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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Eldo.「意志と裁きとかつての自分」

※アルビスおよびエルド視点の三人称です。

 膨大(ぼうだい)な魔力の(こも)った一本の剣。アルビスはそれをかまえ、わずかに前傾(ぜんけい)した。


 老獣人に武器を(あつか)った経験はほとんどない。すべてを魔術で(まかな)ってきたからだ。まともな剣術など自分にないことを知りながら、しかしアルビスは勝利を確信していた。なぜなら彼の知る限り、ゾラは攻撃を回避しないからだ。以前戦ったときも、そして先ほど魔力球をぶつけたときもそうだった。魔物と戦っているときでさえ例外ではない。


 刻一刻(こくいっこく)と時間が過ぎていく。アルビスはゾラの(ふところ)へと飛び込むタイミングをじっと計っていた。


 南の喧騒(けんそう)。北の咆哮(ほうこう)。風には血の(にお)いが混じっている。(やいば)はいつしか橙色(だいだいいろ)から緋色(ひいろ)へと変化していた。


 ゾラの視線が(にわ)かに、アルビスの後方――巨獣へと()れた。


「覚悟!!」


 刃を引き、アルビスは飛び出す。絶好のタイミングとは言い(がた)いが、それでも剣術に覚えのないアルビスにとっては上出来だったろう。


 なにかの潰れる音が、アルビスの耳の内外で同時に鳴った。


 やや遅れて、金属が地面で跳ねる音がする。


 アルビスは膝を突き、全身の震えをなんとか(おさ)えて自分の右手を視線の高さまで持ち上げた。手首が無残に潰れ、手のひらはところどころ破裂して血が流れている。指先に力など入るわけがない。視線を下ろすと、地面には緋色の剣が横たわっていた。


 彼はなにが起こったのか、絶望的な気持ちで反芻(はんすう)した。


 刃を突き立てる瞬間、ゾラの身体が消えたのだ。そして手首を掴まれたと思ったときにはもう潰されていた。


「アルビス(おう)


 ぐ、と後頭部が掴まれる。


貴方(あなた)は見事だ。……見事な魔術だ」


 ゆっくりと、顔を地面まで押しつけられる。


「その刃は俺に届きうる」


 頭蓋(ずがい)がみしみしと音を立てる。


「貴方は死神に裁かれることはない」


 鼻の骨が折れ、どろどろと血が流れる。


「どうか安らかに眠れ」


 ひとまとまりの音とともに、多量の血液が飛び散った。




 エルドが目にしたのは、アルビスの絶命の瞬間だけである。彼が『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』の前庭(ぜんてい)に駆け付けたときにはすでに、物事は取り返しようのないほど進展していた。


 呼吸は乱れ、胸で鼓動(こどう)が暴れている。彼は口を開きかけ、閉じ、(ほお)の肉を裂けるまで噛んだ。


 葛藤(かっとう)が、逡巡(しゅんじゅん)が、すべてを手遅れにしてしまった。時間は巻き戻ってくれない。アルビスとともにゾラを討つことなど、もはや不可能になってしまった。たとえ自分が我武者羅(がむしゃら)にゾラへと飛び掛かったところで、まるで相手にされないどころか、死すらも与えてはくれないだろうとエルドは確信していた。


 ゾラは許す。そして拝跪(はいき)を求める。自分の弱い心は、その恩恵に預かってしまう。


「ゾラ様」


 エルドは今しも現れたといった雰囲気を装って、ゾラのもとまで駆けた。そして彼のそばの亡骸(なきがら)を見下ろし、顔をしかめる。


「エルドか……。ここでなにをしている。(すみ)やかに南へ行け。俺は北の獣人を(ほふ)る」


 ゾラは立ち上がると、なんでもないように右手を払った。そこに付着(ふちゃく)した血を振り落とすように。


「ゾラ様……アルビス(おう)を……」


「そうだ、俺が殺した。――それがどうかしたか?」


 ゾラの視線がエルドを()る。その瞬間、エルドは喉元(のどもと)に刃を突き立てられたような感覚になった。


 ゾラに逆らってはいけない。こうなった以上、彼の忠臣(ちゅうしん)として振舞(ふるま)わなければならない。


 俺は馬鹿だ、とエルドは自嘲(じちょう)した。ついさっき身の振り方は決めたろうに。


 必ずや裁きが待っている。が、それでいい。エルドはちらと足元を見下ろし、内心で独白(どくはく)した。


 彼が見下ろしたのはアルビスの死体ではない。その横に転がる緋色(ひいろ)の剣だ。


 アルビスは間違いなく死んでいる。すでに息はない。が、刃は残っていた。あまりに魔力を凝縮しすぎた結果、それが強力な残滓(ざんし)となってそこにとどまっていただけに過ぎない。じきに消える。それだけのことだった。


「北の獣は何者ですか」


「あれか。あれは――」


 ゾラの視線が北へ向く。エルドからもアルビスからも、剣からも外れた。


 ――自分はルドベキアの忠臣(ちゅうしん)で、アルビスにもゾラにも拝跪(はいき)している。ゆえに、必ずや裁きが待っていなければならない。


 エルドは素早く剣を拾い上げ――。


「ぐっ……!」


 エルドの突き立てた(やいば)は、ゾラの胸を(つらぬ)いた。見事に背中まで。


 アルビス様の(かたき)を――。


 そう思ったエルドの身体が、急激に脱力していく。視界がぐらりと崩れる。


 剣は刺さったままで、しかし、全身の感覚がない。


 視界はすでに落ちきっていて、エルドはちょうどゾラを見上げていた。視線を動かすことは出来ない。そんな力はどこにもないし、そもそも力の入れ方すら分からなかった。まるで身体がなくなってしまったようにエルドは感じた。


 ゾラが剣を抜くと、血が(ほとばし)った。そうして患部(かんぶ)(おさ)え込み、数秒ほどじっとしていると血は止まった。そんなゾラを(なが)めながら、なんて異常な回復力だと月並みな感想を(いだ)く。そうして、アルビスの無謀(むぼう)さに(あき)れ笑いがこぼれそうになった。もちろんもう、笑うことなど出来ないのだが。


 とはいえ、アルビスが死ぬ気で作り出した刃がゾラへと届いたのだ。命は奪わなかったが、その身を貫いたのだ。アルビスの努力は決して無駄ではないだろうし、むしろ賛辞(さんじ)を贈るべきなのかもしれない。そんなふうに、エルドは静かな心境(しんきょう)で思った。


 ゾラは長いことエルドを見下ろしていた。エルドもまた、視線を逸らすことも、(まぶた)を閉じることさえも出来ず、視線をぶつけ合うほかない。


 なんて恐ろしいんだ、とエルドは他人事(ひとごと)のように思った。こうしてゾラを見つめていると、その身に(あふ)れる暴力の気配にあてられて(すく)み上がってしまいそうだ。しかしながらそれも、今となっては他人事である。エルドはさっぱりとした気分でゾラの視線を受け止め、そして見返していた。


 ゾラの口がゆっくりと開く。


「お前がもう少し冷静だったなら、俺は心臓を貫かれていただろうな」


 エルドはこのときほど愉快(ゆかい)で、そして(くや)しく思ったことはなかった。もし口が()けていたなら言いたいことがあったのだ。


『わざと急所を外したんだよ、ゾラ様』


 命を奪う覚悟がなかったわけではない。


 アルビスが死んでしまった以上、もはやどうしようもなく物事に決着がついてしまっていて、けれどこのままで済ますわけにはいかなかっただけのことだ。自分はアルビスの側に立っているが、しかし、(げん)酋長(しゅうちょう)の命を奪うほどの動機は持っていない。アルビスは心からそれを望んでいたのだろうが、エルドは望まなかった。ゆえに、ゾラの身に刃を突き立てたのは意志表明であり、また、裁きを求めてのことでしかなかった。


 そして、とエルドは薄らぐ意識のなかで思う。


 ――そして俺は、ゾラに裁かれた。


「ゾラ!!!」


 ああ、誰かの声がする。甲高(かんだか)い声だ。随分(ずいぶん)と怒っているみたいだ。


忌々(いまいま)しい……」


 ゾラもだいぶ立腹(りっぷく)しているようだな。こんなふうに苛立ちを言葉にするのは珍しい。胸を貫かれたせいもあるかもしれない。


 誰が来て、これからどうなるのだろう。ああ、でも、もうなにも分からない。ゾラの姿も見えないし、音も遠くなっていく。


 なにも、なんにもなくなっていく。


 ん?


 なんだろう。


 誰かいる。あれは――。


 八つ裂きにされ、首だけになったエルドの意識はようやく途絶(とだ)えた。最期の瞬間に、()りし日の先代酋長と、彼に仕える自身の姿を脳裏(のうり)に浮かべて。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『アルビス』→ルドベキアの元酋長。優秀な魔術師であり、多くの獣人に魔術の手ほどきをした。戦争への参加に反対したが、ゾラとの決闘に敗れ、地下に幽閉された。温和な性格であり、同じく幽閉された小人族の信頼を得ている。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて


・『エルド』→ルドベキアに住むタテガミ族の戦士。アルビスを信奉している。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて

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