Side Sinclair.「彼女に内緒で」
※シンクレール視点の三人称です。
「めでたしめでたし……ってわけにはいかねえよな」
「まだ決着はついてないからね。これからさ」
垂直に伸びる絶壁に寄りかかり、シンクレールは頭上を見上げる。先ほどまで月光の下にいたからか、随分と薄暗く感じた。
シンクレールとクラナッハは横穴から流れてくる声に耳を澄まし、停滞した空気を浴びていた。
「しっかし、こんなとこに獣人がいるなんてな」
そう呟いたクラナッハの横顔を、シンクレールはちらと盗み見る。憂いに満ちたオオカミ族の瞳は、半壊した家屋群へとぼんやり向けられていた。
寄り添い合うように建てられた、不揃いな家々。中心には鳥の巣のごとく枝を組み上げて作られた高台。貧しさとも豊かさともかけ離れた地だと、シンクレールは思った。先ほどリリーから聞かされた話――『骨の揺り籠』の成り立ちについて説明――が原因なのかもしれない。
「リリー。良かった、ぼ、ぼく、本当に、本当に心配で……」
「ごめんなさい、ラップ。ワタクシがもっと……もっと強ければ……」
横穴のなかでは、何体かの獣人と、そしてリリーの声がしている。
「氷の矢」
シンクレールは小声で呟き、飛来したハルピュイアを氷柱で撃ち抜いた。身体の中心に大穴が空いた半人半鳥の魔物が、けたたましい金切り声を残して蒸発していく。クラナッハが一連の魔術をぼうっと眺めるのが分かったが、シンクレールはなにも言わなかった。
「オイラも、もしかしたらここで暮らしてたのかもな」
クラナッハの不用意な言葉を、シンクレールは黙って聞き流す。
哀愁たっぷりに壁にもたれかかる獣人がどんな過去を持っているのか、シンクレールも知らないわけではない。
ずっと寝たきりで、家族に養われて生きてきた。薬を盗んだ咎で両親は殺され、姉とともに集落を追われ――今は天涯孤独の身の上。
しかしながら、シンクレールはクラナッハに同情する気にはなれなかった。彼はとっくの昔に、悲劇の河を渡り切っているのだから。たとえ癒えない傷があるとしても、それと戦っていくべきは彼ひとりでしかない。それに、今は孤独ではないのだ。
「答えなら」
言って、シンクレールはクラナッハの腹を指さした。
クラナッハの住んでいた集落の長――バロックは、今まさに彼の腹のなかにいる。特殊な機構の胃袋に収められ、きちんと生きているのだ。もし自分を『異形の穴』に落とさなかった理由を本気で知りたいのなら、バロックにたずねればいい。
クラナッハが苦笑交じりに首を横に振る。それきり彼は、なにも言わなかった。
十分か十五分。リリーの魔術で穴の底に降りてからそれくらいの時間が経過していた。地上ではゴーシュとルナルコンが、横たわるハンジェンに目を光らせながら二人の時間を過ごしていることだろう。
そろそろ時間だと思って、シンクレールは壁から背を離す。と、ちょうど横穴からリリーが出てきた。
「待たせたわね。それじゃ、行きましょ」
とっくに涙は止まったのに、彼女の目は真っ赤だった。それが決意に満ちた表情と合わさって、なんとも言えない凄味を醸している。
「よし、出発だ」
本来、リリーは『骨の揺り籠』に残って獣人たちとともに過ごす予定だったらしい。が、結局シンクレールたちとともにルドベキアへ向かうことになった。彼女自身が、行くと宣言したのだ。
『気が変わったのよ』
と言った彼女の、拗ねたような、それでいて決して揺るがない芯を感じさせる言葉を思い出し、シンクレールは誰にも気付かれないように口元を緩める。
『骨の揺り籠』は魔物に襲撃されぬよう、リリーが『陽気な浮遊霊』でしっかりと横穴に蓋をした。食料的に三日は穴倉生活でも問題ないはずである。それに、いざとなれば壁を壊して昼間は外で活動し、夜間は壁を補強して凌ぐと、犬に似た獣人のラップがやけにあっさりした口調で言っていた。シンクレールは彼の言葉を額面通りには受け取らなかったが、リリーが安心して出発するための心配りと思えば実に微笑ましく感じた。
「最高速度でルドベキアへ向かいます。シンクレール殿、貴方はワタシの背に乗ってください。リリー殿とクラナッハ殿はルナルコンの背に」
てきぱきと命じるゴーシュに頷きを返し、シンクレールは颯爽とその背に跨る。
そして、大穴の淵を見下ろした。厳密には、淵に横たわった丸眼鏡の血族――ハンジェンを見下ろした。彼はじっと天を仰いだまま、身じろぎひとつしない。なにもかも失った、敗北者そのものの姿である。
目を細めてじっと見下ろしていると、一瞬だけ、ハンジェンと目が合った。彼は二秒ほど虚ろに視線を交わしたのち、ゆっくりと目を逸らす。
シンクレールはまばたきで視界を暗転させたのち、ルナルコンへと顔を向けた。もうすっかり二人とも騎乗している。クラナッハは慣れた雰囲気があったが、リリーは明らかにおっかなびっくりだった。
「では振り落とされないよう、しっかり掴まっていてください」
ゴーシュの言葉の直後、身体が強烈に引っ張られる感覚とともに景色が流れていった。
「大丈夫かい!?」
やや遅れて走るルナルコンへ――厳密にはその背の二人へ呼びかける。クラナッハは随分余裕で、リリーの身体をがっちりと固定するように後ろから抱き、片手を上げて見せる。
当のリリーはというと――。
「な、な、な、なによこれ!? 目が回るわ! こ、こ、高貴なワタクシがこんな――」
「あんまり喋ってると舌を噛むわよ、血族のお嬢ちゃん」とルナルコンはからかう。
「お、お嬢ちゃんですって!? 失礼しちゃう! ワタクシは立派なレディよ!!」
「立派なレディは半馬人に乗るくらい余裕でしょ。ねえ、ゴーシュ」
「いや、ワタシはレディの事情に詳しくない」
そんなやり取りが続き、しばらく経った頃、リリーの声が聞こえなくなった。見ると、すっかり目を回してしまっている。
「大丈夫かい、リリーは」
「いや、ちょっと駄目みたいだな。気絶してやがる」
クラナッハはリリーをあまり動かさないよう、じっと返す。
レディに乗馬の技術が必要かは知らないが、もしそうなら残念ながらリリーは落第だろう、とシンクレールは内心で苦笑した。
今やゴーシュとルナルコンはほとんど並走している。決して平坦な道ではないというのに、木々を避け、藪を跳び越え、二人は平然と駆けている。いつか二人に――ファゼロも含めれば三人に――助けられたときも、やはりこんな具合だった。平気で言葉を交わしながらひょいひょいとハイスピードで山を下りていったことが昨日のことのように思い出される。
「ねえ……本当に良かったの」
声がして、シンクレールはルナルコンに視線を送った。
「なにがだ」と、ゴーシュが言葉少なに返す。
「……アイツ、生かしたままで良かったの? だって死霊術で……」
彼女の危惧はシンクレールもよく理解している。命まで奪うことはしなかったし、彼の手元にはまだ亡骸のストックがあることだろう。やり直すチャンスはいくらでもある。再びリリーへと毒牙を向ける危険だって、もちろんある。
「リリーは誰も殺さねえんだ。誰かが殺されようとしてたら、絶対に止める。オイラは、リリーの考え、そんなに間違ってねえと思うんだよ」
クラナッハは遠慮しいしい、そんなことを言った。『異形の穴』にたどり着くまでの道中、すでに交わした言葉だ。
「その件では、随分と揉めましたね」と、ゴーシュは苦笑する。
ゴーシュが頑なにハンジェンの殺害にこだわっていたのを、シンクレールは思い出した。互いの主張は紛糾し、やがてひとつの結論へとたどり着いたのである。
「で、結局殺さないことに決めてここまで来たの?」
ルナルコンは、信じられない、とでも言うみたいな表情を浮かべた。
指先に意識を集中し、シンクレールは呼吸を整える。もう随分、ハンジェンとの距離が空いてしまった。それでも、自分の指先は彼と魔術的な繋がりを保っている。
やがて、シンクレールの指先から遥か後方へと――魔術の糸をたどって魔力が一気に流れていく。
「リリーの考えは僕も尊重してる。素晴らしいと思うよ。皮肉とかじゃなくて」
だけどね、とシンクレールは続けた。
「殺さなきゃならない相手はいる。許しちゃいけない罪はある」
一瞬にして訪れた冷気に抗うすべなく凍結するハンジェンを、シンクレールは思い浮かべる。
「だから、内緒で殺すことにしたんだ」
シンクレールはパチン、と指を鳴らした。凍結した肉体が木端微塵に弾け飛ぶ光景が、彼の脳裏に確かな説得力をともなって訪れる。
リリーは気絶したまま、目を覚ますことはなかった。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『ルナルコン』→『灰銀の太陽』に所属する女性の半馬人。ツンデレ。腕を槍に変化させる魔術を使用。ゴーシュやファゼロとともに、クロエたちを救出した。『灰銀の太陽』のアジトへ向かう途中、デュラハンの引き付け役を請け負って以来、行方知れず。詳しくは『619.「半馬の助け」』『Side Runalcon.「いずこへ駆ける脚」』にて
・『ファゼロ』→弓矢の扱いに長けた半馬人。ゴーシュやルナルコンと協力し、リリーたちに捕まったクロエを救出した。故人。詳しくは『619.「半馬の助け」』『628.「不幸の使者」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『ラップ』→犬に似た獣人。片足にハンデがある。病の母とともに『異形の穴』へ身投げした過去を持つ。臆病な性格。詳しくは『811.「捨てる者、捨てられる者」』にて
・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『ハルピュイア』→半人半鳥の魔物。狡猾。詳しくは『43.「無感情の面影」』にて
・『氷の矢』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』
・『死霊術』→死者を蘇らせる魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照
・『陽気な浮遊霊』→周囲の無機物を操作する呪術。リリーが使用。初出は『618.「大人物の愛娘」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『異形の穴』→樹海に空いた巨大な穴。身体的にハンデのある獣人を葬るべく、暗黙のうちに使用されている。詳しくは『807.「一度死んだ者たち」』にて
・『骨の揺り籠』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




