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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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98.「グッド・バイ」

 小屋に戻るとノックスとシェリーが一緒のベッドで仲良く昼寝をしていた。微笑ましい光景だ。


 きっとシェリーが半ば強引に昼寝へと誘ったのだろうけれど、安らかな寝息を立てるふたりを眺めていると、今後も上手くやっていけそうな気がした。


 テーブルでチェスをするヨハンとクルスを手招きして、小屋の外へと呼び出した。それぞれに伝えるべきことがある。


 空は橙色(だいだいいろ)に染まっていた。太陽が溶け出したような物凄い夕焼けに思わず目を奪われる。先ほどまではこれほど見事な色合いはしていなかった。目を離した隙に、世界は刻一刻と姿を変える。多分、人も同じだ。


「これはこれは、素晴らしい夕景ですなぁ」


 ぼんやりと呟くヨハンと、口を薄く開いて景色に見入るクルス。


「ふたりに話があるの。まずはクルスなんだけど」


「遠慮なく言ってくれ。どんな頼みでも聞く」と、クルスは依頼だと早合点したように返した。


「頼みってわけじゃないんだけど……。今後の夜警について自警団で共有してほしいことがあるの」


 クルスは強く頷き、先を(うなが)した。


「今後、大剣を持ったコート姿の男が夜に現れるかもしれないけど、襲わないであげて。彼はあなたたちの協力者で、村を守る存在だから」


「ほう。それは実に頼もしい。今後は北側も守らねばならないので、実を言うと戦力が不足しているのではないかと心配してたんだ。その彼が助けになってくれるなら本当にありがたい」


 クルスは疑問などなにひとつ投げかけず、納得して何度も頷いた。彼らしい。


「クルスにはそれだけ」と告げて彼にウインクをする。クルスは照れたように顔を()いて小屋に戻っていった。誠実で、察しがいい男だ。


「さてさて、なんですか? また厄介事でも抱えましたか?」


 ヨハンは額に皺を寄せる。これ以上の足止めは心底ごめん、といった様子だ。


「いいえ。厄介事というより相談よ」


「はあ。聞きましょう」


『ユートピア号』の使者と『アカデミー』入校の条件について伝えると、ヨハンは黙り込んだ。顎に手を当てて思案に暮れている。


 (しばら)くして、彼は首を横に振った。


「やっぱり駄目かしら?」


「いえ、そういうわけじゃないんです。私にもどう判断していいのか分かりません」


 彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。


 そしてヨハンは続けた。「実際に使者を見て判断したいものですな」


 なるほど。確かにヨハンの執念深い目で観察すれば白黒はっきりするかもしれない。


 馬車はハルキゲニア側の門付近まで移動していた。折良(おりよ)く、使者は馭者(ぎょしゃ)台でうたたねしているようであるである。


 わたしたちが近付くと、気が付いた使者は馭者台を降りて会釈(えしゃく)した。


 なにか妙だ。先ほどまでは彼に魔力は感じなかったのに、今は胸の辺りに凝縮された魔力が()えた。その分、馬車の魔力が若干弱まっている。


「先ほどぶりですね、お嬢さん」と使者は微笑む。その顔に敵意は感じられない。


 しかし、状況が状況だ。胸騒ぎを覚えないわけにはいかなかった。


「そちらの方は、お連れさんですか?」


「ヨハンと申します」


「これはこれはご丁寧に。私はザクセンと申します」


 ザクセンと名乗った使者はわたしたちを交互に見つめる。「子供の保護について、決心がついたのですか?」


 一旦、胸の魔力には触れないことにした。下手に追及すると怪しまれるだけだ。


「そのことなんだけど、少し迷ってるのよ。……失礼かもしれないけれど、いくつか質問していいかしら?」


「ええ、どうぞ」


 ザクセンは笑みを崩さない。


 ちらりと隣を見ると、ヨハンは既に眼差しを変えていた。この不気味な凝視を浴びても平然と微笑んでいるのだから凄まじい。


「本当に『ユートピア号』に乗っていた子供しか『アカデミー』に入れないの?」


「ええ、そうです」


「どうして?」


「全ての子供を受け入れていたら『アカデミー』はパンクしてしまいますから」


「ハルキゲニアの市民でも『アカデミー』に入れないの?」


「入れません。『ユートピア号』のみという決まりですから。私も詳しくは分かりません」


 はきはきとした受け答えだった。(よど)みがない。少し揺さぶるべきだろうか。


「ところで、この村に子供を置いていったのはどうして?」


 この問いかけに、ザクセンは困ったように笑った。「あはあ、知っていましたか。本当はそんなことしてはいけないのですが、この村は子供不足だからって村長さんにせがまれちゃいましてね……。寄らせてもらっている身分ですから、なかなか断れなくって……。いやはや面目ない」


 ヨハンを一瞥(いちべつ)する。彼に変化はなかった。


 嘘ではない、ということか。ザクセンが虚言を吐いているのならヨハンが口を挟まないはずがない。


「そういう事情だったのね。内緒にしといてあげる。……だから、そこになにを隠しているのか教えて頂戴」


 ザクセンの胸を指さす。もはや我慢の限界だった。彼が信頼に値するかどうか、その凝縮された魔力の正体を判断材料にしないわけにはいかない。


 彼は意外そうに首を傾げ、上着の胸ポケットに手を差し入れた。「これのことですか?」


 ザクセンが取り出したのは妙に小さい縦笛だった。口元の穴と、胴にふたつの穴。


 演奏のための道具ではない。魔力はその笛に宿っていた。つまり魔具であることに間違いない。


「それ、なにかしら? 面白い笛ね」


「そうでしょうね。ときにお嬢さん、魔具はご存知ですか?」


 (ひか)えめに頷いて見せる。聞いたことはある、といった雰囲気を出すために。


「これ、実は魔具なんですよ」とザクセンは囁いて微笑んだ。秘密ですよ、とでも言うように。


 目を丸くして露骨に驚いて見せると、彼は嬉しそうに話した。「これを吹くと子供が寄って来るんです。不思議ですよねぇ」


 ヨハンは相変わらず黙っている。どこまでもわたしが話す必要があるらしい。


「子供が寄って来る?」


「ええ、そうです。この音色で――」


 ザクセンの唇が笛に触れた。


 サーベルに伸ばそうとした手を必死で押しとどめる。ここで下手を打つわけにはいかない。彼はハルキゲニアの使者であり、ノックスとシェリーの今後を決める重要人物だ。


 空気を切り裂くような鋭い音が響き渡る。


 直後、馬車から子供たちがぞろぞろと降りてきて、目を擦りつつザクセンを囲んだ。彼は子供たちに呼びかける。「さて、みんな。晩御飯をもらいに行こうか」


 ザクセンはわたしたちに会釈をし、村の中心部へと向かっていった。彼のあとを子供たちがぞろぞろとついていく。問答はこれでおしまい、ということだろう。


 手のひらがべたべたしていた。いつの間に汗をかいていたのだろう。


「どうかしら?」とヨハンに訊く。


 彼は首を横に振った。「分かりません。嘘はないように思いましたが、信頼に()るかどうか……」


「嘘がないのなら『ユートピア号』に乗せてもらうべきなんでしょうね」


「ええ。『アカデミー』に入るのなら、そうすべきでしょう。しかし……」


 なんとも歯切れが悪い。こうも頭を捻るヨハンは珍しかった。


 痛快に思う一方で、落胆している自分もいた。彼の判断に期待していた、ということだろう。


 良くない傾向だ。物事を自分で見極められなくて、この先の旅路が上手くいくとは思えない。


 ノックスは魔術師になりたがっていた。マルメロでの夜、彼の口から直接聞いたことを思い出す。ならば選ぶべきはひとつだ。


「ノックスとシェリーを『ユートピア号』に乗せるわ」


 ヨハンは曖昧に頷いた。優柔不断。いつもの彼ならへらへら笑っているところなのだが。


 ともかく判断は決まった。明日の朝一番、もう一度ザクセンに会いに来よう。ノックスとシェリーを連れて。


 ヨハンは黙って何事か考えているようだった。




 その晩、ノックスとシェリーとわたしで最後の夕食を囲んだ。ヨハンは隣の小屋で眠ると言って早々に引き揚げてしまった。どうにも様子がおかしい。


 しかし彼にこだわってばかりもいられなかった。あと半日もしないうちにお別れだ。


 二人には明日の早朝『ユートピア号』に乗ってもらうことは既に伝えた。ノックスは相変わらず小さく頷いただけだったが、シェリーはというと、ノックスと一緒なら大丈夫と言っていた。短い間に随分と打ち解けたようで、ひと安心だ。


 もぐもぐとパンを頬張るシェリーと、サラダをぱりぱりと噛むノックス。無表情の男の子と、感情豊かな女の子。


 ノックスは良い魔術師になるだろう、きっと。シェリーは努力次第だろうか。魔力量から考えると、二人には随分と差があった。


 けれど、大事なのは魔力ではない。どう生きていくか、だ。


 彼らの本当の人生がハルキゲニアではじまる。それを想うと嬉しくもあり、また、寂しかった。


 なんだかんだ、情が移っちゃったなあ。


 ノックスはきょとんとわたしを見ている。シェリーは慌てたように手を振り動かした。頬に熱い水滴がつたった。


 ノックスは立ち上がり、ハンカチをわたしの目尻にあてる。優しい手つきだ。


「ありがとう。大丈夫よ」


 笑ってみせると、つう、ともう一滴流れ落ちた。こんなにセンチメンタルだったろうか。不思議だ。


 食事を終えるとテーブルに伏せて眠ろうとしたのだが、シェリーに引っ張られてベッドに寝かされてしまった。お節介で、優しい子だ。そして、うつらうつらしているとシェリーが潜り込んできた。


 まどろみに()まれようとしているときに、もうひとつの温もりがベッドに入ってきた。遠慮がちに。


 ふたりの子供を腕に抱いて眠りに落ちる。胸がじんわりと温かい。多分、わたしは幸せを感じている。


 その夜の眠りは深く、夢は見なかった。




 翌朝ノックスとシェリーを起こし、ついでに隣の小屋までヨハンを起こしに行った。彼は寝惚(ねぼ)(まなこ)でゆらゆらと現れ、朝食もそこそこに四人で『ユートピア号』に向かった。


「おはようございます」とザクセンは迎えた。相変わらずの笑顔だ。


 胸元には例の笛が入っているのだろう。魔力が溢れていた。


 不安はあった。けれども、わたしに出来ることは限られている。彼らの人生全てに介入することは出来ないのだ。


「決心なさったのですね。歓迎しますよ」


 ザクセンは二人の子供に、手慣れた笑顔を見せる。そして二人の手をそれぞれ取った。「ハルキゲニアは素敵な場所です。『アカデミー』だって素晴らしい施設ですから、どうぞご安心を」


 ノックスとシェリーはそれぞれ頷いた。二人で協力して上手くやってくれれば一番だ。


「ひとついいかしら」


「なんでしょう?」とザクセンは(まばゆ)いほどの笑顔を向ける。


 後ろ髪を引かれたわけでも、情にほだされたわけでもない。ただ、気が付くと口走っていた。


「わたしたちもハルキゲニアへ向かっているんだけれど、同行しちゃ駄目かしら?」


 大丈夫ですよ、どうぞご一緒に。


 ――という答えが返ってくると思っていたのだが、ザクセンが口にしたのは真逆の返答だった。「それは無理ですね。なにぶん、盗賊団の影響で警戒心が高まっていますから。あなたがたがハルキゲニアに入るのは諦めたほうがよろしいでしょう」


「え」と声を漏らしたわたしを制するように、ヨハンが一歩前に出た。


「ああ、やっぱりそうなんですね。うーん、残念です。しかし、我々の目的はノックスとシェリーをハルキゲニアに届けることですから、これで完遂(かんすい)というわけです」


 ぎょっとしてヨハンを見つめた。彼の口元に浮かんだ軽薄な笑みは、決してわたしを騙すためのものではない――それを直感した。


「まあ、お嬢さんは名残(なごり)惜しい気持ちでいっぱいでしょうけれど。ザクセンさんは二人分の子供を『アカデミー』に入校させることが出来る、私たちは二人を無事ハルキゲニアに届けることが出来る。ギブ・アンド・テイク」


 ギブ・アンド・テイク、か。それによってヨハンが伝えたいことが理解出来た。ザクセンを一旦(あざむ)くつもりなのだろう。


 契約をちらつかせるのは、つまり、わたしたちの『ハルキゲニアまでの道中助け合い』が継続していることを意味していた。ここでマルメロ方面へ戻ることはありえない。


「ええ、そうね。……お別れが寂しくて、ついつい一緒に行きたくなっちゃったの。悪く思わないで頂戴」


「いえ、こちらの事情で(かえ)って申し訳ないです。さて……それでは、そろそろ出発しましょうかね」


 ザクセンに手を引かれていくノックスとシェリー。なにか言わなきゃいけない、そんな気がした。


 勢いのまま彼らに駆け寄った。ザクセンは苦笑を浮かべたが、知ったことではない。まずシェリーをしっかりと見つめた。


「シェリー。短い間だったけれど、ありがとう。(つら)くなったら、いつでも逃げ出していいんだからね」


 シェリーはにっこりと笑った。「大丈夫、私には英雄(ヒーロー)がついてるから」


 個人的な英雄。片翼の魔物スパルナ。彼がシェリーの心に与えた影響は大きいようだ。生贄少女は救い出され、こうして笑顔を浮かべて正しい生活へ歩もうとしている。


 スパルナ。あなたは正しい。


 次にノックスを見つめた。頭を撫でようとして、手を止める。これ以上自分を苦しくしてどうするのだ。


「ノックス。あなたとは『関所』から一緒だったけれど、本当にありがとう。あなたが優しいことは良く知ってるわ。だから、シェリーが困ってるときは助けてあげて。ピンチになったら守ってあげて。そして……自分の力でどうにもならないときは、ちゃんと助けを求めるのよ。いい?」


 後半は涙声だった。こんなことでは、いつまで()ってもお別れできやしない。


 ノックスはまたハンカチでわたしの目を拭い「分かった」と言った。そして、自分の腕を見つめる。そこに光る腕時計を。


「ありがとう」


 ノックスは確かにそう言った。それが腕時計の礼なのか、旅路の礼なのかは分からない。両方かもしれない。


 それからヨハンに視線を移し、同じく「ありがとう」と言った。


 振り向くと、ヨハンは俯いていた。彼も別れが寂しいのだろうか。意外だ。


 ヨハンは力なく顔を上げ、弱々しい口調で返した。「坊ちゃん、またチェスをやりましょう。いつか、ね」


「さてさて、そろそろいいですかね? 出発しないと……」


 言って、ザクセンは二人の手を引いて馬車に乗せた。そして馭者台に乗る前に「それではお二人とも、お達者で!」と叫んだ。


 やがて馬のいななきが快晴に響き渡った。馬車は土煙を上げて遠ざかっていく。


 この先、二人にどんな試練が待っているのか。それはわたしには想像出来ない。けれども、いかなる苦難も乗り越えて幸せを掴めるように祈った。


 彼らは充分苦しんだ。そのぶんの幸せを受け取る権利はあるし、そろそろ適切な取り分をもらっていいはずだ。


 どうか、健やかに、若々しく、伸び伸びと生きますように。


 やがて馬車は地平の先に消えていった。

◆改稿

・2018/05/14 笛の音を修正。


◆参照

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて

・『アカデミー』→魔術師養成機関。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて

・『ヨハンの執念深い目』→真偽を見抜こうとする場面でヨハンがする目付き。威圧的で不気味。初出は『11.「夕暮れの骸骨」』

・『マルメロ』→『最果て』地方の一大商業地。第三話「軛を越えて~①ふたつの派閥とひとつの眼~」の舞台。

・『ハルキゲニアまでの道中助け合い』→馬をもらう代わりにヨハンと交わした契約。詳しくは『40.「黄昏と暁の狭間で」』にて

・『ノックスの腕時計』→マルメロでクロエが買い与えた時計。詳しくは『57.「フルーツパフェ~カエル男を添えて~」』にて

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