Side Gorsch.「必要な堕落」
※ゴーシュ視点の三人称です。
しなやかに、しかし引き締まった四つ脚。無数の細かな傷が刻まれた銀の鎧。右腕はいかにも硬質な円錐状の槍。後ろで結んだ茶の髪が、俄かに吹き出した風に揺れていて、瑪瑙そっくりの瞳は遠慮がちにゴーシュへと向けられている。
月光に洗われたルナルコンの姿は、まるで亡霊のように美しかった。
しばし彼女の姿に見惚れてしまったゴーシュは、やがてハッとして顔を引き締める。
「ルナルコン。どうしてここに」
ゴーシュの問いに、ルナルコンは目を俯きがちに逸らした。「気付いたら樹海にいて、あんたを見かけて、それで……」
気取られぬように後をつけたら大変な状況になっていて、迷った挙句に助ける決心をしたのだと、ルナルコンはぽつぽつと雨垂れのように返した。
『因果』の二字がゴーシュの頭に浮かぶ。
「あたし、仲間を見捨てたの。助けることだって出来たのに、自分だけ逃げ出したの。だから、あたしの魂は穢れてる」
言って、ルナルコンは深いため息とともに肩の力を抜いた。どうしてもそれを伝えたかったのだろう。彼女の表情にそれが表れていた。
「……知っている」
ゴーシュが絞り出すように返すと、ルナルコンは苦笑した。
「クロエが言ったのね」
「ああ」
「本当にあの子は……まあ、いいわ」ルナルコンは髪を掻き上げ、寂しげに首を横に振る。「そういうことだから……」
そういうことだから、なんなのか。ゴーシュは続く言葉を待ったが、それが彼女の口から紡がれることはなかった。ルナルコンは一瞬で表情を変え、鋭い視線をゴーシュの後方に向けたのである。
振り向いたゴーシュは、ゆらりと立ち上がるハンジェンの姿を捉えた。その身に傷はない。ルナルコンの槍は彼の防御魔術を貫くことはなかったが、衝撃で吹き飛ばすことに成功したのみである。
「加勢か。面倒極まりないが……人形が増えたと思えばそう悪くもな――」
ハンジェンが言い終わらぬうちに、ゴーシュをまたいでルナルコンが疾駆する。
彼女が槍を突き出した瞬間、ゴーシュは無意識に歯を食い縛った。折られる、と思ったのである。
硬質な金属音が夜闇に響き渡る。ハンジェンの拳は槍の横腹に激突したが、砕けはしなかった。
ゴーシュの目が、丸く見開かれる。自分とルナルコン。双方の槍の魔術にどのような違いがあるのか。魔力量や、培われた技術だろうか。ゴーシュはそうしたもっとも妥当な結論を信じることが出来なかった。安直な実力差ではなくて、それとはまったく別のなにかがあるのではないか。
「先ほどの馬よりは多少マシだな」
ルナルコンはハンジェンの接近を阻むように、巧みに槍を操っていた。決して懐には入らせないよう、刺突を繰り出している。ハンジェンもまた、淀みなく刺突に対応していた。弾き、避け、接近を試みる。そのたびに阻まれていたが、動きがどんどん洗練されていくようにゴーシュには見えた。もちろんそれは、ルナルコンも同じである。より鋭くなっていくハンジェンの動きに合わせ、彼女もまた鋭敏な舞踊を展開していた。
ゴーシュはなんとか立ち上がり、後ろ脚の具合を確かめる。
少し痛みは残っているが、決定的な支障はない。
このままルナルコンに任せておくなんて選択肢は彼のなかになかった。彼女に加勢し、どうにかしてハンジェンを討つ。弄ばれた仲間の魂に報いるため。そして、今も奴が保有している仲間の肉体を解放してやるため。
「厳父の一本槍」
右腕に銀の槍を形成する。直後、ゴーシュは疲労と倦怠を感じた。
過剰に魔力を使ってしまっていることは自覚している。そもそも慣れている魔術ではないため、魔力の配分も探り探りだ。それでもまだ戦える。戦わなくてはならない。ゴーシュは呼吸を整え、長いまばたきをひとつした。
「二体一か。さして問題ではない」
ハンジェンの悠々とした声が、風音とともにゴーシュの耳に入る。
二対一。倍になった刺突はハンジェンの口にした通り、問題ではなかった。ゴーシュの槍はまたしても砕かれたのである。
「ゴーシュ!!」
ゴーシュの懐に入り込んだハンジェン。その脇腹に、ルナルコンの刺突が直撃する。が、ハンジェンは貫かれもせず、また、吹き飛ばされることもなく、踏みとどまった。
直後、ゴーシュの視界で火花が弾け、続いて腹部の激痛とともに浮遊感がやってきた。側頭に回し蹴りを打ち込まれ、流れるように掌底が直撃したのである。
落下の衝撃で視界が大きく揺れる。まるで酩酊しているような不安定な景色のなかで、ルナルコンがこちらを見ているのが分かった。あ、っと驚いた表情で。そんな彼女へと迫るハンジェンの姿もまた、揺れる視界に映っている。
危ない。避けろ。――そう思ったときには、ルナルコンは馬体を蹴り飛ばされ、大穴の淵まで滑るように転倒した。
ハンジェンが、ゆっくりとした足取りでルナルコンへと歩を進める。
「情けないな。仲間を気にして意識を逸らすなど愚の骨頂だ。――おっと」
横たわったルナルコンの放った突きが、ハンジェンに掴まれた。ぶるぶると、痙攣するように彼女の右腕が震える。しかし、槍は掴まれたままびくともしなかった。
「貴様のおかげで楽に仕留められる。感謝するぞ、駄馬」
自分へと向けられた嘲笑に、ゴーシュは歯噛みした。そして、ふ、っと全身の力が抜ける。
たとえ死霊術で肉体を弄ばれたとしても、ルナルコンが懸命に戦った事実は変わらない。この戦闘において、彼女は紛れもなく立派な戦士だった。その結果として訪れる死は、彼女の魂を幾分か浄化しないだろうか。その穢れを拭い去るのではないだろうか。
ハンジェンが身を屈め、ルナルコンのほっそりとした首に手をかける。
「仲間を呪って死ぬといい。恨みだけを胸に抱くといい。そうすれば貴様は、憎悪に満ちた素晴らしい駒になる」
「……あってたまるか、そんなもの」
「なにか言ったか? 駄馬」
ハンジェンの言葉は、ほとんどゴーシュの耳に入っていなかった。ただ、自分のために向けた言葉が喉から溢れてやまない。
「穢れが消えるなどということは、断じてない」
そう信じて生きてきた。だからこそ、今さら都合良く考えを変えるなんて不可能だ。
「穢れた魂は、次の肉体など得ずに死の国を漂うだけだ」
ゴーシュは横たわったまま、腰の布袋を探り当て、丸薬を取り出した。
ルナルコンの、声にならない声がした。ハンジェンは依然として首を絞め続けていて、彼女は一直線に死へと向かっている。ゴーシュの声がその耳に届いたかは定かではないが、彼女の目に諦念の色が浮かび、雫がこぼれたのは確かである。
「なんの真似だ?」
ハンジェンの訝しげな視線を受け止め、ゴーシュは丸薬を口に放った。
「ならば、ワタシも堕ちよう」
言葉の直後、ゴーシュの喉が大きく上下した。間を置かず、彼はゆらりと立ち上がる。
「厳父の一本槍」
銀の槍を引き、前脚に力を籠める。
ハンジェンの目がつまらなさそうに歪み、口が開く。「――」
言葉未満の最初の一音が、ゴーシュの耳元で聞こえた。
距離を詰めたのも、刺突を放ったのも一瞬のことである。
ゴーシュは串刺しにしたハンジェンを地に叩きつけると、万感の思いを込めてルナルコンへ笑いかけた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『ルナルコン』→『灰銀の太陽』に所属する女性の半馬人。ツンデレ。腕を槍に変化させる魔術を使用。ゴーシュやファゼロとともに、クロエたちを救出した。『灰銀の太陽』のアジトへ向かう途中、デュラハンの引き付け役を請け負って以来、行方知れず。詳しくは『619.「半馬の助け」』『Side Runalcon.「いずこへ駆ける脚」』にて
・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『丸薬』→寿命と引き替えに一時的な力を得る、特殊な丸薬のこと。シャオグイが所有していたが、『灰銀の太陽』の代表的なメンバーの手に渡っている。詳しくは『748.「千夜王国盛衰記」』にて
・『死霊術』→死者を蘇らせる魔術。詳しくは『第一話「人形使いと死霊術師」』参照




