831.「愛と排除は矛盾しない」
青い衣を纏ったしなやかな黒毛の肢体。純白の毛に包まれた屈強な肉体。それらを交互に見つめ、わたしは息を呑んだ。
ミスラとオッフェンバック。死ぬ運命にあった二人が、こうして生きて、敵としてわたしの前に立っている。なんて皮肉な幸運だ。
「……ゾラに服従を誓ったのね」
だからこそ二人は生きているのだろう。聞くまでもないことだったけれど、口に出さずにはいられなかった。ある種の物事はどんなに分かり切っていても、かたちにしなければ気が済まなかったりする。
オッフェンバックは相変わらずの頑強な笑顔で答えた。
「服従! 嗚呼、なんとさもしい響きだ! このオッフェンバックはゾラに許されたのだよ。ゆえに、『緋色の月』として彼への忠誠を今一度誓ったまでのことだ。拝跪と服従は似て非なる言葉だが、クロエよ、君には違いが分かるかね?」
「じゃあ、自ら進んで彼に従うことにしたのね」
「ゾラの寛容な精神を礼賛したまでのことだよ」
「ゾラが本当に寛容なら、『灰銀の太陽』を受け入れたってかまわないんじゃないかしら。……いえ、そもそも人間を殲滅しようだなんて発想がすでに非寛容よ」
「答えはシンプル」オッフェンバックは人さし指を立て、口元のωに寄せた。「物事には受け入れてもいいことと、譲れないことがあるのだ。このオッフェンバックが君の前に立っている理由は後者でしかない」
駄目なんだろうか、本当に。
……こんな状況でも、ほかにもっといい方法があるんじゃないかと考えてしまうわたしは、やっぱり決断力のない人間なんだろう。これまで幾度となく無謀に突き進んできたのに、こういう物事には足を止めてしまう。
二人の背後で炎の壁が揺れている。その頂点の部分では、真っ赤な火の粉が舞っていた。
「……あなたとは友達になれたかもしれないのに。……残念」
サーベルの柄に手を触れる。冷えた感触が、まるでわたしの甘ったれた心を叱咤するかのようだった。
「友達と戦うのがそんなに残念かね?」
「え?」
「このオッフェンバックは、むしろ心が弾む。おっと、勘違いしないでくれたまえ。サディスティックな意図で言ったわけではない。きわめて純粋に、この瞬間を祝福しているのだ」
なにを言ってるんだ、オッフェンバックは。相変わらず言葉が捻じれすぎていてちっとも伝わってこない。
けれどわたしは、サーベルを抜こうとはしなかった。問答無用で戦闘を開始してもかまわないのに。
期待してるんだ、きっと。どこかで彼が『ハハハ! 冗談だ! このオッフェンバックは君の動揺の音色を聴くために少しばかり演技をしたまでのことだよ。過剰だったかね? いやいや、それこそが芸術の骨子。過剰さをこのオッフェンバックは賛美する』なんて言ってくれるんじゃないかって。我ながら馬鹿げた夢想だとは思うけど、事実、それを期待しているんだから仕方ない。
じっとわたしを睨むミスラの横で、オッフェンバックが両腕を広げた。
「つまりこうだ。このオッフェンバックは君に友愛を感じている。もちろん、我が最大の愛はミスラに注いでいるわけだが」オッフェンバックが、ちらと隣にウインクを送る。
するとミスラは露骨に顔を逸らし、目を泳がせた。口が尖ったり緩んだりを繰り返している。
なんで惚気を見せつけられなきゃならないんだ、わたしは。
「しかし」と純白の獣人は続ける。「ゾラには永劫変わることのない尊崇を抱いている! ミスラがこのオッフェンバックを心から愛しており、ついにこの身も愛に目覚めた……そうした我々の愛を認め、彼は許しを与えたのだ。我々の愛の理解者なのだ! さらに言えば、このオッフェンバックの生命は芸術のために燃えていることも事実である。つまり彼は、このオッフェンバックの愛と芸術を真正面から受け止め、認知してくれたのだ!」
表情こそ満面の笑みだが、口調はまさに『感涙に咽ぶ』といった具合である。
「で、尊敬するゾラのために敵を倒すことを喜んでいるわけね」
「いいや違う。このオッフェンバックは君を愛しており、また、『緋色の月』として外敵を排除する責務も動機も理念もある。すると、この状況はまさしく悲劇だろう?」
「……ええ」
そう。悲劇だ。なのに――。
「それでもこのオッフェンバックは哀しくないのだよ。この悲劇を祝福したいと、本心から、全力で、思っている。なぜなら君と対峙しても、このオッフェンバックの君への愛はなんら揺らいでおらず、そしてゾラに対する忠誠心も依然として屹立している。そう、このオッフェンバックは知ったのだ! 天啓のように! 君と再会した瞬間に! 愛していることと排除することは決して矛盾しない、むしろ崇高な美的行為であると!!」
「……それ、本気で言ってるの?」
「むろん本気だ。このオッフェンバックは嘘をつかない」
なら、それでいい。わたしもちょうど心を決めたところだ。
「ごめん、オッフェンバック」
サーベルを抜き、切っ先を向ける。
「謝る必要などどこにもない」
「……そうかもしれないわね」
当然だけど、わたしはまだ割り切れたわけじゃない。でも、ここでオッフェンバックと戦うことには大事な意味があるんじゃないかとも思っている。彼はもう少しで友達になれた相手で、信用もしていた。関係性の度合いは全然違うけど、わたしにはそれと近い相手がいる。
大好き。
倒す。
これが矛盾しないとしたら、わたしはもう少しちゃんと前を向いて、今よりもちょっぴりだけ迷わずに進めるかもしれない。
なのに――。
「お取込み中悪いんだけどさー、クロエちゃんをこんなトコでのんびりさせるわけにはいかないんだよねー。ギャハハ」
声の直後、背中に華奢な重みが伝わった。わたしの首筋にゆるく巻き付いた、小麦色の両腕。
「メロ、どうして」
「心配だからちょっと様子見に来たら、なんかめんどいコトになってんじゃん」
「離して。私はオッフェンバックと戦う必要があるの」
ここを通過するために――いや、本当は違う。
自分のために戦おうとしている。
「だーかーらー」メロはため息混じりに言う。「クロエちゃんにはもっと大事な仕事があるじゃん? だから、白ダルマはほかの奴に任せとけって」
「ほかのって」
言いかけたわたしの頬をつつき、メロは頭上を指さした。「ほら、救世主が来たよ」
見上げたわたしの瞳に、優雅な弧を描いて落下してくる影が映った。それはすらりとした獣人で――。
「置いていくんじゃねぇよ馬鹿人魚が!」
「ギャハハ! ウケる」
「ウケねえよ!」
目の前で怒りを露わにするその獣人は、もちろんわたしの知り合いだ。しかも、つい最近別れたばかりの。
「……ドルフ」
トナカイ族の青年はわたしを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。眉間に皺が寄っている。
「ここはドルフちゃんに任せなってコト」メロがわたしの耳に息を吹きかける。本当にくすぐったいからやめてほしい。
しかし、なんでまた彼がわたしの代わりに?
そもそもそんなことをしたら、ドルフと、彼の同族の立場はどうなるのだ。
わたしの心配をよそに、ドルフはオッフェンバックに向き直ると、ボキボキと指を鳴らした。
「よぉ、デカブツ。俺が相手をしてやるよ」
彼の声は、なんだか少し弾んでいた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『オッフェンバック』→純白の毛を持つタテガミ族の獣人。『緋色の月』に所属。自称音楽家の芸術至上主義者で、刺激を得るという動機でハックの和平交渉を台無しにした。クロエとの戦闘に敗北し、あわや絶命というところを彼女に救われた。それがきっかけとなって『灰銀の太陽』への協力を申し出ている。詳細は『774.「芸術はワンダー哉!」』『780.「君が守ったのは」』にて
・『ミスラ』→女性のタテガミ族。しなやかな黒毛。多くの獣人と異なり、薄衣や足環など服飾にこだわりを見せている。オッフェンバックの元恋人であり、わけあってゾラに侍るようになった。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』『789.「絶交の理由 ~嗚呼、素晴らしき音色~」』『797.「姫君の交渉」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『ドルフ』→『緋色の月』の四番手で、トナカイに似た獣人。別名、鉄砕のドルフ。血の気の多い性格。身体硬化の魔術を使用する。『骨の揺り籠』を襲撃したが、最終的にリフによって撃退された。詳しくは『816.「地底への闖入者」』『817.「鉄砕のドルフ」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて




