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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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847.「精神回帰」

 肉体に沿()って意識を馴染(なじ)ませていく。あるいは、あるがままに受け入れてやる。


 思えば、不思議なことでもなんでもないじゃないか。食事も睡眠も、身体が求めているからすることであって、意識はそうした本能の前では()え物でしかない。極端(きょくたん)に言ってしまえば、呼吸だってそうだ。それにつれて感情を、思考を、後追いさせる。


 肉体と精神の乖離(かいり)だなんて、なにを馬鹿なことを思っていたんだろう、わたしは。手足の導くままに意識を運べばいい。


 ゾラを見上げて、わたしはただただ納得していた。


「ガアア!」


 ゾラの、傷だらけの腕に筋肉が盛り上がる。止まりかけた血が、再び螺旋状(らせんじょう)に噴き出す。金と赤。悪くない取り合わせかも。


 (こぶし)(せま)る。わたしはそれを(なが)めている。ぎりぎりまで。


 最大限引き付けて回避し、斬撃を入れた。


「ガラララァ!」


 ゾラはわたしの(やいば)など意に(かい)さず、次々と腕を振るった。ときに拳を握り、ときに爪を立て。


 後ろ脚で立ち上がり、嵐のような連撃を繰り出す彼の瞳は、やっぱり理性を失った獣のそれだった。純粋な本能。それだけが存在する。けれど、無茶苦茶なわけではないんだから感心してしまう。攻撃はいずれもわたしを完璧に(とら)えている。でも残念ながら、今のわたしは完璧以上なんだからしょうがない。


 金と赤の嵐。その中心で踊るわたしは、先ほどよりちょっぴりだけ真剣だった。だってゾラったら、あんまり必死過ぎてちょっとわたしに届きそうなんだもの。


 まったく、困っちゃう。本当に、大剣をぶんぶん振り回していたときより数段強いじゃない。でも、理性をなにかに仮託(かたく)したくなる気持ちは分かる。わたしだってそうだから。常になにかに寄りかかっていないと強がることすら出来ない弱虫。


「ゾラ」


 呼びかけてみる。死の(にお)いにまみれた嵐のなかから。


「あなたは今、どんな気分?」


 ちゃんと目を見て、そっと、()でるように語りかける。


「ガアアアアアアア!!!」


 咆哮(ほうこう)のなかに返事の断片を探してみたけど、見つからなかった。残念だし、なんだか気の毒にも感じる。せっかくここまで到達したんだから、ちょっとくらい素直なお喋りをしたってかまわないのに。ひとりじゃ絶対にたどり着けない境地にわたしたちはいるんだよ。間違いなく。


 あ。


 と思った瞬間、視界がグンと下がった。火花が散り、地面がぐにゃぐにゃに揺れる。側頭に拳が(かす)ってしまったんだろう。ああ、とっても痛い。


 でも痛みなんてどうでもよくて、驚きと喜びが胸に打ち寄せた。


 まだ速くなる。まだ強くなる。ゾラの一撃は偶然じゃない。


 拳の嵐はなおも止むことなく続く。彼の攻撃は鋭さをどんどん増していくようだった。


 ばち、ばち、とときおり身体が引き裂かれる感覚を得た。当たってる! すごい、本当にすごい。


 わたしももう血だらけだ。服はもちろん、皮膚もところどころ裂けているし、いつの間にか額に爪が(かす)ったのか、だらだらと流れる液体の感触がある。試しに唇を舐めると、錆臭(さびくさ)い味が舌いっぱいに広がった。


「ガララララアアアアアアアアア!!!」


「あはははははははははははははは!!!」


 どこか遠くでノイズがしている。それが重なり合った悲鳴だということはとっくに気付いている。でもそんなものはどうでもいいんだ。世界は閉じている。わたしとゾラ。二人分のスペースに縮小している。世界の外側の一切は他人事で、血しぶきと空気を焦がす爪と刃の接触だけが現実。


「ゾラ。ゾラぁ」


「ガアア!」


「ありがとう。あなたに会えてよかった」


 わたしの心からの感謝はきっとゾラには伝わっていない。だって彼は、とっくに忘我(ぼうが)極致(きょくち)に行ってしまったのだから。きっと声は聴こえているし、わたしの恍惚(こうこつ)の表情も見えている。でも、その意味を()み取るために必要な理性が消失してしまったのだ。だから、彼にはなにも分からない。ただ、目の前の敵を討ち滅ぼすことだけを使命としたケダモノ。なぜそうしなければならないのかさえ忘れてしまっている。


 だとしてもわたしは、伝えずにいられなかっただけ。ただの自己満足。


 ああ、痛い。全身が痛い。バラバラになってしまいそうなくらい。生きているのが嫌になるくらい。でもそれ以上に嬉しいから、わたしはもっともっと先に行きたくてたまらない。舞い上がった粉塵(ふんじん)が濃く漂っていて、(ろく)になにも見えなくなりつつあるけど、それでもゾラの一挙手一投足が把握出来る。把握出来ても、(かす)ってしまう。


 でも、幸せは永遠じゃない。いつか終わりが来る。そんなこと分かってると(うそぶ)きながら、いつだって直面すると肩を落とす。そんなものだ。


「ガ、アァ!」


 ゾラの攻撃が(にわ)かに(にぶ)くなった。そのおかげで、彼の傷の具合がはっきりと見て取れた。よく腕を振れているなと感心してしまうくらいズタズタになっている。


 ああ、なんだか泣きそうだ。


「頑張って」


 つぅ、っと本物の涙が(ほお)を流れる。痛みよりも、涙の熱さのほうがずっと鮮明に感じた。


「これで終わりだなんて、言わないで」


 ゾラの拳は、ちゃんと嵐を形成している。けれど、これまでのように右肩上がりの速度ではない。力も速さも、徐々に減退していくのがはっきりと感じ取れた。わたしがどれだけ(はげ)まそうとも、彼はもう駄目なのだろう。


 とっても残念だ。でも仕方ない。


「さようなら、ゾラ」


 ゾラの(のど)に焦点を(しぼ)り、跳躍した。刃を引き、左手を前に突き出す。コンマ一秒後には左手と入れ違いに突きを放つのだ、わたしは。厳密には、わたしの肉体は。そして喉の中央に突き刺さった刃を上向(うわむ)かせ、顔を真っ二つに引き裂く。それでおしまい。それが決め(ごと)


 左手が見える。視界は痛みのせいか二重になって、色も妙だった。いや、違う。色彩(しきさい)のおかしさは全体的なものではない。


 わたしの左手って、こんな色(・・・・)だったっけ?


 ――違う。


 ――おかしい。


 ――こんなの間違ってる。


 ――これは、わたしじゃない。


 コンマ一秒の空白のなかで、精神が急激に肉体を離れる感覚があった。


 なんでわたしはゾラを殺そうとしてるの? そんなの――。


「駄目!!!」


 右手が放たれる。刃は彼の喉元をぎりぎりで()れ、(つか)が激突した。瞬間、腕に、足に、お腹に、頭に、てんでバラバラで強烈な痛みが駆けめぐった。身体の制御が効かない。でもそれは肉体に主導権を奪われているわけじゃなくて、単に(しび)れているだけだ。


 倒れ込むゾラの巨体。それに重なるように、わたしも倒れ込んだ。


 ゾラの胸の上で、くの字に身を(よじ)る。


 なに、これ。息をするのもつらい。なにをどうしようと痛みから逃げられない。


 激痛でマトモに働かない頭で、なんとか意識を整えようとする。今わたしがすべきことはなんだ。


 立ち上がること?


 違う。


 ゾラにトドメを刺すこと?


 ありえない。


 顔を上げると、ゾラの(あご)が見えた。ハッとして、その胸に耳を押し当てる。ひどい耳鳴りの先で、遠く遠く鼓動(こどう)が鳴っていた。


「生き、てる」


 よかった。殺さなくてよかった。


 そのまま脱力すると、視界に自分の腕が見えた。傷だらけで、自分のものかゾラのものか分からない血に染まっている。白に近い肌色が、赤のまにまに垣間見えた。


 ほっとして目をつむる。千々(ちぢ)に乱れた思考が、徐々に、ほんの少しずつ正常に戻っていく。


 不意に、鼓動とは別の震動が身体に伝わった。目を開け、なんとか顔を動かすと――。


 顎を引いてわたしを見据(みす)えるゾラと目が合った。ひやり、と背を冷たいものが走る。まだ戦闘は終わってないじゃないか。


 しかしわたしは、もはや動けなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて

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