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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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845.「杯の女」

 黒に染まった視界の中心に、なにかが浮かんでいる。それが(にぶ)い銀に染まった(さかずき)だと気付くまで、しばしの時間がかかった。


 杯にはたっぷりと赤黒い液体が入っていて、今にも溢れそうに波打っている。水鏡に映った自分の顔がひどく青白い。


 なんの光源もない空間なのに、どうしてか明確に色が把握出来た。


 上下左右。どこを見渡しても杯以外にはなにも見えない。


 わたしはゾラに負けたんだろうか。拳の接近と激痛、そして暗転……記憶は雄弁(ゆうべん)に敗北を物語っている。おおかた、振り下ろされた拳で意識が飛んで――。


 じゃあ、今こうして暗闇のなかにいるわたしはなんなのか。


 思って、背筋が寒くなった。ゾラの拳が致命的(ちめいてき)な威力で放たれたことは間違いない。それがクリーンヒットしたのも事実で、つまり、死んでしまったんじゃなかろうか……。


 ふらり、とよろめいた拍子に、杯に手を突っ込んでしまった。慌てて引き抜こうとした瞬間――。


「えっ」


 杯から腕が伸びて、わたしの手首をがっしりと掴んでいた。液体(したた)る赤紫に濡れた肌。


「離、して」


 わたしは目覚めなきゃいけない。この決闘の行方ですべてが決まってしまうのだ。自分の命だけを背負って戦っていたわけではない。わたしの死はすなわち『灰銀(はいぎん)の太陽』の敗北なのだ。今ギャラリーにいる仲間たちは無事じゃないだろうし、ゾラをはじめとする『緋色(ひいろ)の月』が王都を直接襲撃することにもなる。ここが分岐点(ぶんきてん)なのだ。


「離、せ!」


 思いきり手首を引いても、赤黒い液体に染まった腕はびくともしない。(はかな)げに掴んでいるように見えるのだけれど、まるで鋼鉄のようにちっとも動いてくれなかった。


「わたしは、戻らなきゃならないのよ!!」


 叫びとともに手首を引くと、どうしてか今度はすんなりと抵抗なく動いて――しかし、例の腕は離れてはいなかった。杯から、ぬるりと何者かが飛び出したのである。べっとりと、赤黒い液体にまみれた裸の女性。(うつむ)いた顔に貼り付いた髪のせいで、ちっとも顔が分からない。


 おぞましい、と思った。どうしてか、汚らわしい、とも。


 銀の杯はゾラとの戦闘中に思い浮かんだ、わたしの力の源泉だ。あくまでもイメージでしかなかったけど、それが今視界に存在していて、そこからわけの分からない女が這い出てきて、わたしの手首をがっしりと掴んで離そうとしない。嫌悪感を覚えながらも、わたしはまだ彼女を振り払えずに硬直している。


 歯を食い縛り、腕に力を籠めた。


 瞬間、視界が赤く染まり――。




 赤く濁った視界にゾラの姿があった。彼が踏みしめる大地は『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』のそれで、前庭(ぜんてい)を取り巻く遺跡も、ギャラリーの姿もある。(まぎ)れもない現実がわたしの目に映っていた。


「まだ立つか、女」


 ゾラは、ひどくつまらなさそうにわたしを見下ろしていた。興味を失ったというよりは、(あき)れているような声。でも、ゾラが今なにを思っているのかなんて分析している余裕はない。わたしはわたしの感覚で現実を見据(みす)えるのに精一杯なのだ。


 (まぶた)(ぬぐ)うと、(そで)に赤黒い液体が付着した。杯に満ちていたそれとは違う、わたしの血液だ。頭から血を流し、それが瞳に入り込んだせいで世界が赤く染まっていたのだろう。今は、多少色味はマトモだった。けど、どうにも頭がぼうっとする。ゾラの攻撃が影響しているに違いない。


 周囲の様子を見る限り、ゾラに殴られてからさして時間は()っていないようだった。彼の(まと)う殺気も、意識が暗転する前の状態からわずかに減退した程度である。


貴様(きさま)の妙な魔術は(ふう)じた。次に魔術を使おうとも、俺の『干渉魔壁』で無力化してやる。つまり、貴様は純粋な実力で俺と戦うほかない」


 ゾラは淡々(たんたん)と言う。おそらくそれらは事実なのだろう。握ったサーベルをちらと見下ろしたが、オッフェンバックを模倣(もほう)した炎の魔術はすっかり消えている。そして、シンクレール由来(ゆらい)の氷の魔術も付与出来ないことは感覚的に分かってる。


「そんな、便利な、技があるなら……最初から、使いなさいよ」


 声を(はっ)すると頭痛がして、言葉が途切(とぎ)れがちになってしまった。それでも、意味は伝わったことだろう。


「『干渉魔壁』は敵の魔術を身体に馴染(なじ)ませる必要がある。使うのは(しゃく)だ」


 けれども、それを使うほかなかったということか。明言(めいげん)はしていないけれど、讃辞(さんじ)に聞こえた。


 ゾラの視線を真っ直ぐに受け止める。そこに勝利の色はない。まだ終結を告げるつもりではないのだろう。彼はそんなに甘くはない。


 大剣が持ち上がる。


「決闘では死が敗北となるのは道理(どうり)だ。まだ終わりではない。剣をかまえろ。そして(いそぎ)く散れ」


 ヨハンは今、どのへんにいるのだろう。きっとどこかから見ていると思うけど、彼がどんな表情をしているのか気になった。山羊顔でもいいから見ておきたい。今のわたしは絶望を思わせるに余りある状況だ。さぞかし(あせ)っているんじゃなかろうか。


 わたしが死ねば『灰銀』のみんなも、『骨の揺り籠(カッコー)』のみんなも、ルドベキアの革命勢力も、そしてオッフェンバックに立ち向かったドルフも、(ひと)しく殺されてしまう。


 重いな。なんて重いものを背負っているんだろう、わたしは。全部承知(しょうち)の上で戦場に立っているわけだけど、あらためて思ってしまう。


「お姉さん! 諦めちゃ駄目です!!」


 ハックの必死の叫びが聞こえる。そこに強がりは少しも(ふく)まれていない。等身大の彼の叫びだ。


 空想の草原――『風華(かざはな)』はとっくに消えている。それなのにわたしは、これ以上ないほど自分が集中していると感じていた。頭痛と眩暈(めまい)があるだけで、それも奇妙な集中の(さまた)げにはなっていない。


「終わりだ、女ァ!!」


 空が真っ二つに裂ける――そんな形容がよく似合う一撃だった。わたしの頭上へと振り下ろされたゾラの大剣は、やがて大地にひと(すじ)亀裂(きれつ)を作り上げた。


「……?」


 叩きつけられた大剣。その真横に立つわたしと、ゾラとの視線がぶつかる。彼は一瞬、怪訝(けげん)そうに(まゆ)をひそめた。


 が、すぐにゾラは刃を寝かせ、片手持ちで横薙ぎを放つ。それを垂直に跳んで回避したわたしを、ゾラはどう感じただろう。


 呼吸は意識していない。ゾラの一挙手一投足を読み取ろうと躍起(やっき)になっていた先ほどまでの自分が、なんだか子供みたいに思えてくる。そんな必死にならなくとも、なにもかも全部分かるじゃないか。


「逆袈裟斬り。振り下ろし。接近と足払い。バックステップと振り下ろし」


 誰にも聞こえないほどの声量で呟いてみる。ゾラの攻撃はすべて、わたしの想像した通りの軌道(きどう)とタイミングで訪れた。


 ……うん、大丈夫。わたしはちゃんと集中している。普段以上に。


 バックステップの直後に繰り出された振り下ろしを必要最低限のサイドステップで避けると、ふと、嫌な感覚が背を伝った。


 全身の感覚はちゃんとあるし、頭痛や眩暈といった現実にもちゃんと(さいな)まれている。それなのにわたしは、ほとんど無意識的に敵の攻撃を避けている。


 わたしはわたし自身を、今この瞬間、ちゃんと制御出来ているのだろうか。


 ――ここにいるわたしは本当にわたしなの?


 自問の直後、ようやくわたしは身体の違和感を把握した。


 ルイーザやテレジアと戦ったときと同じだ。わたしは自分の身体を制御出来なくなってる。五感はしっかりとあるのに、だ。身体からのシグナルは届くけれど、こちらから身体に信号を送れなくなっている。


 ゾラの瞳が大きく見開かれる。そこに映ったわたしは、歪な笑みを浮かべていた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は記憶と魔力を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』詳しくは『第二章 第六話「魔女の館」』参照


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『オッフェンバック』→純白の毛を持つタテガミ族の獣人。『緋色の月』に所属。自称音楽家の芸術至上主義者で、刺激を得るという動機でハックの和平交渉を台無しにした。クロエとの戦闘に敗北し、あわや絶命というところを彼女に救われた。それがきっかけとなって『灰銀の太陽』への協力を申し出ている。詳細は『774.「芸術はワンダー哉!」』『780.「君が守ったのは」』にて


・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイに似た獣人。別名、鉄砕のドルフ。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り(カッコー)』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて


・『風華(かざはな)』→花弁の舞う脳内世界。集中力が一定以上に達するとクロエの眼前に展開される。この状態になれば、普段以上の速度と的確さで斬撃を繰り出せる。詳しくは『53.「せめて後悔しないように」』『92.「水中の風花」』『172.「風華」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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