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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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846.「意識の乖離を乗り越えて」

 困惑に満ちたざわめきが聞こえる。不安そうに顔を見合わせる獣人たちが、目まぐるしく移り変わる視界の端々(はしばし)()える。わたしだって、彼らと同じくらい――いや、それ以上の戸惑(とまど)いと恐怖を感じている。


 なぜわたしの肉体は、こんな状況で(いびつ)な笑顔を浮かべているのか。


 肉体と意識の乖離(かいり)依然(いぜん)として続いていて、だからわたしはわたし自身の()みを制御出来ない。五感を受け取るだけの状態。


 さっきから耳元で大剣が(くう)を斬るおぞましい音がまばらな間隔(かんかく)で続いている。ゾラの攻撃は苛烈(かれつ)さを増していたが、直撃することはなかった。踊るような小刻みなステップで、砕かれた大地の欠片(かけら)さえ(ほお)(かす)めない。


 ゾラの表情はおおむね凶暴な敵意に満ちていたが、ときおり苛立(いらだ)ちに眉をひそめ、真剣な眼差(まなざ)しが垣間(かいま)見える。


 わたしの肉体はいまだに回避のみを続けていた。速度を増したゾラの大剣に身体を馴染(なじ)ませるように。


 テレジアのときもルイーザのときも、わたしはなんとか肉体と精神の乖離(かいり)状態から(だっ)することが出来た。たぶん今回も、望めばもとの自分の肉体を取り戻せるだろう。こんなふうに、自分の身体が勝手に動くなんて気味が悪いなんてものじゃない。


「……なにがおかしい?」


 (にわ)かに攻撃がやんで、ゾラが()いかけた。彼からしても、ただただ攻撃を回避しながら笑っているわたしは異常でしかないだろう。


「……」


 わたしは答えない。その代わりに、サーベルを何度か空振(からぶ)りする。具合を確かめるみたいに。


 (かす)かに届く風の音。明滅(めいめつ)する色とりどりの光。獣の国の、野性味溢れる(にお)い。舌に(にぶ)く広がる鉄の味。筋肉の微動(びどう)と、肌をざらつかせる土煙。そうした微細(びさい)な感覚を、徐々(じょじょ)に徐々に受け入れていった。身体が今感じている一切を決して否定することなく、むしろそちらへ(あゆ)み寄る感覚。


 以前のわたしは肉体を取り戻そうと躍起(やっき)になって、精神力としか言いようのない力でなんとかもとの自分に(かえ)った。


「ふざけているのか?」


「……」


 今は逆に、意識の側から制御不能な肉体へ歩み寄っている。意図的(いとてき)に。


 そうでもしなければきっと、ゾラには勝てないから。


「この決闘そのものを侮辱(ぶじょく)しているのだな、貴様」


「……」


 不思議なことに、先ほどまでは押し付けられるように感じていた五感が、段々(だんだん)と意識に馴染んできた。


 あれほどおぞましく感じていた乖離が、なんだか当たり前のもののように思えてくる。


「答える気がないのなら、もういい。冥途(めいど)に送ってやろう」


 カチリ、と頭のなかで音が鳴り響く。瞬間、どうしてか途方(とほう)もない安堵(あんど)を感じた。次に、気分が高揚(こうよう)していく。なんだかすごく、気持ちいい。なるほど。これなら笑うのも仕方ない。


 ゾラが大剣を引き、突進してくるのが見えた。


 強靭(きょうじん)な足で地を()き、猛烈な勢いで接近してくる。


 筋肉の強張(こわば)り。握りの強さ。視線の方向。膨大(ぼうだい)な情報が流れ込んでくる。それらを等分(とうぶん)(なが)めている自分がいる。


 わたしが少しでもサーベルをかまえようとすれば、その瞬間、ゾラは剣を振り下ろす。このまま微動だにしなければ、身体で押し潰す。回避の気配を見せたなら、足の向かう地点に刃が訪れる。――これらの想定は、推測であることを超えて事実として確信出来た。


 だからわたしは、刃を引いた。


「砕け散れ!!」


 ゾラの放った一撃は、それはそれは見事な振り下ろしだった。今から避けることなんて不可能。わたしを穴が空くほど凝視(ぎょうし)して、筋肉の微動レベルで掌握(しょうあく)して、その上で(はな)たれた最高の攻撃。それを見上げるわたしは、やっぱり笑顔だ。


 両腕に力が(こも)る。


 次の瞬間、サーベルの銀色が(おうぎ)を開くような軌跡(きせき)を描いた。と同時に甲高い、美麗な音が響き渡る。


「――な」


 刃の破片が空中に踊る。ゾラの瞳は、これ以上ないほど丸く見開かれていた。


 大剣を砕かれるなんて思ってもいなかったのだろう。可哀そうに。


 でも、わたしだって両腕がとんでもなく痛い。骨が粉々になってしまったんじゃないかと思うくらいだ。でも、痛みごときで止まるほど今のわたしは脆弱(ぜいじゃく)ではない。


 ふ、と息を吐き、足に力を籠めた次の瞬間には、わたしはゾラの胸元にいた。刃を引いた状態で。


 やや遅れて、彼の瞳がわたしを見下ろす。


紫電一穿(しでんいっせん)


 右腕に激痛が走る。けど、わたしはそんなことにちっとも関心を向けない。刃の先端がゾラの胸に浅く突き刺さり、強烈な抵抗を受け、しかし彼の身体を吹き飛ばすことが嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。


 巨体はギャラリーへと突っ込み、一直線に遺跡を破壊しながら吹き飛んでいった。


 土煙の先から目を()らすことなく、わたしはただただ突っ立っている。ゾラの飛んでいった方角に向かってもよかったのだけれど、そうする必要はないと肌で感じたのだ。


 舞い上がった土がパラパラと落ちる音がする。多くの者がこの場にいるというのに、誰も声を上げない。反応はたった二種類だ。ゾラが吹き飛んでいった方角へ目を()らす者と、ただただわたしを凝視する者。どちらの口もゆるく開いている。


「なんなんどすか、これ」


 どこかからシャオグイの声が聞こえた。(しぼ)り出したような調子で、(とら)え方によっては驚いているようにも怒っているようにも、はたまた(あき)れているようにも聞こえる。


「――勝ったのか?」


 またもや、どこかから声がした。誰のものかは分からないが、おおかた『灰銀(はいぎん)の太陽』のメンバーだろう。


「勝ったぞ」

「うん、勝ちだ」

「『灰銀』の勝利だ!」


 声がみるみる重なっていき、困惑()じりの歓喜が広がる。どうでもいいことではあったけど、彼らのその(にぶ)さに鼻白(はなじろ)んでしまった。


 まだ終わってないのだ。なにも。


「うっ」

「え?」

「嘘だろ……」


 瓦礫(がれき)を踏みしだく音。それが狂気的なリズムで鳴っている。音の正体は土煙を上げ、真っ直ぐ『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』の前庭――つまりわたしへと向かってくる。


 それは、金色の毛を(たずさ)えた四つ(あし)の巨大な獣だった。姿かたちはおおむねゾラのそれだったが、いくらか筋肉が肥大(ひだい)している。そして眼差しにも、理性がまったく感じられない。


 ゾラは速度を増し、こちらへと突っ込んでくる。殺意に染まった両の瞳には、きっとわたしの姿以外なにも映っていないことだろう。


 巨獣は二十メートルも先から跳躍(ちょうやく)し、わたしへと飛び掛かる――。


 振りかぶった両の爪を避け、ゾラの顔へと飛び込んだ。


落下(らっか)流水(りゅうすい)


 刃の背で巨獣を受け止め、一気に大地へと叩きつける。手応えと痛みの両方が腕を駆け、わたしはやっぱり笑顔になってしまった。


 あ、でも、駄目。


 わたしが着地するより早くゾラの(ひじ)が振り上げられる。


「ガラァ!!」


 彼の肘がわたしのお腹に激突し、わたしは垂直に打ち上げられた。


 みるみる地面が遠くなっていく。油断したわけじゃないんだけどな、なんて思ってちょっぴり口を尖らせた。腹部を中心に激痛が広がっているけれど、そんなことは些細(ささい)なものだ。だって、ゾラの力が異常なのは簡単に想像出来るから。さして力が乗っていなくとも、とんでもない痛みが来ることは分かる。


 やがて枝葉(えだは)が近くなり、否応(いやおう)ない上昇が徐々にゆるやかになっていった。


 あ、もうちょっとで枝を掴めそう。こう、手を伸ばせば――あ、落ちはじめちゃった。残念。


 わずかな空中散歩で、ルドベキアを一望する。街の北方の崩壊具合がすさまじい。これは修繕(しゅうぜん)手間(てま)取るだろうなぁ。ご愁傷様(しゅうしょうさま)だ。


 眼下(がんか)に前庭が見える。ギャラリーは先ほどよりも遠巻きになっていた。まあ、無理もない。ちょっと異様な戦いだろうから。巻き込まれたくはないよね、当然。


 前庭の中心に黄金色(こがねいろ)の毛が見える。ゾラはこちらを見上げ、拳を弓矢のごとく引き(しぼ)っていた。瞳には相変わらず理性の欠片(かけら)も見えないけれど、ちゃんとわたしを(とら)えて離さない。


 なんだかちょっと嬉しいな。彼は本気でわたしを殺そうとしてるんだもの。全力で、完膚(かんぷ)なきまでに叩き潰そうとしてる。それはわたしを評価してくれているというわけで、心がじんわりと(かゆ)くなる。


 ああ、もう、照れ(くさ)いなぁ。


 ゾラの姿が近くなり、わたしもサーベルを握りなおす。ゆるやかに、繊細(せんさい)なガラス細工(ざいく)(あつか)うように。


風花流水(ふうかりゅうすい)


 わたしは花びらで、同時に水だ。ただ流れていくだけ。どんな衝撃も刃で受け流して、(すべ)るように着地してみせよう。描く軌道(きどう)は、そう、螺旋(らせん)なんかどうだろう。


 やがて引き絞った拳が弾丸のごとく放たれ――破裂音が空気を震わせた。


「――!!」


 咆哮(ほうこう)によく似た悲鳴が響き渡り、彼の(かか)げた拳から腕にかけて螺旋状の切り傷が生まれるや(いな)や、血しぶきが上がる。


 着地したわたしは新鮮な赤を浴び、顔を(ゆが)めるゾラへと笑いかけた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は記憶と魔力を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』詳しくは『第二章 第六話「魔女の館」』参照


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『紫電一穿(しでんいっせん)』→渾身の力で放つ、クロエの突き。初出は『511.「紫電一穿」』


・『落下流水』→接近する対象物に回転を加えて逸らす、クロエの剣技。詳しくは『367.「家屋の賢い使い方」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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