Side Alvis.「地の底の死神」
※アルビス視点の三人称です。
『黄金宮殿』前庭。
アルビスの放った巨大な魔力球は、轟音とともに弾け飛んだ。
晴れゆく粉塵の先に彼が見たのは、拳を突き出したゾラの姿である。一滴の血さえ流していない。
「この程度じゃ挨拶代わりにもならんか」
生半可な魔術ではゾラに傷ひとつ付けられないことは、アルビスもよく分かっていた。『緋色の月』の結成をめぐって彼と戦闘した際に経験済みである。何百本もの魔術製の刃を空中から一斉に放っても、ゾラの表皮に浅く刺さっただけで、流血にすら至らなかったことを思い出す。
つくづく特異な体質だと、アルビスは呆れ交じりに感心した。こうも刃に強く、また、いかなる衝撃を受けても破損しない肉体など獣人の歴史のなかでも前代未聞である。
「アルビス翁。以前俺に負けたことを忘れたか? 貴方の攻撃は取るに足らない」
ゾラはゆっくりと拳を下ろした。両の瞳はアルビスをじっと見据えている。怒りでもなく憎しみでもなく、ましてや悲しみなどでは断じてない。
感情の欠けた眼差しだ、とアルビスは思った。路傍の石や些末な虫に向ける、感情を伴わない視線。
良かった、とアルビスは心から安堵した。もしゾラにとって自分が脅威だったなら、すでに息の根を止められていただろう。あるいは、ゾラにとって心底無価値な存在だったとしても容易く殺されていただろう。
「なぜ大人しくしている? なぜ反撃しない?」
分かっていてもアルビスは確認せずにはいられなかった。
「貴方は魔術を識っている。それを継承することも出来る。殺すのは惜しい」
想像通りの答えにアルビスは苦笑した。そっくりそのまま、前回の戦闘のときと同じ答えである。
ゾラは言葉通り、前回の決闘では一切手出しをしなかった。魔力が尽きかけて倒れたアルビスを見下ろし、勝利宣言をしたのである。アルビスもまた、相手を殺す気では戦わなかった。現酋長であるゾラを殺すなど、どんな暴動が巻き起こるか知れたものではない。あくまでも戦争への参加を撤回させるために、多少痛めつけなければなるまいと考えていた程度である。
今回はなにもかも違う。ゾラの態度は同じだろうと、アルビスの心構えは決定的に異なっていた。
「ゾラよ」アルビスは腕を天へ掲げる。「お主は哀れな男だ」
アルビスの手のひらから魔力が迸り、最前同様、橙色に輝く魔力球が生まれた。
「哀れとは?」
「殺すか、手出しをしないか、お主にはそのふたつしか選択肢がない。加減が出来んのだ、お主は。ゆえに中道を歩めない。あらゆる物事に対して極端な対応しか出来ん」
「確かに、老人を殺さずに済むだけの加減は持ち合わせていない」
アルビスの頭上で、橙の球体がみるみる大きくなっていく。すでに獣人の身長ほどの直径になっていた。
ゾラの視線が一瞬だけ魔力球へと移ったのを、アルビスは見逃さなかった。背にじっとりと汗が滲む。もしゾラがその気になりさえすれば、魔力球の悠長な育成など簡単に阻むことが出来るだろう。それこそ跳躍し、未成熟な魔力の塊を拳で消し飛ばせばいいだけの話だ。
「ゾラよ。お主は半年間、どこでなにをしておったんだ」
時間稼ぎの質問ではあったが、それはアルビスにとっていまだに氷解していない疑問だった。月光色の優美な獣人とともに、ゾラはこの地を半年も留守にしたのである。その間アルビスは再びルドベキアの頂点を味わうことが出来たのだが、それを恩恵だと感じたことはついぞない。ゾラが帰還し、ルドベキアを襲撃しようとする者を追い払わなければ最悪の事態になっていたのだから。
「必要な旅をしただけだ」
「なにを得て、なにを失った?」
「幾分思慮深く、そして残酷にもなった」
ゾラの返答を聞いて、アルビスは鼻白んだ。
「思慮の結果、すべての獣人の命を危険に晒すと?」
「そうだ」
「儂にはお主もろとも獣人という種が壊滅する未来しか見えん。たとえ人間の地を征服したとて、待っておるのは土地をめぐる争いでしかない。血族に蹂躙されるのが末路だ」
「これまで通り樹海で生きたところで、俺たちはなにも取り戻せん」
話が平行線にしかならないのはアルビスも当然把握していた。時間さえ稼げればそれでいい。中身なんてあってないようなものだ。が、彼の口にした『取り戻す』という語に違和感を覚えたのは確かである。
「取り戻す? なにをだ。我々はなにも失ってなどいないではないか」
「……アルビス翁。俺たちはなにもかも失っている」
アルビスはゾラの指す喪失を、『黒の血族』による蹂躙だと思った。彼らは樹海にこそ踏み入っていないものの、かつてこの地の外にいた獣人たちを乱獲しては玩具のように扱ったという。その事実だけを頭に置いて、『なにもかも』などと嘯いているのだろう。
そういえば、とアルビスは思う。血族の街から逃げてきた獣人が二体だけいた。災いをもたらしたとして彼らを裁き、樹海に空いた底知れぬ穴へと落としたのはほかならぬアルビスである。
魔力球は、もはや宮殿に匹敵する大きさにまで肥大していた。
――そろそろかのう。
彼は頭上を見上げ、小さく息を吐いた。
そのときである。空をつんざく咆哮が轟いたのは。雄叫びはちょうどアルビスの後ろ――北の方角から聞こえた。
アルビスは素早くゾラを見やる。ゾラの瞳はアルビスでも彼の魔術でもなく、やはり声の方角に向けられているようだった。
老獣人は神経を鋭敏に保ったまま振り返る。そして、ぽかんと口を開けてしまった。
遥か北で巨大な影が暴れていたのだ。地に拳を振り下ろし、家屋を薙ぎ払う姿は異常そのものだった。
「リフ……」
アルビスは急激に、足元が覚束なくなったように感じた。眩暈と耳鳴りが同時に訪れる。だが視線だけは、北の巨獣から外すことが出来なかった。
決して生き延びることなど叶わないほど深い穴。言い替えれば処刑のための穴。そこへと消えた獣人が、今まさに街の北方で暴れている。
「裁きだ」
アルビスは無意識にそう呟いていた。自分自身の声を耳にして、段々と心が鎮まっていく。
――もうすぐ裁きが訪れる。死者の手が、この身を押し潰す。
耳鳴りが消え、眩暈も収まった。
「あれを知っているのか」
「死神だ。罪を清算しにきたのだ」
このときアルビスは、はっきりと自らの死を自覚していた。それが夜明け前に訪れるであろうことは、彼のなかでは疑いようのない事実でさえあった。
だからこそ、こうも思ったのだ。死ぬまでにやっておかねばならない仕事がある、と。
アルビスの頭上でみるみる魔力球が縮んでいく。否、凝縮されていく。内に秘めた力はそのままに。
やがて彼の手には一本の剣が握られていた。
橙色の刀身が夜闇を赤々と照らしている。
「さあ、ゾラよ。一切を終わりにしようではないか」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『アルビス』→ルドベキアの元酋長。優秀な魔術師であり、多くの獣人に魔術の手ほどきをした。戦争への参加に反対したが、ゾラとの決闘に敗れ、地下に幽閉された。温和な性格であり、同じく幽閉された小人族の信頼を得ている。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『リフ』→『骨の揺り籠』の住民。巨人の魔物キュクロプスと、タテガミ族とのハーフ。巨大な身体を持ち、頭には林檎の樹が生えている。夜会卿の統べる街で女性研究者によって生み出された。夜会卿の妾を誤って殺してしまった結果、使用人をしていたキージーとともに街を追放された。臆病な性格。幻覚の魔術を使うことが出来る。詳細は『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『黄金宮殿』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて




