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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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837.「懐かしきペテン師」

 スーツをまとった黒山羊(くろやぎ)。そのひょろ長い姿から目が離せない。視界はすっかり(にじ)んでいて、それなのに涙を(ぬぐ)う気にもならなかった。


 黒山羊の(のど)から(あふ)れた声が、否応(いやおう)なくわたしの思い出を刺激する。


『メフィスト』。ゾラはゲオルグのことをそう呼んだ。つまり、黄金色(こがねいろ)の光の中心で飄々(ひょうひょう)(たたず)む黒山羊は、これまでずっとわたしと旅をしてきたあの不吉で油断のならない不健康男――ヨハンなのだ。


 どうせどこかで生きているだろうとは思っていたし、ろくでもない作戦を秘密裏(ひみつり)に進めているに違いないとも思ったし、心配なんてしてないつもりだった。


 彼が魔女の(やしき)に残した手紙の一節(いっせつ)脳裏(のうり)に浮かぶ。


『とりあえずのところは、さよならです。また会えたらいいですね。』


 会えたじゃないか、結局。でも本当は、もう会えないんじゃないかとも思ってたんだ。この涙がその証明だ。自分の弱さが、両の目からどうしようもなく流れてしまっている。


「ハンカチを貸しましょうか? お嬢さん」


 黒山羊は、どうにも(なつ)かしい声で言う。愉快(ゆかい)そうに。


「いい。あなたに借りっぱなしになってたハンカチがあるから」


 布袋(ぬのぶくろ)を探り、空色(そらいろ)のハンカチを取り出すと思い切って涙を拭った。ハルキゲニアで借りて以来、そのまま返せていないハンカチだ。


 ヨハンはへらへらと言う。「いい加減返してくださいよ」


「洗って返すわ」


 たった今、涙を吸ってしまったし――なんてのは誤魔化(ごまか)しで、いつか本当に彼と離れるときにこそ返そうだなんて思ってる。ニコルを倒して王都に真の平和が訪れた日か、それとも……。


「まあ、なんでもいいです。お気に入りの品ですから、くれぐれも大事にしてくださいね」


 言って、ヨハンはわたしから視線を外した。彼はゾラを一瞥(いちべつ)し、宝の山へと(あゆ)む。


 ガラガラとけたたましい音を立てて、宝物(ほうもつ)の山が一部崩れた。


「さて」ヨハンの手には、彼の身長の半分ほどもある大袈裟(おおげさ)(さかずき)(つか)まれている。彼は再びゾラの前へ戻ると、杯を逆さまにし、その上に腰かけた。「はじめましょうか」


「メフィスト。貴様(きさま)には礼節(れいせつ)がないようだな」


「ご冗談(じょうだん)を。私ほど礼儀を重んじる男はいませんよ」


 相変わらずの減らず口に、安堵(あんど)の息がこぼれる。


 よかった。ヨハンはどうしようもなくヨハンだ。


 それにしても。


 ゾラに目を向ける。彼はいかにも不機嫌そうにヨハンを(にら)んでいた。頬杖(ほおづえ)を突いたままの姿勢だったけれど、脱力なんてこれっぽっちもない。眼光(がんこう)はもちろん、全身から不穏(ふおん)な雰囲気を(かも)し出していた。暴力に訴えようとする気配はないのが(さいわ)いだ。先ほどハックと()わした非暴力の約束だって強制力なんてない。容易(たやす)反故(ほご)に出来る。


 ゾラがヨハンのことを知っていたのは、さして不思議ではない。ゾラはニコルとともに旅をしたメンバーなわけで、面識(めんしき)があるのは当然だ。ニコルは旅の途中でヨハンと出会ったんだから。


 ただ、互いが互いをどう思っているかまでは分からない。過剰(かじょう)な憎悪が見えないあたり、そう悪くない関係なのかも。


「さてさて、ゾラさん」ヨハンは足を組み、大袈裟に両腕を開いた。「私は貴方(あなた)と交渉しに来ました。戦争の参加について、です」


「貴様は、そこの忌々(いまいま)しい人間どもの味方をするというのか?」


「ええ、そうです。そして貴方の味方でもあります」


「……どういうことだ」


 ゾラの言葉は、そのままわたしの疑問でもある。


灰銀(はいぎん)の太陽』と『緋色(ひいろ)の月』。その両方の味方って……?


「私のスタンスは交渉のなかで(おの)ずと分かりますよ。そう焦らず、じっくりいきましょう」


 そうやって人を(けむ)に巻いて……。


 ゾラも苛立(いらだ)っているらしく、舌打ちをひとつした。


「さっさと用件を言え。交渉だかなんだか知らんがさっさと済ませろ」


「では早速本題に――といきたいところですが、その前に確認です」


 言って、ヨハンは後ろを振り返った。


 視線の先はわたしでもシャオグイでも、エーテルワースでもない。いまだに涙の止まらないハックだ。


「ハックさん。確認ですが、ゾラさんは貴方の用意した材料には納得しなかったのですね?」


 ハックは一瞬呆気(あっけ)に取られたように口をぽかんと開けていたが、すぐに(うなず)いた。散った涙の(つぶ)が空中で光を反射する。


「そうです。双方の戦力が減ったのにです。交渉が決裂すればもっともっと被害が――」


 ぷつり、と音がしそうなほど歯切れよく、ハックの声が()える。彼の瞳は依然(いぜん)として涙に濡れていたが、先ほどとは表情が一変している。口を真一文字に結び、ヨハンを(にら)んでいるのだ。彼の握った拳が(かす)かに震えている。


「どうしました? ハックさん」


「どうもこうもないです。メフィストさん、貴方は僕に嘘をついたです。ゾラさんには樹海全体の死傷者を感知する力はありませんです!」


 ああ、なるほど。さっきハックが見せた動揺はヨハンのせいか。いったいどこでそんな奇妙な力を知ったのかと思ったけれど、ヨハンが吹き込んだのなら納得だ。彼は平気でとんでもない嘘をつくから。それも、普段となにも変わらない調子で。


「ああ、そのことですか」言って、ヨハンは案の(じょう)、肩を(すく)める。「ちょっとした方便(ほうべん)です」


「方便……!」


 ハックの腕に力が(こも)るのが見えた。シャツの(すそ)をこれでもかというほど、ぎゅっと掴んでいる。


 まあ、そうなるよね。分かる。味方だと思って安心しているところを平気で(だま)すのがヨハンで、しかも白黒混在の微妙な――彼にしてみれば『絶妙な』かもしれない――騙しかたをするものだから、引き下がるほかないのだ。


 しかし、今回はひどい。ゾラが死傷者を感知出来る前提で、ハックは『灰銀の太陽』と『緋色の月』を大胆(だいたん)にぶつけたのだ。結果として、戦力のほぼ半分を(うしな)った。他人の命をむざむざ消失させてしまったんだから、そう簡単に割り切れないだろう。


 が――。


「分かりましたです。僕も納得ずくでやったことですから」


 ハックの顔にはまだ不満が残っていたが、声は冷静そのものだった。


 そうすんなりと納得出来る要素なんてどこにもないのに引き下がったのは、ヨハンに対する諦めばかりではないだろう。玉座に(ひか)える金色の獣は、室内で誰よりも存在感を(はな)っていた。射殺(いころ)すような眼光がハックに向けられ、大袈裟な呼吸音が部屋に響いている。これ以上ゾラを苛立たせるのは明らかに得策ではない。ハックもそれを(さっ)したのだろう。


 三秒。ヨハンがハックを見つめていたのはせいぜいそのくらいだったろう。彼はそれ以上ハックが言葉を(つむ)がないのを確認すると、ゾラに向き直った。そして「そう怖い顔をしないでください」なんてへらへらと言ってのける。


「貴様らの茶番に付き合うほど俺は暇ではない」


「さすがはルドベキアの酋長(しゅうちょう)(けん)、『緋色の月』の頂点ですね。ご多忙な身分だ。心中(しんちゅう)お察ししますよ」


 こほん、とわざとらしい咳払(せきばら)いをしてヨハンは続ける。


「さてさて、ハックさんとの交渉では折り合いをつけることが出来なかった。貴方は戦力がいかに摩耗(まもう)しようとも、戦争に参加するほかない。そうですね?」


「分かり切ったことを聞くな、ペテン師め」


 あ、それはゾラに同感。ヨハンは徹頭徹尾(てっとうてつび)ペテン師で、(すき)あらば(あざむ)こうとするような奴だ。隙がなくても無理矢理死角(しかく)を作って足を(すく)うんだからたまらない。


 黒山羊が、ニヤニヤと薄気味の悪い笑みを浮かべる。そしてぶらぶらと手を揺らした。


「そこについては異論ありません」


 ……ん?


「異論がない、って……。あなたはゾラが――『緋色の月』が戦争に参加することを認めてるの!?」


 ヨハンはわたしを振り返り、べろりと唇を()めた。真っ赤に踊る舌が、野性的な口内へと(かえ)っていく。


「ええ、そうですよ。お嬢さん。ゾラさんが戦争に参加するのは既定路線(・・・・)です」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ニコル』→クロエの幼馴染。魔王を討伐したとされる勇者。実は魔王と手を組んでいる。クロエの最終目標はニコルと魔王の討伐


・『毒食(どくじき)の魔女』→窪地の町イフェイオンの守護をする魔術師。『黒の血族』と人間のハーフ。未来を視る力を持つ。本名はカトレア。故人。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『Side Winston.「ハナニラの白」』参照


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『メフィスト』→ニコルと魔王に協力していた存在。ヨハンの本名。初出は『幕間.「魔王の城~尖塔~」』


・『ゲオルグ』→『黒山羊族(バフォメット)』なる、黒山羊に似た獣人。黒のタキシードに白手袋、黒革の靴といった出で立ち。言葉を発することが出来ないらしく、文字の魔術を用いてコミュニケーションを図る。『灰銀の太陽』と『緋色の月』の両方を救うと豪語している。正体はヨハンの変装した姿。詳しくは『809.「不動の黒山羊」』『810.「語る金文字」』『821.「怒りと使命を掌に」』『836.「世界一真摯で冷静で、情熱的な」』にて


・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて


・『ヨハンのハンカチ』→クロエがヨハンに借りたままになっているハンカチ。水色の布地に大樹が描かれている。詳しくは『156.「涙色」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ハルキゲニア』→『最果て』地方の北端に位置する都市。昔から魔術が盛んだった。別名、魔術都市。詳しくは『第五話「魔術都市ハルキゲニア」』にて


・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて

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