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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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834.「停戦要求」

 ゾラの視線は一点を()したまま微塵(みじん)も動かない。小人の歴史書――それも、最古の歴史書を凝視(ぎょうし)している。


 この書物にどれだけの価値があるのか、具体的な背景は分からない。なんにせよ、書物と命を天秤(てんびん)にかけるなんてナンセンスだ。


 決して警戒を()くことなく、ゆっくりとしゃがむ。視線はゾラから外さない。やがて、指先が書物に()れた。


「これを渡せばグリムに危害を加えないって約束してくれる?」


 ゾラの瞳は、わたしの掴んだ書物を(とら)えて離さない。一切こちらの表情なんて見ていなかった。


「約束しよう。その書物と小人の命は等価(とうか)だ」


 命と(ひと)しいほどの価値があるなんて、わたしには到底(とうてい)信じられない。が、そこに()を唱えるつもりなんてなかった。これでグリムが助かるのならそれでいい。


 しかし――。


「お姉さん、ストップです」


 書物を投げかけた腕が、思わず止まる。


「……なに?」


「その本とグリムさんの命は同じではありませんです。ゾラさんにとって、本のほうがずっとずっと価値が高いです」


 頭が疑問符で埋め尽くされた。なにそれ、という感情的な言葉が(のど)から(あふ)れ出しそうになる。それを押しとどめたのは、ハックが精一杯背伸びしてわたしに(ささや)きかけたひと(こと)のおかげだった。


「最終的に本は渡しますし、グリムさんも助けますです」


 ハックは確かにそう言った。


「価値は等価だ」


 ゾラはばっさりと、切り捨てるように断言する。


「いいえ、等価ではないです。僕たちはこの本を渡す代わりにグリムさんを解放してもらいますですが、それだけでは釣り合いが取れませんです」


「……なにが望みだ。まさか、戦争参加を――」


「平和的な交渉の席についていただきたいだけです。一旦(いったん)緋色(ひいろ)の月』に対して、一切の戦闘行為をやめるよう呼びかけてくださいです」


「馬鹿な」


「もちろん、『灰銀(はいぎん)の太陽』も停戦しますです。ああ、魔物との戦いはかまわないです。両陣営が傷付け合うのを一旦やめるだけですから」


 ハックはわたしの手から本を抜き取ると、しゃがみ込んで布袋(ぬのぶくろ)を開いた。


「お姉さん、マッチはありますですか?」


「え、ええ。中に入ってるけど……」


「失礼しますです」


 ハックは手早く布袋を(あさ)ると、早々(そうそう)に目的の品を見つけ出した。そしてひと息つくこともなく立ち上がり、ゾラを見据(みす)える。満面の笑みで。


「交渉にあたって、ルールを(もう)けさせてもらうです。ひとつはさっき言った通り、停戦状態であることです。ふたつめは、お互い暴力行為に訴えないことです。僕もゾラさんを、腹が立つからといって殴ったりしませんですから、ゾラさんも同じように理性的な態度を取るようにしてくださいです。その上で、双方の折り合える決着をつけますです」


 ……まるで最初から用意していたみたいな言葉だ。するすると(よど)みなく、しかも口を挟ませるだけの隙間(すきま)もなく言い切ってしまった。


 この子は多分、少しも焦ってなどいないのだろう。ゾラが書物に反応した瞬間に、武器を得た気分になったに違いない。グリムの命はもちろんのこと、それ以上の物事まで瞬時に勘案(かんあん)したというわけだ。


 ハックを見下ろし、感心半分、(あき)れ半分の息をひっそりと漏らす。


 薄気味悪い男の影(・・・・・・・・)脳裏(のうり)に浮かんでならない。飄々(ひょうひょう)として(とら)えどころがなく、人の弱みを見つけ出すのがなにより得意で、(かげ)でコソコソと動いてばかりいる秘密主義者。


 ハックは、今の時点で充分ヨハンに似ているのかもしれない。将来が心配だ。早く平和な生活を(いとな)んでほしい。


 そういえば、ヨハンは無事に生きているだろうか。いや、わたしのうなじに刻まれた契約の印が消えていないということは健在なんだろうけど、でも、やっぱり……心配だ。ちょびっとだけ心配。うん、ちょびっとだけ。


「くだらん」ゾラは吐き捨てるように言う。苛立(いらだ)ちをそのまま声にしたような感じだ。「貴様(きさま)らを殺して歴史書を奪えばいいだけのことだ」


 ふぅん。彼はこの本が歴史書だと知っているわけか。まあ、必死で奪おうとしてるくらいだから正体を知っているのが自然か。


「強行手段に出るなら仕方ないです」言って、ハックは器用に片手でマッチを点火した。「なら、本を燃やしますです。貴方(あなた)は必死で止めようとするでしょうけど、クロエさんはちゃんと時間を(かせ)ぐですよ。少なくとも、本に火が移るだけの時間は」


 ぞわり、とゾラの毛が逆立ち、全身に殺気が(みなぎ)るのが見えた。普通なら一歩も動けないほど威圧感(いあつかん)だけれど――あいにくわたしには目的がある。そして、そのためなら恐怖なんて振り切ってしまえる。


 ハックの前に立ち、サーベルをかまえた。


「一秒か二秒。その程度ならあなたを止めることだって出来るわ。チャンスは一度きりだけど、試してみる? まあ、灰になった本を見つめてしょんぼりする結果になるでしょうけど」


 売り言葉に買い言葉。こういうのが段々得意になっている自分がちょっぴり嫌だけれど、まあ、この場合仕方ない。


 背後で小さな笑い声がした。もちろんハックのものだ。……なんだかちょっぴり恥ずかしい。


「お姉さんの言う通りです。チャンスは一度で、結果は見えていますです。さあ、どうしますですか?」




『一旦休戦。緋色の月に危害を加えてはならない。なお、魔物との戦闘は許可。緋色側も灰銀には手出ししないことになっている。ハックより』


共益紙(きょうえきし)』に書かれた内容を見て、わたしはほっと息を吐いた。


 ゾラは先ほど『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』に(ひか)えていたタテガミ族を呼び寄せ、早急に戦闘をやめるよう伝達したのである。わたしたちは間違いなくその言葉を聞いていたし、特別な(ふく)みは見出(みいだ)せなかった。つまり、一時的にだが傷付き傷付け合うのは止まったのである。


「うえぇぇぇぇん! 怖かったのでぇ!!」


「もう大丈夫よ。安心して」


 グリムはさっきからずっと、わたしの胸で泣いている。もう少しで死ぬところだったんだから当然といえば当然か。なんにせよ無事でよかった。


 ゾラはというと、例の書物――小人の歴史書をじっと(なが)めていた。偽物ではないか、仔細(しさい)に確かめているのだろう。よほど手に入れたかったことが彼の態度から(うかが)える。


「女、これをどこで手に入れた?」


 ゾラは鋭い目付きで()う。


「秘密よ」


 素直に答えてもいいけれど、そうするだけの理由なんてどこにもない。もう少し食い下がるなら、こっちも条件付きで教えてあげたっていいかも。うん、そうだ。そうしよう。


 けれどゾラは「まあいい」と簡単に返し、再び本を眺めやった。開いて読む素振(そぶ)りはない。ということは、小人文字の解読までは出来ないのだろう。おおかた、捕まえた小人たちに読ませるつもりに違いない。


「さて」とハックが呼びかける。「交渉をはじめますです」


 ゾラはじっと彼を見下ろし、やがて『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』へと踏み出した。「ついて来い」と残して。


 おそらくもう、わたしの出る(まく)はない。非暴力を前提(ぜんてい)とした冷静な交渉がなされるのだから。


 もともとわたしの役目は、万が一のときにゾラと対決するという一点である。とはいえ、前庭(ぜんてい)待機(たいき)するつもりはさらさらない。


「ごめんなさいなので」


 わたしの胸から離れると、グリムはしょんぼりと(うつむ)いた。


「気にしないで。ところで、どうしてここに隠れてたの?」


「お姉さんから本を回収するためだったので……。長老にこのことを報告しなきゃなので……」


 グリムはぐすぐすと泣きながら言う。


「チャンスがあったら取り返すわ」


 可能かどうかはともかく、それだけ大事な物ならば取り戻す必要があるだろう。


 グリムはこくりと(うなず)く。「ありがとうなので……」


 それだけ言うと、彼は『透過帽(とうかぼう)』をかぶって去っていった。


「僕たちも行きますですよ」


 ハックに(うなが)され、宮殿に向き直る。ゾラは廊下のなかほどで足を止め、じっとこちらを見据(みす)えていた。感情の()せた眼差(まなざ)しだ。暴力の気配は依然(いぜん)として消えていない。


 深呼吸し、宮殿に足を踏み入れた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『老小人』→小人の長。「エー」が口癖。人間をひどく嫌っている。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『透過帽(とうかぼう)』→かぶっている間は姿を消せる角帽。魔道具。気配も消すが、物音までは消えない。詳しくは『597.「小人の頼み」』にて


・『共益紙(きょうえきし)』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて


・『小人の歴史書』→コロニーの長が代々書き残す歴史書。子孫繁栄よりも大事な仕事らしい。詳しくは『285.「魔女の書架」』にて


・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて

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