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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Etelwerth.「四つの異変」

※エーテルワース視点の三人称です。

 ハックより『行動開始』の指示があってから、すでに三十分近く経過していた。『灰銀(はいぎん)の太陽』本隊は南からルドベキアに雪崩(なだ)れ込み、今まさに『緋色(ひいろ)の月』と苛烈(かれつ)な戦闘を()り広げている。双方が雄叫(おたけ)びを上げ、敵とぶつかり合っていた。


 エーテルワースは(とき)の声を遠くに聞きながら、小さく息を吐いた。万事(ばんじ)承知(しょうち)の上ではあっても、戦場から(へだ)たった場所を歩いていることを気が(とが)めるのだ。本来は自分も戦場で命を削って戦わねばならないのに、と。


 彼は窪地(くぼち)(ふち)を、ぐるりと西の方角へと歩いていた。濃い(やぶ)が続いており、ちょうど垣根(かきね)のようにエーテルワースの姿を隠していた。万が一視力の優れた獣人がいたとしても、彼の姿をルドベキア側から確認することは不可能だろう。


 エーテルワースはなんの理由もなしに戦線から離脱したわけではない。そして、ひとりで道なき道を(あゆ)んでいるわけでもない。


「えらい渋い顔どすなぁ」


 前を行くシャオグイが振り返る。エーテルワースの気を知ってか知らずか、彼女は愉快そうに口角(こうかく)を上げた。


 指摘されたエーテルワースは「む」と声を出し、自分の(ほお)をマッサージする。渋い顔というのがいまいちピンと来なかったので、知らず知らずのうちに緊張から表情が硬くなっているのかもしれないと思ったのだ。だから顔をほぐしている。


 もちもちと顔を刺激する彼を(なが)めて、シャオグイが(あき)れたように笑った。「(にい)はん、なにしとるんどすか?」


「む。顔のマッサージだ」


「なんでそないなことしとるんどす?」


「顔の渋さを取るためだ」


 シャオグイは一笑(いっしょう)し、進行方向に向きなおる。


 エーテルワースはマッサージをやめ、藪に視線を移した。わずかな隙間(すきま)から、獣人たちの中央集落の姿が見える。ぼんやりとした光の(つぶ)(いろど)られたその地は、かつてエーテルワースの暮らしていた集落よりも(はる)かに巨大だったが、そのぶんだけ物寂(ものさび)しさがあるように感じた。


 恵まれた境遇(きょうぐう)が必ずしも豊かな精神性をもたらすとは限らない。もちろん、恵まれない者が(ひと)しく精神的に高尚(こうしょう)だとは彼も思っていないが。


 エーテルワースはごく自然に、かつての友人の姿を思い浮かべていた。『命知らずのトム』。彼がこの地を踏んだとしたら、いったいどんな感想を(いだ)くだろう。しばしそのことを考えていたが、はっきりとした答えは出なかった。ただひとつ確実に言えることがあるとするなら、きっと彼の目は希望に輝いたことだろう。


「もうじき約束の場所どす。覚悟してはりますかぁ?」


 シャオグイが振り返らずに言う。彼女の、腰まである異様(いよう)に長い黒髪を眺めながら、エーテルワースは(うなず)いた。「覚悟は出来ている」


 ゾラを倒す。


 エーテルワースはシャオグイに対し、そう啖呵(たんか)を切ったのである。トロールの族長『エルダー』を殺そうとする彼女を止めるための言葉ではあったが、同時にエーテルワースの本心でもある。もし血が流されなければならないのだとしたら、それは頂点に座す者以外にありえない。


 そんなエーテルワースの言葉を試すように、シャオグイは(せま)ったのである。『そんなら、ゾラはんとこ連れてったるわ』と。


 ハックが交渉のために動いていることは、エーテルワースも重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)していた。が、口先だけでゾラを説得出来るわけがないというシャオグイの考えも間違ってはいない。


 直接ゾラに会ったことはないにしても、樹海に暮らしていれば嫌でもその性格は分かってしまう。力による排他的(はいたてき)な解決。それによって半壊(はんかい)した集落は少なくないし、滅ぼされた集落もある。そんな男を相手に論理が通用するとは思えなかった。


 彼女の言う『約束の場所』について、エーテルワースはほとんどなにも知らなかった。シャオグイ(いわ)く、ゾラのもとへ安全に連れていってくれる者がいるらしい。その相手と待ち合わせているのが『約束の場所』というわけだ。


 (だま)されているのかもしれない。エーテルワースは何度か自問(じもん)してみたが、いつでも鼻で笑い飛ばせる程度の疑念としか感じなかった。シャオグイは非情ではあるが、無暗(むやみ)に乱暴者なわけではなく、行動には彼女なりの論理がある。楽観ではなく本心として、彼はシャオグイをそう評価していた。


 不意に彼女が足を止めたので、エーテルワースはその背にぶつかりそうになってしまった。


「あの木の根元が約束の場所どす」


 シャオグイは藪の向こうの大木を(ゆび)さす。それを目で追ったエーテルワースは、紫色の着物姿が垣根(かきね)を軽々を飛び越えるのを見た。


 三メートルはあろうかという藪を越えるだけの跳躍力(ちょうやくりょく)など、エーテルワースにはない。彼はため息を(こら)えて、めりめりと藪を突っ切っていった。枝の先が肌を()き、絡まった毛がぷちぷちと抜ける。自慢の――というより思い出の――洋服がボロボロになってしまわないかと(いぶか)ったが、足をとめたところで藪のなかである。彼は躊躇(ためら)いを振り払って先へ先へと進んだ。


 やがて視界が開け、エーテルワースは「な……」と声を上げてしまった。窪地の縁から見下ろすルドベキア。その様相(ようそう)が異常だらけだったのである。


「あららぁ」とシャオグイが(たの)しげに言う。「えらい(にぎ)やかどすなぁ」


 この光景を『賑やか』と(ひょう)せる彼女に、エーテルワースはさすがにぎょっとした。(きも)()わっているというかなんというか、もちろん本心から賑やかで楽しそうだなんて思ってはいないだろうが、皮肉(ひにく)や冗談を口に出来る神経に唖然(あぜん)としてしまった。


 ルドベキアに起きていた異常は三つだ。


 まず、遺跡の街を分断するように、直線的に広がった炎の壁。


 次に、北方で暴れる巨大な怪物の影。


 そしてルドベキアの中心――宮殿の前庭(ぜんてい)では、太陽じみた橙色(だいだいいろ)の球体が浮かんでいた。


 いずれの異常も、エーテルワースが戦線離脱するときにはなかったものだ。


「なんなんだ、これは」


「さあ、なんやろねぇ。ま、なんだってええどす。ウチらが心配するようなことやないわ」


 見ると、シャオグイは(すず)しい顔でルドベキアを眺めていた。


貴殿(きでん)は冷静だな」


「褒めてはるの?」


「ああ、褒めている」


 半分は呆れているが、さすがに思ったままを口に出すのは(はばか)られた。


「嬉しいわぁ。冷静やて。ふふ。そんなことないんやけどなぁ」


「では、(じつ)は焦っているのか? ルドベキアの異常に対して」


「なんでケダモノ王国のドンチキ騒ぎに焦らんとあかんの? そんなん、どうでもええどす」


 ふわふわとした口調から、急に刃物のように鋭い語気(ごき)に変わった。さすがのエーテルワースも、ゾッと身を震わせる。なにが彼女の気に(さわ)るか分かったものではない。


 不意に、シャオグイがエーテルワースに顔を向けた。


「兄はん、ウチの顔に泥とか付いてへんどすか? おかしなところは?」


「い、いや、いたって普通だ」


「普通やあかんのどす。ちゃんと……ちゃんと綺麗どすか?」


 冗談(じょうだん)の口調ではなかった。彼女は切実にそれを気にしているのだと(さっ)し、エーテルワースも気圧(けお)されていた自分自身に(かつ)を入れる。


「髪に葉っぱがついてるぞ」


「え!? ホンマ!? あ、嘘、ホンマやったわ。兄はん、えらいありがとう」


 なんの(かげ)りもない笑顔を向けられて、エーテルワースは(かえ)って驚いてしまった。


 それからも、彼女はそわそわと落ち着かない。右に歩いてはターンして左に行き、鉄扇(てっせん)を取り出してやたらと自分の顔をパタパタとする。表情もまた、奇妙なほど目まぐるしかった。嬉しそうに口元が(ゆる)んだかと思えば哀切(あいせつ)な表情になり、今度はクスクスと笑いだしたり、あるいは本当に心から不安そうに眉尻(まゆじり)を下げたり。


「ここには誰が来るのだ?」と聞いても返事はしてくれなかった。どうやら彼女は自分の世界に入り込んでいて、そこから抜け出せないらしい。


 (あきら)めて、エーテルワースは方々(ほうぼう)の様子を(なが)めやった。炎の壁は依然(いぜん)としてメラメラと燃え(さか)っている。が、火勢(かせい)の広がる様子はない。一直線に火炎が立ち昇っているばかりだ。


 北の怪物も相変わらずだが、ひとつ気付いたことがあった。暴れていることには違いないのだが、どうも自分の足元ばかりを攻撃している様子である。特定の相手に狙いを(さだ)めている、といったほうが適切かもしれない。


 宮殿の太陽はというと、これは(いちじる)しい変化があった。エーテルワースが注視(ちゅうし)した矢先、みるみる(しぼ)んでいって見えなくなってしまったのである。


 やがて、四番目の変化が起こった。それも、二人のすぐ目の前で。


 なんの前触(まえぶれ)れもなく、二人の前に黒い影が現れたのである。黒毛に、同じく黒のスーツ。


 顔は山羊(やぎ)そのものだった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『命知らずのトム』→他種族の生態を記した数多くの書物を残した冒険家。獣人に片足を切られ、それが原因で亡くなった。エーテルワースの友人。詳しくは『436.「邸の半馬人」』にて


・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『エーテルワース』→『魔女っ娘ルゥ』に閉じ込められたキツネ顔の男。口調や格好は貴族風だが、人の匂いをすぐに嗅ぐ程度には無遠慮。剣術を得意としており、強烈な居合抜きを使う。冒険家である『命知らずのトム』とともに各地をめぐった過去を持つ。詳しくは『494.「キツネの刃」』『Side. Etelwerth「記憶は火花に映えて」』にて


・『エルダー』→トロールの族長。槌の魔具を所有している。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』にて


・『シャオグイ』→生息圏、風習、規模も不明な他種族である、オーガのひとり。千夜王国の主。『緋色の月』に所属しながら『灰銀の太陽』への協力を誓った。一時期シャルという偽名を使っていた。詳しくは『750.「夜闇に浮かぶ白い肌」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『トロール』→よく魔物に間違えられる、ずんぐりした巨体と黄緑色の肌が特徴的な種族。知能は低く暴力的で忘れっぽく、さらには異臭を放っている。単純ゆえ、情に厚い。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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