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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Lily.「茶番劇ではなく」

※リリー視点の三人称です。

「ハンジェン……」


 倒れ込んだリリーが見上げる先で、ハンジェンはひどく()めた表情をしていた。彼女の知る限り、ハンジェンはもともと感情表現の薄い男ではあったが、今の無表情には黒々(くろぐろ)とした内心が表れているように思えてならなかった。


「探したぞ、リリー」


 リリーは握った(こぶし)で地面を突くようにして、ゆっくりと立ち上がった。


 最低だ。そんな呟きが頭のなかでぐるぐるとめぐる。


 目の前の男に関する記憶が、リリーの脳裏(のうり)()けてやまない。


 リリーの父が主導した革命騒動は、彼女に凶報(きょうほう)を届ける結果となった。革命の関係者は遠からず、夜会卿(やかいきょう)によって処刑される。例外なく、全員。そんな分かり切った未来を()けるべく、彼女は生き残ったレジスタンスやその家族とともに、血族(けつぞく)の街から『毒色(どくいろ)原野(げんや)』へと踏み出したのである。


 原野を越えることの出来たのはリリーと、彼女の父に忠誠を誓った実直な男――ハンジェンだけだった。


 高貴(こうき)なる姫君(ひめぎみ)と、その執事。そんな二人の関係は所詮(しょせん)ごっこ遊びでしかなかったことは、王都の西方の山脈――竜人の住処(すみか)である『霊山』が存在する山脈――で証明された。ハンジェンは彼女にたっぷりの罵倒(ばとう)を浴びせ、その腹部を貫いたのである。彼を信じていたリリーは、自身の信頼がどれほど根拠(こんきょ)のない迷妄(めいもう)だったかを味わうこととなった。


 ハンジェンにまつわるいくつかのエピソードを思考から追い出し、リリーは立ち上がった。身体のあちこちに()った切り傷が痛みを訴えている。それらに意識を乱されながらも、彼女は真っ直ぐにハンジェンを(にら)んだ。


「ワタクシになんの用かしら?」


 声が、冗談のように震える。反響した音は否応(いやおう)なくリリーの耳から心へと浸透(しんとう)した。


「考え直したのだ」ハンジェンは、リリーの作り出した空間に一歩、足を踏み入れた。悠々(ゆうゆう)と。「やはり私には貴女(あなた)が必要だ。なので、お()びと仲直りを、と思ってね」


 彼が本心からそれを口にしていると思うほど、リリーは愚直(ぐちょく)ではない。西の山脈で経験した絶望感は、彼女を少しだけシビアな性格へと変えていた。


「それが嘘だってことくらいお見通しよ、ハンジェン。ワタクシはもう二度とアナタと一緒に行動したりなんてしないわ。仲直りもしないし、謝ったところで許してあげなくってよ」


 だから回れ右をして帰って。――リリーは、そんな願いを(いだ)いた。叶わないと知りながら。


「声が震えているぞ? 足もガタガタじゃないか。そんなに私が怖いか?」


「怖くなんてないわ」


 身体の震えが(おさ)えられない。(のど)が細かく痙攣(けいれん)している。リリーは必死で、自分の嘘から意識を()らそうとした。


 ハンジェンの足を進む。一歩、二歩。彼の接近に対し、リリーは『どうにかしなきゃ』と思いながらも、身体が硬直するばかりだった。


 やがて彼女の目の前で、ふらり、とハンジェンの腕が揺れた。


 殴られる。そう思ったが、リリーは動けなかった。咄嗟(とっさ)に目をつむっただけ。


 一秒、二秒。


 痛みも衝撃も訪れることはなかった。おそるおそるリリーが目を開けると――。


「うっ……! あっ……!」


 ハンジェン。自分自身。それにばかり気を取られて、この場にいる獣人のことをリリーは意識出来ていなかった。忘れていたわけではない。分かっていながら、自分自身を制御することで精一杯だったのだ。


 ハンジェンに首を(つか)まれ、空中でもがくラップ。その光景を目にしてリリーは目を()いた。


「離しなさい!!」


「なぜ? この獣と貴女はなんの縁故(えんこ)もない。どうなろうとかまわないだろう?」


 冷えた瞳と、わずかに持ち上がった口角(こうかく)。そんなハンジェンを見上げ、リリーは歯噛みした。


 ハンジェンは全部分かっている。分かった上で、そんなことを言っている。リリーはそんな具合に直感した。


「かまわないわけないでしょ……!」


「そうか」と、ハンジェンは平然と返す。依然(いぜん)としてラップの首を持ち上げたまま。


 ラップの喉から、錆びた鉄を()くような(うめ)きが流れ出る。岩肌に反響するその音に、リリーは心臓を押し潰されるような圧迫を感じた。


「その獣人を放して」


 彼女の声は、やはり震えていた。が、今度の震えは恐怖ばかりではない。確かな怒りが宿(やど)っていた。彼女の眼差(まなざ)しと同様に。


 通路の奥で獣人たちが、こっそりと彼らの様子を見つめていたことをリリーは知らない。だからこそ子供の悲鳴がしたとき、彼女はぎょっとして振り返った。


「『陽気な(ポルター)――』」


「魔術を使ったらこの獣人を殺す」


 監視部屋への入り口を封じ、獣人たちをこの男から(へだ)てる。そうしたリリーの目論見(もくろみ)は失敗に終わった。


 リリーはまばたきを二度繰り返した。通路の奥の子供が、じわりと(にじ)む。


 彼女は唇を噛み、ハンジェンへと向き直った。


「殺しちゃ駄目……」


「大人しくしていれば殺さない」


 言葉の直後、ラップの身体が地に落ちる。ハンジェンがようやく手を(ゆる)めたのだ。


 ラップが四つ()いになって、ゲホゲホと()せた。


「さて」ハンジェンが手を叩き、乾いた音があたりに反響する。「私の要求はシンプル。再びともに行動すること。もちろん、以前までの茶番劇の関係ではなく」


 執事と姫君。それを茶番劇呼ばわりされるのは、リリーにとって心外(しんがい)だった。かつての自分は心からハンジェンを信頼し、彼の執事としての役割に安堵(あんど)していたのだ。おかげで自尊心を失わずに済んだのである。


 ハンジェンが演技で自分に付き合っていたことはリリーも分かってはいる。ただ、それを直接口にされるのは事情が違った。お腹を貫かれるよりもずっとずっと強い痛覚を、今この瞬間彼女は味わった。


 自然と顔が(うつむ)く。嗚咽(おえつ)が漏れそうになる。唇を噛んでこらえるほかないのに、えぐ、えぐ、としゃくりあげてしまう。何度まばたきをしても視界が滲む。


「り、リリー、さん。ごほ……ぼ、僕はどうなっても、い、いいから……」


 ラップの声はしっかりとリリーの耳に届いている。しかし、彼女は決して彼に反応することなどなかった。


「……いいですわ。一緒に行けばいいんでしょ」


「聞き分けが良くて助かる。無駄な抵抗ほど面倒なものはないからな」


「一緒に行くって約束するから、『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使わせて……!」


 外へと踏み出しかけたハンジェンが足を止め、振り返る。丸眼鏡の先の瞳には鋭い輝きが(こも)っていた。


「なんのために」


「このままじゃ、アナタの()けた穴から魔物が入ってくるわ。『骨の揺り籠(カッコー)』が襲われないように……お願――」


 ぱしん、と甲高い音が響き渡った。


 リリーはたった今張られた(ほお)に、反射的に()れる。ついにこぼれた涙が、彼女の指の(あいだ)に染み込んだ。


「なにを(おろ)かなことを言っているんだ。貴女の魔術は無益(むえき)に連発すべきものではない。不具(ふぐ)の獣ごときに使うのは許さん」


「でも――」


 リリーは懸命に反論しようとした。


 恐怖と失意を振り払って声をあげた直後、再び頬を張られ、飛び散った涙とともに彼女の意志は木端微塵(こっぱみじん)に吹き飛んでしまった。


「ら、乱暴しないで、ください。り、リリーさんは、ぼ、僕たちの、たた、大切な、恩人、なんですから」


「なら魔物くらい自分たちでなんとかしろ。リリーの力は貴様ら愚物(ぐぶつ)には過ぎる」


「……な、なんとか、します……だから、彼女を……いじめないで、ください……」


 ラップの哀願(あいがん)は、むろん彼女の耳に届いていた。


 が、もう彼女はハンジェンに物申(ものもう)すことはなかった。少しだけ冷静になったのである。彼にこれ以上反論するようなら、きっと誰かが犠牲になると(さと)ったのだ。


 かくしてリリーは、失意に沈んだ想いで『骨の揺り籠(カッコー)』をあとにした。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ハンジェン』→リリーに仕える壮年の『黒の血族』。言葉遣いは丁寧だが、冷酷無比な性格。死霊術を得意とする。リリーとともに夜会卿の支配する街を脱出し、『落人』としてグレキランス地方にやってきた。現在はリリーを裏切り、『緋色の月』に協力している。詳しくは『617.「リリーとハンジェン」』『630.「たとえ愚かだとしても」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ラップ』→犬に似た獣人。片足にハンデがある。病の母とともに『異形の穴』へ身投げした過去を持つ。臆病な性格。詳しくは『811.「捨てる者、捨てられる者」』にて


・『夜会卿』→名はヴラド。『黒の血族』のひとり。王都の書物でも語られるほど名が知られている。魔王の分家の当主。キュラスの先にある平地『中立地帯』を越えた先に彼の拠点が存在する。極端な純血主義であり、自分に価値を提供出来ない混血や他種族は家畜同様に見なしているらしい。詳しくは『幕間.「魔王の城~ダンスフロア~」』『90.「黒の血族」』『幕間.「魔王の城~尖塔~」』『565.「愛の狂妄」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』→周囲の無機物を操作する呪術。リリーが使用。初出は『618.「大人物の愛娘」』


・『毒色(どくいろ)原野(げんや)』→人も血族も住まない荒廃した土地。グレキランスの人間は『中立地帯』と呼んでいる。夜会卿の統べる都市とキュラスとの中間に広がった荒野を指す。常に濃い靄に覆われており、毒霧が発生しているとの噂がある。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』にて


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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