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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Sinclair.「かつてない激怒」

※シンクレール視点の三人称です。

 シンクレールは激怒した。


 相手が『黒の血族』だとか、そんなことは関係ない。リリーは泣いていた。大穴へと吸い込まれる魔物を凝視(ぎょうし)して泣いていた。具体的な背景は分からずとも、ハンジェンがとんでもない非道を仕出かしたのは明らかで、全力を尽くすだけの動機としては充分過ぎる。


 かくしてシンクレールは燃え上がる感情を()てつく魔術へと結晶させ、大穴へ飛び込んだのである。空中で氷を作り出し、それを足場にしてスムーズに地の底へと降り立った。


 (おび)える獣人たちを目にして、なるほど、と得心(とくしん)した。なにもかもが一瞬のうちに理解出来てしまい、怒りがシンクレールの心中(しんちゅう)で狂おしく燃え(さか)ったのである。


 ひとしきり魔物を倒し、獣人たちを氷の壁の内側に閉じ込めた。これでしばらくは問題ない。


 ハンジェンの討伐がゴーシュの悲願であることは、事前に聞かされている。そしてリリーが瀬戸際(せとぎわ)でハンジェンの命を助けようとしてしまう点も、予想している。


 もし本物の悪党なら、とシンクレールは考える。考えながら、空中に作り出した氷塊を駆け上がり、地上を目指す。


 もし本物の悪党なら、差し伸べられた手を利用する。どんな小さな優しさをも泥まみれにして嘲笑(ちょうしょう)するだろう。


『それじゃ、リリーにかけた妙な魔術を()いてもらおうじゃねえか』


 クラナッハの声が、うっすらと彼の耳に入り込む。


 地上に(おど)り出たシンクレールは、決して驚かなかった。想像した通りの非道がそこにあったからだ。しかしながら、予測していることと感情を動かさないことは別だ。シンクレールは一層の激怒を自覚し、ハンジェンへと疾駆(しっく)した。


「あいつを殺せ、リリー!」


「嫌! 嫌、なのに――」


 リリーの周囲に大岩が浮かぶ。


 シンクレールは胸を押さえ、なんとか微笑んで見せた。リリーが安心出来るように。少しでも、その涙が引っ込むように。


氷牙(グラス・デファンス)


 魔力が(ほとばし)り、地面から太い氷柱(つらら)が突き出る。それらは(せま)る大岩を、いとも容易(たやす)く破砕した。


 魔術の解除とともに氷柱が砕け、破片が月光を反射して(きら)めく。


 氷の破片の間で、ハンジェンが目を見開くのが見えた。


「リリー、もう一度――」


氷の矢(グラス・フレス)


 空中に展開された無数の氷柱。それらはハンジェンの視界を(おお)い尽くしたことだろう。これ以上なにか仕出かそうものなら、容赦(ようしゃ)なく全身に穴が()く。そう確信出来るほどの量と練度の魔術を前に、ハンジェンの言葉が止まった。


 氷の矢(グラス・フレス)を解除し、シンクレールはハンジェンを見下ろした。腹部が赤と緑に汚れている。おおかたゴーシュが貫いて、リリーが手当てをしてやったのだろう。


 シンクレールは迷いなく患部(かんぶ)を踏みつけた。


「舐めた真似(まね)をするじゃないか、ハンジェン」


 足元でくぐもった声が漏れる。自分を見上げて苦悶(くもん)の表情を浮かべるハンジェンが、今なにを考えているのかなんとなくシンクレールは(さっ)した。この状況から逆転するための方法を必死で探していることだろう。


「ハンジェン。僕はリリーのように優しくない。お前を殺すのになんの躊躇(ちゅうちょ)もないんだ、残念ながら」


 リリーの視線を感じ、シンクレールは彼女に微笑みかける。ぎこちなく。そして再びハンジェンへと目を落とした。


「ハンジェン。リリーに(めん)じてチャンスをやろう。まず、僕の仲間を地上に戻すようリリーに命じるんだ」


 リリーの魔術――『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』がハンジェンの制御下にあることは、シンクレールもとっくに気付いていた。でなければ『嫌』と言いながら大岩を(はな)つわけがない。


 ハンジェンの返事がないので、シンクレールは右足に体重を寄せた。


「がっ、あっ……!」


 (かかと)を立て、患部を(えぐ)るように踏みつける。薬草が(よじ)れ、血液を(ふく)んだそれらがぐしゅぐしゅと(ねば)ついた音を立てた。


「さっきも言ったけど、僕は優しくないんだ。リリーがなにを叫んだって、僕は君を殺すのを躊躇(ためら)わない。拷問だってすんなりやってのけるさ」


「や、やめっ! 分かった! うぐ!! 足を、どけ、ろぉ!!」


「どけないよ」


 依然(いぜん)として、シンクレールはぐりぐりと傷痕を抉る。ハンジェンは魚のように口をぱくぱくさせて(うめ)いていた。


「リリー!! さっき埋めた全員をっ、ぐぅぅ、この場に、あっ、戻せ!!」


 リリーが涙を流しながらしゃがみ込み、魔術を行使(こうし)するのが見えた。


 ゴーシュとクラナッハが地上に姿を見せる。そして、ゴーシュの隣にいる半馬人を目にして、シンクレールは首を(かし)げた。踵で傷を抉る動きは止まっていたが、足は依然としてハンジェンの上に置かれている。


「君は確か……ルナルコン?」


 リリーとハンジェン、そしてクラナッハにはじめて遭遇(そうぐう)した日、自分たちを助けてくれた半馬人である。


「そうよ」


「生きていたのか」


 他意(たい)なくシンクレールが言う。彼女はデュラハン相手に(おとり)になって、そのまま戻ることはなかった。死んでいると思うのが自然である。


 ルナルコンは困ったようにゴーシュに視線を移す。そしてゴーシュの頷きと微笑を確認すると、再びシンクレールを見やった。


「ええ、(じつ)は生きてたの」


「そうか。それは良かった」本心から言って、シンクレールは()みを浮かべる。そして一瞬で笑顔を消し去った。「さて、と」


 ハンジェンを見下ろし、それからリリーを(なが)めやった。彼女は(そで)で目元を隠し、ぐすぐすと嗚咽(おえつ)している。


「ハンジェン。リリーにかけた魔術を解除しろ」


「……」


「だんまりか。なら、君を殺そうと思う。術者である君が死ねば魔術は解除されるからね」


 するとハンジェンは苦しげな嘲笑(ちょうしょう)を浮かべた。


「簡易契約魔術は、私が、死んでも、解除、されない」


 切れ切れの言葉を聞いている(あいだ)、シンクレールはじっとハンジェンの様子を見下ろしていた。顔の動き、手元の微動(びどう)、まばたきの数……。こうして観察するまでもないことではあったが、もし取りこぼしがあったら困る。


「術者が死んでも維持(いじ)される魔術なんて存在しないよ」


 基本的には、とは付け加えなかった。ハンジェンにそこまで教えてやる義理はない。


 術者不在の魔術は、基本的には消滅する。わずかな(あいだ)だけ残滓(ざんし)(ただよ)うことはあっても、魔術自体が術者を動力源とした代物(しろもの)であり、消滅は(まぬか)れない。王都の初等訓練校で習う内容だ。


「……」


 ハンジェンは口を結び、じっとシンクレールを(にら)んでいる。打開策を必死で考えているのだろう。


 シンクレールはクラナッハを一瞥(いちべつ)し、頷いた。


「ハンジェン。君が自発的に魔術を解除すれば、命までは奪わない。けれど、どうしても魔術を()きたくないのなら、僕たちは君を殺すほかない。ふたつにひとつだ。君が決めろ」


「……分かった。解除しよう」


「そう。それが賢い選択だ。君自身が、君の意志で決めた選択。そうだろう」


「……そうだ。それ以外に方法がない」


「違う。君が選び取ったんだ」


「私が選び取った」


 これで終わりだ。万事(ばんじ)上手くいく。シンクレールがクラナッハを見ると、彼はお(なか)をさすりながら真剣な表情で頷いた。


 クラナッハの腹に収まったオオカミ族の族長、バロック。彼はクラナッハの腹から支配魔術(ドミネーション)をかけたことだろう。急激に大人しくなったハンジェンの態度は、施術(せじゅつ)完了を示していた。


「よし、ハンジェン」彼の傷から足を離す。「リリーにかけた魔術を解除しろ」


 ゆらり、とハンジェンの腕が持ち上がる。そして、手のひらに浮かんだ紋様(もんよう)が色濃く輝き――やがて跡形(あとかた)もなく消え去った。


 リリーはというと自分の手のひらを見つめて、わっと泣き出した。


「もう大丈夫。大丈夫だよ」


 彼女に視線を合わせてにっこりと微笑んで見せる。と――。


「おっ、と」


 シンクレールは、自分の胸に飛び込んできた少女を抱きとめて苦笑した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて


・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『ルナルコン』→『灰銀の太陽』に所属する女性の半馬人。ツンデレ。腕を槍に変化させる魔術を使用。ゴーシュやファゼロとともに、クロエたちを救出した。『灰銀の太陽』のアジトへ向かう途中、デュラハンの引き付け役を請け負って以来、行方知れず。詳しくは『619.「半馬の助け」』『Side Runalcon.「いずこへ駆ける脚」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』


・『バロック』→オオカミ族の集落の長。知的で冷酷。相手を屈服させることに興奮を覚える性格。支配魔術および幻覚魔術の使い手。詳しくは『Side Mero.「緋と灰の使者」』にて


・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『氷の矢(グラス・フレス)』→氷柱を放つ魔術。初出は『269.「後悔よりも強く」』


・『氷牙(グラス・デファンス)』→大地から氷のトゲを展開する魔術。初出は『Side Sinclair.「憧憬演戯」』


・『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』→周囲の無機物を操作する呪術。リリーが使用。初出は『618.「大人物の愛娘」』


・『支配魔術(ドミネーション)』→使用の禁止された魔術。他者の自由意思に介入する魔術。詳しくは『117.「支配魔術」』『Side Johann.「ドミネート・ロジック」』にて


・『デュラハン』→半馬人の住む高原に出没する強力な魔物。首なしの鎧姿で、同じく武装した漆黒の馬に乗っている。クロエに討伐された。詳しくは『621.「敬虔なる覚悟」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『半馬人』→上半身が人、下半身が馬の種族。山々を転々として暮らしている。ほかの種族同様、人間を忌避しているが『命知らずのトム』だけは例外で、『半馬人の友』とまで呼ばれている。察知能力に長け、人間に出会う前に逃げることがほとんど。生まれ変わりを信仰しており、気高き死は清い肉体へ転生するとされている。逆に生への執着は魂を穢す行いとして忌避される。詳しくは『436.「邸の半馬人」』『620.「半馬人の友」』にて


・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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