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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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848.「決闘終結」

 視界がぐるりとめぐる。ゾラの顔、金の毛、傷だらけの腕――そうした近景から、光の粒舞う遺跡の遠景が目まぐるしく移り変わり、いつの()にか目の前には苔むした地面が大写しになっていた。


 そうした景色を感じ入るだけの余裕なんてなくて、わたしは痛みに耐えるだけで精一杯だった。寄せては返し、果てがない。叫び出したいくらいなのに、喉が(うめ)きすらも拒絶している。


 痛みにもがいているうちに身体が仰向(あおむ)く。薄く開いた瞼の先には、こちらを見下ろす獣の巨体。微光がゾラの顔に複雑な陰影を描いている。


 ああ、駄目だ。立たなくちゃ。サーベルを回収して距離を取るんだ。この戦闘にどれほどのものがかかっているか、ちゃんと理解しろ。それらに比べればわたしの命なんてちっぽけなものじゃないか。


 しかしながら、そうした自分自身への叱咤(しった)は身体に届いてはくれなかった。痛みを超えるだけの力にはなってくれなかった。


「ゾラ様の勝ちだ……」

「最後に立ったのは、ゾラ様だ」

「俺たちの――『緋色(ひいろ)』の勝ちだ!」


 歯を食い縛り、腕に力を()める。


 立つんだ、わたし。誰がなんと言おうとまだ決闘は終わってない。終わっちゃいけない。痛みを超越出来るのなら、ゾラを倒せるのなら、わたしはなんだって――。


 ふ、と全身の力が抜けた。


 脳裏(のうり)に浮かんだ紫の手。ゾラの喉を貫く寸前(すんぜん)に視界に訪れた、わたしの錯覚(さっかく)


 なにもかも失ってもかまわないのなら、どうして最後の瞬間、容赦(ようしゃ)なんてしたの?

 勝つためなら化け物にだってなるだなんて、そんな嘘で自分を誤魔化してるの?

 全部を賭ける覚悟があったんじゃなくて、本当は、最後にひとつだけ線を引いてるんじゃないの?


 言葉の刃が頭で旋回している。わたしはそれらの凶器を、ひとつとして(はじ)くことが出来ない。


「立て」


 さほど大きくはない声が、ノイズと痛みでまともとは言い(がた)い耳に不思議と鮮明に入り込んだ。金色(こんじき)の獣は無表情にわたしを見下ろしている。先ほどまで失われていた理性が瞳に宿(やど)っているように見えたのは、たぶん錯覚じゃない。


「立て、女」


『緋色の月』の獣人が叫ぶ(とき)の声にも、ゾラの声は()き消されなかった。


「む、()っ」


 無理、と言おうとしたんだけれど、変な具合に言葉が(よじ)れてしまった。でも、結果的には同じことだったろう。


 ため息。背と足の下に、乱暴に差し込まれた腕。浮遊感。近くなるゾラの顔と胸。


 え。


 なんで抱き上げられてるの、わたし。


 歓声がざわめきとなって、やがて静寂が取って代わった。


「聞け」


 ゾラの声は静かで、けれどなにものにも掻き消されない。よく通る声と言えば月並みだけれど、奇妙なくらい浸透力(しんとうりょく)のある声だった。声色(こわいろ)(じつ)に落ち着いていて、戦闘中の咆哮(ほうこう)や罵詈雑言の数々と同じ口から(あふ)れているのが信じられないくらい。


「決闘は、この女の勝ちだ」


 返る声はひとつもない。ざわめきの欠片(かけら)さえなくて、息を呑む(かす)かな緊張が伝わった。


 わたしの勝ち。それがゾラの口から語られたことが、どうにも理解出来なかった。痛みと疑問、そして驚きがわたしのなかで互いにせめぎ合っている。


「ゾラ様……それはどういう?」

「説明を、説明を求めます! これではあまりにも……」

「や、八百長(やおちょう)と言われても……」


 薄目を開けている場合じゃなくて、わたしはただただゾラを見上げていた。彼はギャラリーをじっと見据(みす)え、口を(つぐ)んでいる。そうしているうちにどんどん不満が強まっていった。


(なさ)けをかけるんですか!?」

「誰がどう見てもゾラ様の勝利でしかない!」

「そうだ! 現に女はもう戦えない! しかしゾラ様はご健在ではありませんか!」


 やがて「こうなったら力づくでも」と、なんとも不穏な言葉が聞こえた。まだ遠慮はあるだろうけど、このまま放っておけば暴動になりかねない。そんな絶妙なタイミングで、ゾラのω(ウィスカーパッド)が微動し、鋭い牙を()いた。


「俺の決定が不服か?」


 こわ……と、ほとんど反射的に思ってしまった。静かな威圧(いあつ)露骨(ろこつ)な威嚇よりも(かえ)って恐ろしい。


 一瞬にして静まり返った前庭を彼はゆっくりと見渡した。


「この女は、俺を殺した」


「え」


 痛みを押しのけて、疑問が一音となって口からこぼれる。ゾラはわたしを一瞥(いちべつ)し、それからギャラリーへと顔を向けた。


「最後の一撃で、女は俺を殺すことが出来た。この俺も死を意識した。敗北を理解した」


「し、しかし、ゾラ様は生きております!」


「結果的に生かされたのだ。それはこの女の選択であって、俺はあの瞬間、俺自身のなかでは疑いなく殺されていた」


 薄いざわめきが遠慮がちに広がる。わたしたちの戦闘が彼らの目にどう映ったのか、それは(さだ)かではない。そもそもまともにわたしたちの動きを追えていた者はいるのだろうか。なにもかもが赤と金に塗り潰された嵐のなかで、わたしとゾラは満足な孤独を、完結した世界を味わっていたのだ。


 ゾラの頭上に金の粒が舞う。ルドベキアを照らす微光とは別の光だ。それらはやがて、ひとまとまりの文字へと収斂(しゅうれん)した。


『決闘の勝者はクロエ嬢です。ほかならぬゾラさんがお認めになったのですから』


 ルドベキアの――つまりは獣人の頂点に君臨(くんりん)するゾラの決定を(くつがえ)せる者は、おそらくいないだろう。ヨハンの文字を見上げてしみじみと思った。


「異論のある者は前に出ろ。決闘の機会をやる。先ほど女に見せた半分の力でもう一度戦ってやろう」


 進み出る者は誰もいなかった。


 一秒、二秒と沈黙が積もっていく。きっかり十秒後に、ゾラが再び口を開いた。


「これより俺たち獣人は――『緋色の月』は、『灰銀(はいぎん)の太陽』に拝跪(はいき)する。それが敗者の定めだ」


 拝跪って、それはさすがに……。と思ったけれど、やっぱり痛みで言葉を発するどころではない。ほんの少しの声が出せただけでも奇跡的なくらい、今のわたしはひどい状態にある。


「それはありがたいことではありますが、少々言葉が過ぎますね」


 黒山羊――ヨハンが前庭に(あゆ)み出るのが、ちらと視界の端に映った。


「言葉が過ぎるということはない。俺はいつだってそうやって生きてきた。樹海を掌握(しょうあく)したのも、ニコルと旅に出たのも、同じやり方だ」


 ん? じゃあ、ゾラはニコルに負けたということだろうか……。


「ゾラさんの信奉(しんぽう)しておられる考え方は否定しません。ですが取り決めは取り決めですから、その通りにお願いしますよ」


 そう前置きしてから、ヨハンは声を張り上げた。ゾラを見据えて。けれど、言葉自体はこの場にいる全員に聞かせたかったのだろう。


「これより『緋色の月』と『灰銀の太陽』は手を取り合い、戦争に参加するのです。もちろん、血族(けつぞく)の側として。ただし、標的とする人間はたったひとり。貴方(あなた)がたの――我々にとっても宿願(しゅくがん)である、オブライエンの討伐のために命を燃やしていただきます」


 ヨハンの大袈裟な言葉を聞きながら、痛みに逆らってなんとか意識を(たも)っていた。オブライエンに関して、彼はちゃんと説明すると約束してくれた。わたしはそれを信じればいいだけ。


「早速具体的な話を……と言いたいところですが、皆様もお疲れでしょう。しばし休息はいかがです? 『緋色』も『灰銀』も――そしてゾラさんもお嬢さんもお疲れでしょう」


 疲れてるなんてものじゃない。今にも気を失いそうだし、一度気絶したら二度と目覚めないんじゃないかとも思ってる。


「そうだな」と、ひどく(おだ)やかな返事が頭上でした。目をつむったゾラが、ほんのりと笑ったように見える。「女はお前に預ける。休ませてやれ」


「宮殿に運んでください。私は見ての通り非力ですので。ベッドのひとつくらいあるでしょう?」


 ヨハンめ……こういうときくらい男らしくなってくれてもいいのに。あ、でも、重いとか思われたら嫌だし、なにより本当に貧弱そのものだから落とされそうだ。そうなればわたしは二重の意味で傷付くだろう。


 なんてことをぼんやりと考えているうちに、ふっつりと意識が途絶(とだ)えた。


 綿のような、柔らかい暗闇に落ちていく。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『オブライエン』→身体の大部分を魔力の籠った機械で補助する男。王都内の魔具および魔術関連の統括機関『魔具制御局』の局長。自分の身体を作り出した職人を探しているが、真意は不明。茶目っ気のある紳士。騎士団ナンバー1、紫電のザムザを使って毒食(どくじき)の魔女を死に至らしめたとされる。詳しくは『345.「機械仕掛けの紳士」』『360.「彼だけの目的地」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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