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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第一章 第三話「軛を越えて~③英雄志望者と生贄少女~」
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97.「冷たい肌の、その奥に」

 村長の(やしき)から出るとランタナ側の門へと向かった。この調子なら夕方までには全て片付くだろう。


 門を出て北へと歩を進める。やがて森に入り、(しばら)く進むと泉に出た。


 昼間の泉は平穏そのものだった。水面(みなも)は静かで、鳥の(さえず)りが降り注ぐ。木漏れ日は優しく、空気はひんやりと心地良い。


 苔むした地面を踏みしめ、一歩ずつそれ(・・)に近付く。この場所に相応(ふさわ)しくない物がひとつある。


 屹立(きつりつ)した十字架を睨んだ。その木肌は犠牲者の血と涙を吸い、嘆きと恐怖が染みついている。


 サーベルを抜く。一瞬目を(つむ)り、それから一気に斬り刻んだ。何度も、何度も。


 十字架はもはや、その(てい)をなしていなかった。ただの切断された木片。それだけだ。出来ることなら燃やしたかったが、これで充分だろう。


 悲劇の象徴は消えた。その原因も既に消滅している。


 泉の(そば)に座り込んで水面を眺めた。昨晩、泉の底で繰り広げられた戦闘を思い出す。


 一歩間違えれば死んでいた。いや、もしスパルナが助け出してくれなければ溺死していただろう。我ながらなんて無茶をするんだ、と今になって後悔した。その晩の戦いは確かに命を賭けてでも勝たなければならなかった。だとしても無鉄砲の(そし)りは(まぬか)れない。あとでヨハンにちくちく言われるに決まっている。


 もう少し考えて戦わなければならない。キュクロプスのときもそうだったが、ひとの命が関わるとどうも冷静さが欠けてしまう傾向にある。騎士時代は周囲に優秀な同僚がいたが、今はひとりだ。ヨハンだって完全に信用出来るわけじゃない。なにをするにしても自分自身の決断を迫られる。無謀(むぼう)さと勇敢さを取り違えてはいけない。


 とはいえ、もう一度同じ状況に直面したらきっと同じ行動をするだろう。いくら反省しても虚しいだけだ。


 自分の力で戦っているように思えて、その(じつ)きわどいところで助けられている。ケロくんのときのヨハンや、昨晩のスパルナのように。もしかしたら、こんなふうにしか生きられないのかもしれない。


 目を閉じると、まどろみに意識を引きずられそうになった。頭を振って眠気を飛ばし、追憶する。


 いくつか整理しなければならないことがあった。この先に進むために。魔王の城に辿り着くために。


 が、わたしの瞑想は中断された。魔物の気配である。


 それは確固たるスピードで泉へと向かってくる。目を開けて、魔物を待つ。


 やがてスパルナが隣に腰を下ろした。


「シェリーはヨハンが見ていてくれてるわ」


 おそらくは気になっているだろうから告げてやった。


「そうか」


 スパルナの視線は水面に注がれていた。その深くを見つめる横顔は、どうにも魔物らしからぬ憂愁(ゆうしゅう)(ただよ)っている。


 彼に言わなければならないことがある。が、なかなかタイミングを掴めなかった。沈黙ばかりが積もっていく。もしかしたらハンバートも同じような感覚だったのではないだろうか。


「スパルナ」


 呼ぶと、彼はわたしへと視線を移した。「泉から助けてくれて、ありがとう」


「いや、当然のことだ。(むし)ろ、共に戦ってくれて感謝している」


 英雄志望者として当然、ということか。彼は本気で英雄になりたいと願っているのかもしれない。


 だとしたら、どうする。


「少し話したいことがあるの。わたし自身の心を整理するためにも」


 彼は頷いた。


「わたしは魔物を殺さなければならない立場にいたわ……つい最近までね。今でもその信条に変わりはないつもりよ。だから、どんな存在であっても魔物であれば斬らなければ気が済まない。なかには人間を騙すような狡猾で非情な奴もいるから」


 そう。これは信条の問題だ。


「僕を殺すのか?」


 スパルナは呟く。


「当然よ」


 答えを聞いても、スパルナは身じろぎひとつしなかった。彼には悪いが、少し酷い方法を使おう。


 立ち上がり、サーベルを抜き去る。そして刃を彼の首筋に伸ばした。


 スパルナは微動だにしなかった。ありがたい、と思う。斬り(やす)いという意味ではない。


「抵抗しないの?」


「あなたは正しい人だから抵抗はしない。死ぬべきだと言うなら、それで構わない」


 全く。クルスもそうだが、誠実な奴が多過ぎる。もっと世界は泥臭いのではなかったのか?


 スパルナの返事はわたしの決心を更に固くさせた。


 もう判断はついている。彼について確かめることも出来た。そこに(いつわ)りの雰囲気はない。騎士団長の言葉通り、わたしはわたしが信じるほうを選び取る。そして、その責任はどこまでも負うつもりだ。


 サーベルを納めて腰を下ろすと、スパルナは意外そうにこちらを覗き込んだ。「殺さないのか?」


「あなたが魔物なら殺さなければならない。けれど、わたしは完全にあなたの正体について判断することは出来ないわ。だから殺さない」


 これが正しいのか間違っているのかは分からない。ある意味、騎士失格かもしれない。けれど、今ここで彼を斬ったらわたしはわたしを失ってしまう。あの頃のニコルを斬るようなものだから。


勿論(もちろん)、いつか後悔するときが来るかもしれない。たとえば、あなたが人を襲うようになったら」


「それはない」


 スパルナがあまりに真剣な口調で返すので、思わず頬が緩んだ。


「そうよね。わたしとしても命の恩人を傷付ける真似なんてしたくないわ」言葉を切り、空を見上げた。雲間に久しぶりの青が広がっていた。「それに、英雄を斬ったら悪党になっちゃう」


 スパルナは無言のまま、透き通った目で空を(あお)いでいた。わたしと彼が同じ景色を望むのなら、多分、敵同士にはならない。


「ひとつ、お願いがあるの」


「なんだ」


「もし良ければなんだけど、これからもこの村を守ってくれないかしら? グールから、そして、それ以上に強い魔物から」


 クルスをはじめとする自警団員のみでは乗り切れない夜があるかもしれない。そうなれば村も危機に(おちい)る。もしスパルナが手を貸してくれるのなら、それに越したことはない。


「当然だ」


 スパルナは(よど)みなく答えた。


 訊くまでもないことだったか。だって、彼は英雄見習いだから。


「その返事を聞けて良かった。それじゃ、わたしは行くわ」


 わたしたちは(ほとん)ど同時に立ち上がった。


「あなたの旅路に(さち)多からんことを」


 スパルナの仰々(ぎょうぎょう)しい言葉に思わず微笑んでしまった。「スパルナにも、幸福が訪れるよう祈ってるわ」


 言って、手を差し出した。スパルナは遠慮がちに握る。握手なんてあまりしたことがないのだろう。


 彼の手は、当然ながら人間離れした冷たさだった。しかし、その奥に燃えている魂をわたしは知っている。




 スパルナと別れて村に戻る途中で馬車を見かけた。見覚えのある大型馬車である。確か、アカツキ盗賊団のアジトに向かう道中で一度目にしている。


『ユートピア号』。ハルキゲニアへの馬車。魔術師訓練校――確か『アカデミー』と呼ばれていたっけ――への入校が約束された揺り籠。ハイペリカムの悲劇を裏支えした存在。


『ユートピア号』は門前で停まった。馭者(ぎょしゃ)台から仕立ての良いスーツ姿の若者が降り、門番代わりの自警団員となにやら話し込んでいる。おそらくスーツの男はハルキゲニアの使者だろう。


 彼は合間合間に笑顔を(こぼ)していた。幸いなことに、魔術師らしき魔力は帯びていなかった。ただ、馬車の側は魔力に溢れている。おそらくは子供たちの持つ魔力だろう。


 近付くと、彼らの話が理解出来た。もう村に子供を提供しなくていい、という内容である。使者はそれを歓迎しているようだった。彼がどこまで村の事情を掴んでいるのかは知らないが。


「ごきげんよう」


 彼らの傍まで行くと、自警団員の男は顔を綻ばせた。「ああ、姉さんどうも」


「ごきげんよう、お嬢さん」と使者は微笑む。人当たりのいい笑顔だ。なるほど、子供にはよく(なつ)かれそうな雰囲気をしている。


「あなたはハルキゲニアからの……えーと、使いの方かしら?」


「ええ、そうです。お嬢さんは旅人でしょうか?」


 肯定すると、彼は納得したように何度か頷いた。「だと思いました。良い服ですね。洒落(しゃれ)てます」


 思わず「えへへ」とにやついてしまった。突然褒められるとついつい気が緩む。


 ゆるゆるになっている場合ではないと自分を一喝(いっかつ)し、馬車に視線を移した。そこに子供が乗っているのは間違いない。


「子供たちをハルキゲニアへ連れていくところなのね」


「ええ、勿論」


 やはり。なら、ノックスとシェリーのことを持ち出す絶好の機会だ。


「丁度良かった! 実は少し相談があるの」


「ほう、なんでしょう?」


 彼はニコニコと首を傾げる。


「元々『ユートピア号』に乗っていた子を保護しているの。男の子と女の子よ。彼らをハルキゲニアに送り届ける途中なんだけれど……」


「ははあ、なるほど。確かに、逃げ出した子供や、道中で(さら)われてしまった子は今までもいました」言葉を切り、使者は深々と頭を下げた。「保護してくださっているとのこと、深く感謝します」


「当然のことをしたまでよ。……それで『ユートピア号』のことなんだけれど、それに乗っていた子たちがハルキゲニアで保護されるのは本当?」


「ええ、間違いありません。全員『アカデミー』で養うことになっています。しかし……」彼は少し躊躇(ためら)ってから続けた。「『アカデミー』に入校出来るのは『ユートピア号』でハルキゲニアに入った子供だけです。今からでも保護しましょうか?」


 願ってもない提案だった。しかし、使者を信頼して良いものなのかどうか。彼が子供を毎月ひとり村に置き去りにした事実を(かんが)みると、胸中(きょうちゅう)に不安が生まれた。それは霧のように立ち込め、消え去ってくれない。


「少し考えてもいいかしら? 今夜は村に泊まるんでしょう?」


「ええ。明日の朝一番で出発します。それまでにお答えを頂ければ結構ですよ」


 使者は呆気(あっけ)ないくらいの笑顔で告げた。


 その場を辞去(じきょ)してから自警団長の小屋に戻るまでの間、胸の引っかかりについて考えた。なぜ『ユートピア号』の子供しか受け付けないのか。


 いくら考えても、しっくりくる答えは導き出せなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。


・『ランタナ』→ハイペリカムの直前に訪れた町。詳しくは『59.「逃亡とランタナの農地」』にて

・『騎士団長の言葉』→『53.「せめて後悔しないように」』参照

・『ユートピア号』→子供を乗せてハルキゲニアへ向かう馬車。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて

・『アカデミー』→魔術師養成機関。詳しくは『54.「晩餐~夢にまで見た料理~」』にて

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