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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Rif.「大事な大事な宝物」

※リフ視点の三人称です。

 クロを見下ろす巨獣の双眸(そうぼう)。それは薄暗く(よど)んでいた。


 怪物。まさしくその言葉がよく似合う姿だった。普段の彼とは、(まと)う雰囲気が決定的に違ってしまっている。


 リフがそのように変貌(へんぼう)した理由は簡明(かんめい)だった。


 瓦礫(がれき)に倒れ込んだリフ。悠々(ゆうゆう)と接近するクロ。追撃必至(ひっし)の状況で、二人の(あいだ)に割って入った影がひとつ。キージーである。


 両腕を大きく広げて何事(なにごと)(わめ)くキージーを、クロは殴り付けたのである。手加減したのだろう、吹き飛ぶことはなかった。が、手負いの老体には充分な攻撃だったろう、キージーは崩れ落ち――再び立ち上がった。


 そんな老人を、クロは再度殴り付けたのである。先ほどよりも力を()めて。老体は瓦礫(がれき)に突っ込み、クロとリフを(さえぎ)る者はもはやなかった。


 追撃。そのために踏み出したクロの(あゆ)みは、しかし、リフに到達する前に止まった。彼の足に、襤褸(ぼろ)切れのような老体がしがみついたのである。


 容赦(ようしゃ)などあろうはずがない。クロは足を振りほどき、なにひとつ表情を変えることなくキージーの顔面を蹴り飛ばした。哀れな老人は再び瓦礫に突っ込み、動かなくなった。


 瞬間、ぶつり、とリフは耳の奥でなにかが千切れる音を聴いた。リフの心を()めていた(おび)えと恐怖がまたたく()に消え去り、理性までもどこかへいってしまったのである。


 瓦礫の山に埋もれて血を流すキージーの姿。それが、リフの意識の中心で(うず)を巻いていた。その周縁(しゅうえん)で、いつしか忘れ去っていた記憶の光景が明滅(めいめつ)する。




 白衣を(ひるがえ)して笑う血族。


『おはよう、リフ。(いと)しい私の子供。君はとってもキュートだね。素敵だよ、私の天使』


 彼女は臆面(おくめん)もなくそんなことを言う。いつだって満面の笑みで。


『マ、マ』


 舌足らずな声。幼いリフのあまりにも大きすぎる身体に、白衣の血族は――ママは手を伸ばす。きつく拘束された彼の鼻先が、華奢(きゃしゃ)な指先に()でられて、じんわりと幸福感に満たされる。




 リフは無我(むが)のうちに、クロへと拳を振り下ろす。ゆったりと、しかし破壊的に。拳は地面に到達し、瓦礫を押し潰し、地を拳のかたちに陥没(かんぼつ)させた。


 速度のない攻撃など、クロにとっては(いささ)かも脅威(きょうい)ではない。が、彼は迂闊(うかつ)に飛び込もうとはしなかった。いつでも動けるように前傾(ぜんけい)したまま、じっとリフを見上げている。


 リフには、クロを攻撃している自覚はない。彼は自分の内側に(おり)のように積もっていた記憶を――まるで宝物のようなそれらの思い出を見つめるのに夢中になっていた。




『リフ。私の可愛い天使』


『ママぁ』


 ママはいつものように優しく鼻を撫でてくれる。けれど、その日の笑顔はいつもと少しだけ違っていた。眉尻(まゆじり)を下げ、目を輝かせて、口の(はし)はゆるい半月を描きながら若干(じゃっかん)震えていた。そしてしきりに鼻を(すす)る。


 ママは具合が悪いのかもしれない。そう思ったリフは、彼女の白く細い指を舌先で撫でた。鉄格子に(はば)まれて、そう上手くはいかなかったけれど。


 心配だよ。元気出して。ママ、大好きだよ。


 ほとんど言葉を知らず、また、拘束具と鉄格子で自由を奪われた彼にとって、自身の感情を表現する(すべ)は少ない。衝動のままに暴れるか、今のように舌で舐めるか、鉄格子に(ほお)を寄せるか、あるいはスンスンと鼻を鳴らすか。


 その程度だ。


 けれど、これまで彼は不足を感じたことはなかった。ママは全部を分かってくれたし、とっても優しかった。不満なんてひとつもない。


 ただ、このときばかりはなんだか歯痒(はがゆ)かった。


『リフ、よく聞いておくれ』


『ママぁ?』


『うんうん、そうだよ。私は君のママさ。離れ離れになっても、ずっと君のママだよ』


『マ、マ?』


『ごめんね、リフ。ごめん、ごめんなさい。ああ、駄目だね私は。心なんてとうの昔に死んだと思っていたのに、なんでまた泣いてしまうかな……』


 鉄格子にママが顔を寄せる。『博士! 近付き過ぎですよ!』と誰かが叫んでいた。


『ママ、ママ』


 ママの顔は、塩辛(しおから)い。美味しい。


『さよなら、リフ。私の天使』


 ママが、口にきつく拘束具を巻く。そうして彼女がそっぽを向くと、鉄格子に幕がかかった。赤黒い緞帳(どんちょう)の先で、(せき)を切ったように泣く声がする。そのときのリフはママが誰かに乱暴されているように思って、声にならない声を上げた。


 ママをいじめるな。僕が許さないぞ。やめろ。いじめるな。


 やがて震動が訪れ、ママの声も遠くなった。散々()えたてたリフは、いつしか疲れて眠りに落ちる。


 そうして夢を見る。


 自分と同じくらい大きくなったママ。鉄格子越しに抱き締め合う二人。くりくりと、鼻先を撫でてくれるママ。


 幸せな夢だった。




 瓦礫(がれき)(つか)む。そして腕を天に(かか)げ、思いきり地面へ叩きつけた。


 リフの手製の散弾さえも、クロは(かす)りさえしなかった。拳の一撃とは比較にならないほど速く、また回避の難易度も高い攻撃ではあったが、彼にとってはまだ余裕である。


 リフは次々と瓦礫を投げる。石塊は地面に激突して砕け散った。それらは逃げ(まど)うタテガミ族や『骨の揺り籠(カッコー)』にさえ被害をもたらす。が、肝心(かんじん)のクロはまったくの無傷だった。


 敵にダメージを与えられないことに対し、リフが屈辱(くつじょく)(いだ)くことはついぞなかった。


 彼は思い出に夢中だ。


 甘く、哀しく、柔らかくて、でも鋭い、大事な大事な記憶。どうして今までそれを忘れていたんだろうと不思議に感じてしまうくらいに、素敵な宝物。




『綺麗な目をしてるのね、リフ』


 その血族の女性は、第七側室(そくしつ)と呼ばれていた。物腰は柔らかく、笑うと目が線になってしまう、そんな女性。


 その(ころ)のリフの居場所は、やはり鉄檻(てつおり)の内部だった。が、これまでのように室内ではない。巨大な中庭の中心に彼は収まっていた。回廊(かいろう)や窓から、ときおり自分を見下ろす視線を感じて、それがちくちくして落ち着かない、そんな日々。


 鉄檻は人であれば悠々(ゆうゆう)と通り抜けられるほどのものであり、ときどき誰かが檻のなかに入ってはリフに餌をやったり、あるいは使用人がなかに入って檻の掃除をした。


 ここにきてすぐのときは、それこそ色々な血族が物珍しげに檻を(のぞ)いたり、彼の身体に触れたりしたものである。それが今では落ち着いて、第七側室くらいしか彼をかまってやる者はいなくなった。もちろん、使用人――キージーは別として。


『リフ、いい子』


 地に頭を伏せると、女性は優しく()でてくれた。眉間(みけん)から鼻先にかけて、ゆっくりと。


『ママぁ』


『うふふ。ママじゃないわ。ああ、でも、ママになってみたい』




 リフは、身体の中心に激しい衝撃を感じた。身体が()の字に折れ、否応(いやおう)なく足が地面から浮き上がる。


 瓦礫を滅茶苦茶に叩きつけていたリフの腹を、クロの蹴撃(しゅうげき)が襲ったのだ。


 が、リフが倒れ込むことはなかった。くるりと宙返りをし、家屋を踏み抜いて着地する。痛みはない。衝撃で一瞬途切(とぎ)れたが、彼はまだ追憶という柔らかな毛布に意識をくるまれているのだから。




 ぶち、と音がして、真っ赤な液体が(はじ)けた。


 リフは不思議で不思議で仕方なかった。


『ママ?』


 彼は第七側室がそうしてくれたように、彼女の頭を撫でようとしただけなのだ。


 その晩、彼女は泣いていた。お腹をしきりにさすっていたから、リフはてっきりお腹が痛いのかと思ったのだが、どうにも彼女はそんな雰囲気ではない。それに第七側室が夜に会いに来ること自体、これまで一度もなかった。


 (なぐさ)めようとしたのだ、リフは。彼女が(つら)い思いをしていると、ちゃんと理解出来たから。リフ自身はあまり自覚していなかったが、彼にとってはじめて、誰かを正確に理解し、共感した瞬間だった。


 しなしながら共感を知っても、力加減は知らなかった。


『リフ、お前……!』


 リフはキージーを見つめる。手のひらは、真っ赤な血で濡れている。


 どのくらい見つめ合っていたか分からない。いつしか雨が降りはじめ、大小の獣と、一体の死骸(しがい)(ひと)しく濡らしていった。


 キージーはただ無言で、第七側室――もはや真っ赤な肉と化した彼女を庭の(すみ)に埋めた。そのときのリフに、彼女を殺した意識はまったくない。消えちゃった、としか思っていなかった。だから、手と地面が赤くなっていることがとても不思議だったのである。キージーがなにかを埋めていることも不思議だった。


 キージーの努力(むな)しく、側室の殺害はほどなく露見(ろけん)し、二人は血族の街の外――毒霧立ち込める荒地へと捨てられたのである。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『キージー』→『骨の揺り(カッコー)』の長老。かつて夜会卿のもとで使用人をしていたが、リフとともに追放された。詳しくは『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて


・『リフ』→『骨の揺り(カッコー)』の住民。巨人の魔物キュクロプスと、タテガミ族とのハーフ。巨大な身体を持ち、頭には林檎の樹が生えている。夜会卿の統べる街で女性研究者によって生み出された。夜会卿の妾を誤って殺してしまった結果、使用人をしていたキージーとともに街を追放された。臆病な性格。幻覚の魔術を使うことが出来る。詳細は『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて


・『クロ』→黒毛のケットシー。ケットシーの族長を殺し、ルドベキアに移住した男。トムの脚を切断したのも彼。かつてジェニーの友達だった。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて

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