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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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842.「素顔を見せて」

黄金宮殿(ザハブ・カスル)』を出ると、微風(びふう)が肌を撫でた。血の混じった、埃っぽい風だ。その息吹(いぶき)が、ほんの一瞬だけ、悲惨な運命を暗示しているように感じてしまった自分に対し、苦笑が浮かんで仕方ない。


黄金宮殿(ザハブ・カスル)』の前庭(ぜんてい)は、何体もの他種族に囲まれていた。家屋(かおく)やら倉庫やらに使われている簡素な石造りの遺跡からも、いくつも好奇の視線が(そそ)がれている。『緋色(ひいろ)の月』らしき獣人はもちろんのこと、わたしの仲間――『灰銀(はいぎん)の太陽』の姿も見えた。


 前庭の中心に黒山羊(くろやぎ)の背が見え、足を止める。ゲオルグ――(いな)、ヨハンだけがひと足先に外へ出たのだ。これだけのギャラリーが混乱なく集まっているあたり、上手く皆を丸め込んだのだろう。お得意のペテンじみた扇動(せんどう)で。


 ヨハンの頭上では、今まさにさらさらと金色の(つぶ)が消えていくところだった。ちらとしか見れなかったけれど、『()もなく、緋色の月の代表者ゾラ氏と、灰銀の太陽の代表者クロエ(じょう)が決闘いたします。ご期待あれ』だなんて書かれていた。


「せいぜい、頑張りはったらええよ」


 シャオグイが、わたしの隣を通り抜けざまに呟く。彼女はすっかり不貞腐(ふてくさ)れている様子だった。きっとわたしにゾラは倒せないと思っているんだろう。自分がこれまで仕組んできたあれやこれやが全部無駄になったと感じているのかも。


 まあ、すべてはヨハンが根回しした作戦で、わたしの乱入によって台無しになったのは事実だ。


「シャオグイ」


 呼びかけても、彼女は足を止めない。ゆらり揺れる(あで)やかな着物の紫と、(なめ)らかな黒髪が毒々しいコントラストを描いている。


「わたしは負けないわ。だから、あなたがしたことも無駄にはならない」


 あえて命を奪う方向に両陣営を扇動したことは決して肯定できないけど、シャオグイが単に快楽主義的に動いていたわけではないことは、その口からすでに語られている。彼女は彼女なりのやり方で両陣営を――それこそ命がけで――救おうとしていたのだ。たとえすべてがヨハンのためだとしても、彼女の意志には(むく)いなければならない。


 ゆらり、と(あざ)の浮いた白い手が宙をふらつく。決して振り返らないし、足も止めないけれど、手のひらはこちらに向いていた。


「クロエ殿(どの)、これが最後なのだな?」


 気が付くと、エーテルワースが隣にいた。彼はやけに神妙な顔付きでわたしを見つめている。ピンと張ったヒゲは緊張感の表れなのだろう。


「ええ。勝てばヨハンの言った通り、『緋色の月』は別のかたちで戦争に参加することになるでしょうね。なんにせよ、彼らが人間を殲滅(せんめつ)することはないわ」


「うむ……しかし、妙な男だ。『魔女っ()ルゥ』に閉じ込められていたときもそうだったが、どうにも暗躍(あんやく)が過ぎる」


 ルイーザとローリーの作り出した、魔術による仮想世界。確かその世界でもヨハンは敵の側についていて、最終的にはこちらの味方をしてくれたんだっけ。ヨハンは一事(いちじ)万事(ばんじ)、そんな調子だ。


「そういう奴なのよ。ずっとそうだった」


「ヨハン殿とは長いのだな」


「長いというより……濃いのよ。色々と」


 まだ彼と出会って半年も()っていない。なのに、本当に色々とあり過ぎた。何度裏切られて、何度信用したか分からない。


「これからも、クロエ殿はあの男に振り回されるのだろうな」


「どうかしら」


 わたしの答えを聞いて、エーテルワースはニヤリと笑った。笑うキツネ顔は、なんとも油断のならないコミカルさがある。


 彼はシャオグイのあとを追って小走りに去っていった。


「お姉さん」


 今度は、ハックが入れ替わりにわたしの隣にやって来る。泣き()らした目で、しかし真剣な眼差しをこちらに向けている。


「お願いしますです」


「うん。勝つわ」


 ハックはぐるりとギャラリーを(なが)め渡し、デビスを見つけると視線をそちらに固定した。


「本当に、勝てますですか?」


 ぽつり、と彼は呟く。わたしには視線を向けずに。


 ぬるい風が吹いていて、それがなんとも不穏(ふおん)に感じてしまう。前庭を凝視(ぎょうし)する人々の胸には、様々な思惑(おもわく)があるはずだ。この決闘自体に納得していない者もいるだろう。それでも、これで決着がつく。ついてしまう。


『緋色の月』にとっても『灰銀の太陽』にとっても、一度の決闘で始末がつくのならはじめからそうすればいいと考えるのが自然だ。ゾラをここまで引っ張り込むことに(つい)やした膨大(ぼうだい)な仕掛け――ヨハンとハック、そしてシャオグイの組み上げた血生臭(ちなまぐさ)い戦略の果てがこの決闘だということを、どれだけの人が理解しているだろう。ヨハンのことだから、ギャラリーにそのあたりの説明はしていないに違いない。


 ゆっくりと時間をかけて真実を語れる機会が訪れるのを、心から望んでいる。勝たなければ得られない時間だ。


「勝つために、ここに立ってるのよ。あなただってそうでしょ? もともとはシャオグイが決闘するはずだっただけで、それ以外は全部作戦通り。……大丈夫」


 ハックは一瞬泣きそうな顔でわたしを見上げ、それから長いまばたきをひとつした。目を開けた彼の表情には、弱さの欠片(かけら)はなかった。これまでと少しも変わらない、使命感に満ちた無表情がそこにある。


 世界一真摯(しんし)で冷静で、情熱的な少年。ヨハンはハックをそう(ひょう)した。付け加えるなら、彼は世界一タフだ。間違いなく。


 そっと背を押すと、ハックは数歩だけふらふらと足を運び、それからはしゃんとした歩調でギャラリーへと消えていった。


 そして、わたしも()を進める。前庭の中心――ヨハンのもとへと。


「期待していますよ、お嬢さん」


「なにを?」


 あえて聞いてみる。


「なにを、って。分かっているでしょうに」


 皮肉っぽく笑う山羊顔を眺めていると、つい「素顔(すがお)を見せてよ」なんて言ってしまった。自分自身の言葉にハッとして、顔を()らす。


 不意に、パチン、と指が鳴る音がした。直後、もくもくと黒い(もや)がわたしたちを包み込む。


「ここは獣人の地ですから、迂闊(うかつ)に素顔なんて(さら)せませんよ。ましてや血族は恐怖と憎悪の対象ですからね。(ろく)なことにならない」


 ぽす、と頭に彼の手が乗る。


 ()でるな、馬鹿。


 ああ、もう、なんで素顔を見せろなんて言ってしまったんだろう、わたしは。本当に馬鹿だ。


 じわじわと(にじ)む視界の中心。そこにある、やたら不健康で骨ばった顔が、底意地の悪そうなニヤニヤ笑いを浮かべている。ゆるいウェーブのかかった不潔極まりない長髪と、無精髭。


 まったく、本当にひどい顔だ。まるで骸骨……。


 手のひらがやんわりと(ほお)へ移動し、親指が涙を(ぬぐ)う。……そういうの、ほんとにやめて。


 でも、結局わたしはなにも言わず、抵抗することもなく、ただヨハンを見上げている。


 やがて手が離れ、靄が晴れた。ヨハンはいつの()にやら山羊顔に戻っていた。涙が引っ込み、心が静かに()いでいく。


「ヨハン」


「なんですか」


 なにか言おうとしたんだけれど、言葉が出てくる前に重たい足音した。それと同時に、歓声が(とどろ)く。


「ゾラ様!!」

「潰せ!!」

蹂躙(じゅうりん)してくれ!!」


 そんな声がいくつもいくつも重なって空気を震わす。振り返ると、三メートル以上の身の(たけ)を持つ黄金色(こがねいろ)のタテガミ族が、今しも『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』から踏み出すところだった。身長以上の大きさの大剣を、その肩に(かつ)いでいる。


 ゾラ。


 勇者一行(いっこう)のひとり。『獣化のゾラ』なんて王都では呼ばれていたけれど、事実はまったくの逆だった。王都では人に変身して見せただけで、本物の彼は荘厳(そうごん)な巨獣である。


 サーベルを抜く。


 刀身(とうしん)に映った自分の姿を見て、吐息がこぼれた。随分と落ち着いた表情だ。感情も、すっかり鎮まっている。ゾラへの恐怖心は依然(いぜん)としてあるけれど、それは魔物への恐れと同じように、脅威(きょうい)に対する妥当(だとう)な感情のひとつでしかなくて、行動を阻害(そがい)するだけの力は持たない。


 顔を上げ、ゾラを見据(みす)える。ヨハンがそそくさとギャラリーのほうへ歩いていくのが、足音で分かった。


『それでは』


 巨大な金文字が前庭の上空に浮かんだ。


『決闘開始です』

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ローレンス』→ルイーザの幼馴染。水魔術や変装魔術、果ては魔道具の作製など、魔術的な才能に溢れた青年。能天気な性格。愛称はローリー。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて


・『ルイーザ』→ニコルと共に旅をしたメンバー。最強と目される魔術師。高飛車な性格。エリザベートの娘。『針姐』の墨の魔術により全身に縮小した魔紋を刻んでいたが、クロエの持ち込んだ『墨虫』により無力化された。現在は記憶と魔力を失い、平凡なひとりの少女としてローレンスの館に住んでいる。詳しくは『幕間.「魔王の城~記憶の水盆『魔女の湿原』~」』詳しくは『第二章 第六話「魔女の館」』参照


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『デビス』→剥製となってマダムの邸に捕らわれていた半馬人。現在は剥製化の呪いが解かれ、『灰銀の太陽』の一員としてハックとともに行動している。詳しくは『624.「解呪の対価」』にて


・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて


・『ゲオルグ』→『黒山羊族(バフォメット)』なる、黒山羊に似た獣人。黒のタキシードに白手袋、黒革の靴といった出で立ち。言葉を発することが出来ないらしく、文字の魔術を用いてコミュニケーションを図る。『灰銀の太陽』と『緋色の月』の両方を救うと豪語している。正体はヨハンの変装した姿。詳しくは『809.「不動の黒山羊」』『810.「語る金文字」』『821.「怒りと使命を掌に」』『836.「世界一真摯で冷静で、情熱的な」』にて


・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『魔女っ娘ルゥ』→ローレンスとルイーザの魔術によって作り出された仮想世界。崩壊したはずのペルシカムをベースとしており、そこで生きる人々は崩壊の日を繰り返している。詳しくは『第二章 第六話「魔女の館~①流星の夜に~」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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