、その上ちっとも疲れていないだなんて……」
彼の目がほんの少し恨めしそうに歪む。それから「僕には素直になってくれても」なんて口のなかでもごもごと呟いた。
まあ、強がりを言っているように聞こえて当然だろう。相手は勇者一行のひとりで、しかも獣人の頂点に座す男だ。シンクレールはゾラの強さを直接目にしてはいないはずだけど、簡単な相手じゃなかったことくらいは細々と説明せずとも理解しているに違いない。事実、ゾラは異常に強かったわけで、疲労も傷もすっかり癒えてしまったわたしがおかしいのだ。ただ、それを一生懸命主張したところで虚しい。
「決闘のあとに少し休憩したわ。だから元気なの」
「……本当に?」
「ええ」
「……分かった。これ以上心配したりしないよ。でも、自分の身体は大事にするんだよ。君が倒れたりなんかしたら哀しいから」
眉尻を下げてわたしを覗き込むシンクレールに、なんだか安心してしまった。彼は、わたしの目に映る限り変わらない。シンクレールが過酷な道を歩んだことは彼自身の口からすでに語られていて、もしかすると価値観だとか感情の一部だとかが決定的に変わってしまったんじゃないかと思っていたのだ。もちろん、変化それ自体は否定すべきものではない。でも、こうしてわたしの知るシンクレールがそばにいるということがとても幸福に感じた。
「ご心配どうも。でもわたしは平気よ」
少なくとも肉体的には。気持ちも今は落ち着いている。
「クロエ」
シンクレールが立ち止まる。少し遅れて、わたしは足を止めて振り返った。先を行くゴーシュとルナルコンの蹄の音も止まる。
「なに?」
「生きててよかった」
「あなたもね、シンクレール」
彼のことだから、道半ばで倒れることなんてないとは思っていた。それは、心配していないこととイコールではない。
「君は僕よりずっと強くて勇気があるけど、ほら、少し無謀だから……怪我してないかと思って」
耳元でゴーシュが囁く。「我々はデビスを探します。ごゆっくり」
蹄の音が遠のいていった。
まったく、変な気の遣い方をする半馬人だ。
「シンクレール。あなただって人のことをどうこう言えないわ」大袈裟に口を尖らせてみる。「二重思考なんて誰に習ったのよ」
「ヨハンからだよ。『煙宿』で呑んだときにコツを聞き出したんだ。ぶっつけ本番だったけど、なんとかかたちになってくれたよ」
「あなたらしくない無謀さね」
「そうでもしなきゃ出し抜けない相手だったってことさ」
「あ。自分も無謀だって認めたわね?」
「君に毒されたのさ」
「なにその言い方。失礼しちゃう」
わざとらしく頬を膨らませて、それから、わたしたちはほとんど同じタイミングで噴き出した。
一瞬。ほんの一瞬だけ、シンクレールの背後に見慣れた景色が浮かんだ。踏み荒らされ、ところどころ禿げた芝。錆びた鉄柵。煉瓦造りの巨大な建築。
騎士団本部の訓練場の景色である。見習いの時期、わたしたちは多くの時間をそこで過ごした。夜を乗り越えるだけの力を手にするために必死だった時代だ。お互い、戦い方について意見をぶつけ合って、喧嘩っぽくなったこともしばしば。
昔のわたしと今のわたし。それが地続きであってほしいと思う。あの時代から遠く隔たってしまったとしても。
わたしが迂闊にもそんなことを思ってしまった直後――。
「なんだか騎士見習いのときを思い出すよ」
ハッとして、それから、自然と吐息がこぼれた。
「わたしも同じことを考えてたわ」
わたしが泣かずに済んだのは、さっきたくさん涙を流したからだろう。
いくつかの親密な会話と、素直な表情の交換。それらは唐突に遮られた。
通りの先でざわめきが聴こえたのだ。わたしたちのいる位置からそう遠くなく、そしてゴーシュとルナルコンの向かった方角である。
駆け足で通りを進むと、嫌な予感が的中した。
通りの中心には腕組みをしたデビスが屹立しており、その周囲にはずらりと半馬人が控えていた。彼らの向かいには、ゴーシュとルナルコンの姿。家々から覗く野次馬は、いずれも『灰銀の太陽』に所属しているトロールやら竜人やらだった。どうやら、このあたりで『灰銀』がまとまって休息しているようである。
二人のそばまで来ると、ゴーシュがこちらを振り返った。彼は鋭利な一瞥を投げただけで、すぐにデビスへと向き直る。
一瞬の視線の交差で、ゴーシュの意志はすぐに理解出来た。なにが起こっても口出しするな。言葉にせずとも、目付きひとつで彼は雄弁に語って見せたのである。
「報告を聞く限り」デビスはわたしとシンクレールを意に介さず、厳格な口調で言葉を紡ぐ。「ルナルコン、お前の魂は穢れている」
ルナルコンは間髪入れずに「その通りです」と返す。
「そして、ゴーシュ。お前はシャオグイの薬を飲み、自らの寿命を力に変換した。その意味は理解しているか?」
「自死に等しい行為だと、そう認識しております」
頬の内側を噛み、ゴーシュの背を見上げた。彼がハンジェンを討つべくリスクを負ったのは、先ほど聞かされたばかりだ。リリーと別れてすぐに、シンクレールとゴーシュは互いに互いの言葉を補いながら、『異形の穴』での顛末を語ってくれたのである。
本来はデビスに与えられた、シャオグイの丸薬。ゴーシュはそれを盗み、ハンジェンとの戦闘の際に呑み込んだ。寿命の大半と引き替えに力を得る薬だ。
「我々半馬人にとって、天命を捨てるなど言語道断。ゴーシュ。お前の魂も穢れている」
「……存じています」
「にもかかわらず、なぜ我々の前に姿を現した?」
「感謝と、謝罪のためです」
ゴーシュはきっぱりと返し、頭を下げた。
「ワタシたちの魂は救い難く穢れました。が、これまで半馬人として生かしていただいたことを深く感謝いたします。そして、このような結果となったことを……心からお詫びいたします。赦しは求めません。どうぞ、追放してください」
一拍遅れて、ルナルコンも頭を下げる。
わたしは彼らを眺め、半馬人としてのイデオロギーにこだわっていたゴーシュを思い出した。彼は魂の穢れをなにより嫌っていたのだ。いや、ゴーシュに限ったことではない。ルナルコンもそうだし、きっとすべての半馬人が同じ価値観を大切にして生きているのだろう。
しばしの沈黙を置いて、デビスは淡々と告げた。
「ゴーシュならびにルナルコン。両名を追放処分とする。以後、半馬人として扱うことはない」
「……甘んじて受けます」
ゴーシュの返答を受け、どうしてかデビスは口角を上げた。ほんの一瞬だけ。すぐさま表情を硬く厳しいものへと戻し、続ける。
「さて、ここからは独り言だ。……これまで半馬人は他種族と積極的にかかわることなく生きてきたが、今回の一件でそれも見直すべきものと考えている。ひとつの種族に達成出来る物事には限りがあり、また、問題に直面した際にも困難が伴うからな。そしてほかの種族を受け入れて生きる上で、彼らの在り方も尊重する必要がある。我々には我々の確固たる価値観があるが、あちらはそうではない。……皆の者、分かるな?」
困惑交じりのまばらな頷きが、そこここで起こる。
デビスはたっぷり間を置いて、こう結んだ。
「ゴーシュならびにルナルコン。お前らはもはや半馬人ではないが、『灰銀の太陽』として我が同胞の魂を解放した功績がある。それを讃えずにおくのは忍びない。ゆえに、もしお前らが望むなら、我々は客人として無期限に受け入れよう」
わたしはシンクレールに目で合図を送り、その場をあとにした。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて
・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『ルナルコン』→『灰銀の太陽』に所属する女性の半馬人。ツンデレ。腕を槍に変化させる魔術を使用。ゴーシュやファゼロとともに、クロエたちを救出した。『灰銀の太陽』のアジトへ向かう途中、デュラハンの引き付け役を請け負って以来、行方知れず。詳しくは『619.「半馬の助け」』『Side Runalcon.「いずこへ駆ける脚」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて
・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『二重思考』→魔具職人のコーティング技術が外部に出回らないように使用されている魔術。あくまでも噂であり、全貌は不明。実態は記憶の一部を思い出せなくする魔術。詳しくは『26.「アカツキの見る世界」』『257.「すべては因果の糸に」』『271.「二重思考」』にて
・『丸薬』→寿命と引き替えに一時的な力を得る、特殊な丸薬のこと。シャオグイが所有していたが、『灰銀の太陽』の代表的なメンバーの手に渡っている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『煙宿』→王都の北に広がる湿原の一角に存在する宿場町。ならず者の理想郷とされ、出自を問わず暮らすことが出来る。要人や富裕層の住む『不夜城』と、一般的なならず者の住む『ほろ酔い桟橋』に区分されている
・『異形の穴』→樹海に空いた巨大な穴。身体的にハンデのある獣人を葬るべく、暗黙のうちに使用されている。詳しくは『807.「一度死んだ者たち」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




