Side Lily.「苺と遊戯と」
※リリー視点の三人称です。
「ああ、もう! なんなんですのコレ!!」
リリーは苛立っていたし、混乱もしていた。むしゃくしゃと頭を掻き、感情そのままに顔を歪める。彼女が魔術で作り出した空間の壁際で、そんな光景がもう何度繰り返されたか分からない。
「おねえちゃん弱ーい!」
「次は勝てるよ!」
「きゃきゃきゃ、面白~い!」
獣人の子供たちにこうして囃されるのも、もはやお決まりの流れだった。彼らを眺める父母の視線には、もうすっかり不安げな険がなくなっている。楽しそうに遊ぶ子供へ向ける、やんわりした眼差しへと変わって久しい。
「もう一回よ!!」
リリーは木製の盤を挟んで向かい合った子供に、人さし指を立てて挑む。相手は「しょうがないなぁ」なんて言いながら、盤上に散った小石を回収する。これもまた、お決まりの流れだった。
クロエたちが去ったあとの『骨の揺り籠』で、リリーは速やかに行動を開始した。残った住民全員が入れる空間を絶壁の内部に作り出し、そこに住民を誘導したのである。満足に動けない者には彼女が積極的に手を貸し、生活必需品や食料を運び入れ、ようやく籠城が完了したのは夕方になってからだった。それからは手持無沙汰になり、子供たちが興じていた遊戯――白と黒の小石をそれぞれ手駒とし、交互に盤上へ打って先に同種の駒を五つ並べた側の勝ちという単純なゲーム――に割って入ったのである。
最初は子供たちもリリーを怖がっていたのだが、次第に馴れ、今ではすっかり打ち解けている。子供たちのそうした反応や、リリーのこだわりのない態度に接するうち、徐々に大人たちも彼女の存在に馴れていった節がある。
「さあ、そろそろ寝る時間だよ」
遊戯に興じる子供たちに、老いた獣人が声をかける。
「おねえちゃんも一緒に寝よっ!」と目を輝かせる子供に、リリーは得意気な表情を浮かべてみせた。
「ふふん。ワタクシは高貴なる者の責務があるんですのよ。ここからは大人の時間。子供は早く寝なさいな」
「おねえちゃんも子供だもん!」
「失礼しちゃうわ! ワタクシは一人前のレディよ!」
クスクス笑いをしながら親のもとへと行く子供たちを目で追い、リリーは少しばかり気分が良くなった。朝からずっと働き詰めで疲れているのは事実だが、それを補って余りある満足感が彼女の胸を満たしていた。
リリーが作り出した空間には、大小様々な部屋がある。食糧庫がひとつ、寝室がよっつ、居間がみっつに、大部屋がひとつ。トイレ用の、縦穴付きの空間がふたつ。そして現在リリーのいる、壁一枚隔てて絶壁と接している監視用の部屋。これで全部だ。監視用の空間をやや広めに作ったのは、単に彼女が小部屋を好まないからで、戦略的な意図などまったくない。彼女は四六時中そこに控えているつもりで、なるべく心理的負担の少ない広さを選んだだけのことだ。なにか異常事態があればすぐにほかの空間と隔離出来るよう、通路は細く長く作ってある。
「ふぅ」とリリーは息をつき、伸びをした。そして自分の頬をぺちぺちと叩く。
「踏ん張るのよ、リリー」
長い夜に負けてしまわないよう、自分自身を励ます。子供も父母も老人も、すでに監視部屋を去っている。たったひとりじゃなければ決して口に出すことはなかった言葉だ。
今の『骨の揺り籠』内で、魔物や『緋色の月』と戦えるような存在はリリーだけである。だからこそ彼女は責任を感じていたし、それを自分の力にもしていた。
「リリーさん」
「っ!!」
急に通路から姿を現したのは、犬によく似た獣人――ラップである。
「びっくりしたじゃない! 急に話しかけないでくださる!?」
「あ、ご、ごめんなさい……」
しょんぼりと俯くラップに、リリーはなんとなくばつの悪さを感じた。
「どうしたの? もう寝る時間じゃなくって?」
「あ、いや、伝えておきたいことが……」
歯切れの悪い喋り方は、リリーの好むところではない。はっきりと言えばいいのに、とどうしても内心で苛立ってしまう。
「なにかしら。ワタクシの作った空間に文句でも――」
「みんなすごく喜んでます。リリーさんがいてくれて助かった、って。それだけを伝えたくって……」
はにかむラップを見つめ、彼女は頬が熱くなるのを感じた。
「ふ、ふん! 当然でしょ! 高貴なワタクシにかかればアナタがたを喜ばすなんて造作もなくってよ!」
心がぽかぽかと温かい。頬がとろけてしまいそうになる。素直になるのが無性に恥ずかしくて、リリーは腕組みをしてラップから顔を逸らした。
「あの、これ」と、ラップはいそいそと手を突き出す。木製の皿の上には、小さな赤い実が乗っていた。
「イチゴ……」
リリーは呆然と、その果物の名を呟いた。ほとんど無意識に。
彼女の大好物なのだ、イチゴは。
「が、崖の上に、イチゴの生ってる場所があって、た、たまに谷に、その、落ちてきたりして、えと、今日たまたま落ちてて……」
「……ワタクシ、イチゴはちょっと苦手なの。だから、子供たちにあげるといいわ」
「え、あー……ええと、獣人はイチゴを食べられないんです、全員。そ、それに、これひとつきりだから、子供に見せると喧嘩になってしまうから……」
見え透いた嘘に、リリーは思わず苦笑した。そして、少し感心もした。不器用ではあるけれど、なかなか気持ちのいい嘘だったから。
「り、リリーさん、朝からなにも食べてないんじゃ……」
「ふん。アナタがたに隠れてご馳走を食べてるのよ、ワタクシは。器用に」
折悪しく、リリーのお腹が『くうぅぅぅぅぅぅ』と鳴る。間延びした音はひどく長く鳴って、ラップは顔を引きつらせていた。笑う一歩手前で踏みとどまったらしい。
「今のは怪物の鳴き声よ。ちょうど壁の外に張り付いているのよ」
「ぶふっ」と、ラップはついに噴き出した。
「笑ったわね!?」
「い、いや、あはは、だってあんまりにも素直じゃないから、あはははは!」
末代までの恥だ、と思う一方で、リリーは自然と表情が緩むのを感じた。ラップ相手に意地を張っても仕方ない、と。
「降参よ。ありがたくいただくわ」
「え、ええ、どうぞ」
「ん……酸っぱくて美味しい……」
「そ、それは、よかったです」
イチゴを食べるのは随分と久しぶりだった。父と二人で暮らしているときは頻繁に食べたものだ。近所でイチゴを育てていて、よく分けてもらっていたのである。
懐かしい記憶が彼女の表情を、少しばかり思慮深くさせる。父と暮らした年月と、現在。その間に横たわる隙間が、どうしたって記憶に影を落としてやまないのだ。
「ぼ、僕は」ラップは足を引きずってリリーの傍まで来ると、彼女がそうしているように、壁にもたれて座った。「今が一番、楽しいです」
「どうしたんですの、急に」
「あ、いや」と彼は恥ずかしそうに両手を胸の前で振った。「こ、この状況が、じゃなくって、『骨の揺り籠』に来てからが、って意味で……」
リリーは「ふぅん」と口を尖らせ、口のなかに残るイチゴの酸味を味わった。
「村にいたときは、あんまり、その、いい思いをしたことがなくて。ぼ、僕、実は、こんな足じゃなかったんです、もともと。は、母が病気で、すごく、その、煙たがられていて、だから……二人で、穴に飛び込んで……」
そして足を負傷した代わりに、母が虐げられない居場所を手に入れた。ラップの言葉は途中で尻すぼみになって消えたが、リリーは全部を聞かずとも彼の境遇を把握した。
しかし、同情はない。自分から死のうとするだなんて、リリーにとっては決して認めることの出来ない考えだったからだ。
沈黙が続くものだから、リリーは仕方なしに励ましの言葉でもかけてやろうと口を開いた。
――が、彼女の喉から溢れたのは、慈愛に満ちた慰めでも、つっけんどんで不器用な慰藉でもない。
「離れて!!!」
ラップの身体を突き飛ばした。その直後――。
轟音とともに壁が吹き飛んだ。岩の欠片がリリーの身体にいくつかの傷をつけ、そこから血が流れた。
「ようやく見つけた。ご機嫌いかがかな、高貴な高貴なお姫様」
継ぎはぎの家屋を背景に、丸眼鏡をかけた怜悧な顔立ちの男が立っていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『ラップ』→犬に似た獣人。片足にハンデがある。病の母とともに『異形の穴』へ身投げした過去を持つ。臆病な性格。詳しくは『811.「捨てる者、捨てられる者」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『骨の揺り籠』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて




