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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~④獣の国~」
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Side Jennie.「嘲笑も拳も届かない」

※ジェニー視点の三人称です。

「なんでここにいるにゃ……」


 悠々(ゆうゆう)闊歩(かっぽ)する、しなやかな獣人――クロ。彼に視線を奪われたジェニーは、無意識に呟いていた。


 クロは『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』にいる。そう思い込んでいた彼女にとって、クロの登場は驚愕(きょうがく)するには充分な出来事である。北方の敵を征伐(せいばつ)すべくゾラが向かわせたのは考えるまでもないことで、普段のジェニーでもそう苦労せずに飲み込めた理屈(りくつ)だろう。しかし今の彼女は理屈に思考を()くだけの余裕はなかった。


 蛍光色(けいこうしょく)の光を明滅(めいめつ)させて、周囲を虫が飛び()っている。様々な微光(びこう)(いろど)られたクロは、決してジェニーと視線を合わせなかった。あえて眼差(まなざ)しを向けるのを()けている様子はない。リフに注視(ちゅうし)しているだけのことだ。これも単純な理屈で、もっとも脅威(きょうい)となる敵に集中しているわけだ。


「おい、マジかよ」


「なんでクロが……」


「ゾラ様のお付き(・・・)だろ……?」


 獣人たちのざわめきがジェニーの耳に入る。彼らは加勢を喜んでいるというより、ひたすら戸惑(とまど)っているようだった。


 自分と同じような理由で驚いているのかとジェニーは思ったが、真実は違う。


没落(ぼつらく)種族のくせに」


 誰が口にしたのかは分からなかったが、ジェニーはハッと息を()んだ。タテガミ族の心無い言葉が()しているのは、(まぎ)れもなくケットシーのことである。


 クロは今や『緋色(ひいろ)の月』の一員で、ここにいるタテガミ族も同じである。つまり目的を共有した仲間なわけで、そんな相手から()えた嘲弄(ちょうろう)を浴びせられる理由がちっとも分からなかったのだ。


「ゾラ様の愛玩物(あいがんぶつ)め」


 再び聴こえた罵倒(ばとう)に、ジェニーは目を見開いた。


「なにが『緋色』の二番手だ。ゾラ様の懐刀(ふところがたな)を気取りやがって」


「いけすかねえ鉄面皮(てつめんぴ)だ……なんのリアクションもしやがらねえ」


「聴こえない振りをしてんだろ。ハハッ。それか心がブッ壊れてるかだ」


 憎悪の(こも)った(あざけ)りが、ぽつぽつと大通りに流れる。いずれも(ささや)くような声量で、雨垂(あまだ)れのように断続的に響いた。


 周囲の声など意に(かい)さず、クロはゆったりと歩む。みるみる彼が近付いてくる。視線は相変わらずリフに向けられたままで、ジェニーの姿はまるで見えていないようだった。


「せいぜい敵と相討(あいう)ちしやがれ、劣等種(れっとうしゅ)


「――クロをいじめるにゃ!!!」


 ジェニーは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。心が沸騰(ふっとう)して、いても立ってもいられなかったのだ。自分とクロの立場など――『灰銀(はいぎん)の太陽』と『緋色の月』など、この瞬間のジェニーにとってはどうでもいいことだった。


 クロの視線が、ほんの一瞬だけジェニーを(とら)える。


 が、反応はそれだけだった。


 一秒もしないうちに彼はリフへと目を戻す。歩調(ほちょう)にはなんら変化がない。


「そういやテメェ、ケットシーか」


「ハハッ。クロと同じ没落種族の生き残りってわけだ」


「クロ! もしかしてお前、裏切るつもりじゃねえだろうな!」


 怒りのあまりジェニーが踏み出した瞬間、クロにも変化があった。彼は一陣の風のごとく、彼女の横を通り抜けたのである。標的(ひょうてき)は当然――。


 強烈な打撃音が(とどろ)いた。振り返ったジェニーの瞳に映ったのは、空中で拳を振り抜いたクロと、彼に鼻先を殴られて崩れ落ちるリフ。その頭に必死でしがみつくキージー。目を丸くしてクロを(あお)ぐ、『骨の揺り籠(カッコー)』の獣人たち。


 クロが着地したのと、リフが仰向(あおむ)けに倒れたのはほとんど同時だった。光の粒が一斉(いっせい)に舞い散る。移動する光の演舞(えんぶ)の中心に、クロの無感情な顔があった。


 自分が油断したから、リフは痛い目に()った。後悔がジェニーの胸を(おお)っていく。そして、今一度思った。クロは再会してからずっと、こちらを敵としてしか見ていないことを。対話など一切ない。ひどく冷たくて分厚い壁が、こちらとあちらを(へだ)てている。


 ジェニーは身体を反転させ、前傾(ぜんけい)した。


 彼女は覚悟を(いだ)くことはない。疑問も迷いもあるが、行為することにはなんの躊躇(ためら)いもなかった。あらゆる種類の物事に対して、彼女は直線的にしか動かない。覚悟を自覚することなく、覚悟を(よう)する行為をやってのける。それは彼女の性格を超えて、ひとつの()り方ですらあった。


「クロ!!」


 咆哮(ほうこう)


 そして、疾駆(しっく)


 ジェニーのがむしゃらな突進を、クロは一瞥(いちべつ)ののちに回避した。それも、殴りかかった彼女をギリギリまで引き付けて。


 ジェニーにすればクロの姿が一瞬にして消え去ったようなもので、当然勢いを殺すことが出来ず、中途半端に体勢を崩しながらターンするほかなかった。回避されてから方向転換まで、約二秒弱。それだけの時間を、敵の殲滅(せんめつ)(てっ)する男が無駄にするはずがなかった。


 方向転換した彼女の瞳に、家屋(かおく)を破壊しつつ吹き飛ぶリフが映る。『骨の揺り籠(カッコー)』の獣人たちは愕然(がくぜん)とした表情で棒立ちになり、タテガミ族は声を失っていた。クロの華奢(きゃしゃ)な肉体から(はな)たれた蹴りが、巨人のごとき体躯(たいく)のリフを吹き飛ばすなど異様でしかない。しかし、誰の目にも疑いのない事実として、彼の一撃は巨躯(きょく)を吹き飛ばしたのである。


 驚愕のあまり誰もが動けずにいるなかで、例外が二人いた。


 蹴りを放った本人であるクロ。


 そして、ジェニー。


 追撃のために前傾したクロへと、彼女は猛然(もうぜん)と突っ走る。


「にゃああああ!! クロ!!!」


 みるみる二人の距離は縮まっていく。彼女が背後二メートルまで接近しても、クロは前傾したままの姿勢を維持(いじ)した。


 一メートル。


 ジェニーは拳を引き、歯を食い縛った。


 クロを止める。その一心で振り抜いた拳は、またしても(くう)を駆けた。刹那(せつな)、ジェニーは腹部に強烈な衝撃を感じ――。


「に、ぁや……!」


 ジェニーの拳を紙一重で避けたクロが、(ひざ)を彼女の腹に打ち込んだのである。


 声が上手く出ない。肺の空気が足りない。痛みが強すぎる。


 ジェニーの視界に火花が(はじ)け、思考が一切合切吹き飛んだ。


「ジェニーさん!」


 誰かの必死の震え声が彼女の耳に入り、しかしちっとも意識を揺さぶらなかった。血が(のど)をせり上がり、錆臭(さびくさ)い味で口がいっぱいになる。


 自分が地面に倒れ伏していることは確実だったが、それ以外のことはほとんど分からなかった。


 やがて、悲鳴と轟音(ごうおん)がいくつか響いた。


「や、める……にゃ」


 腕に力を入れる。が、身体はなかなか上手く動いてくれなかった。空気も充分に吸えない。呼吸のたびに体内を痛みが駆け、否応(いやおう)なしに末端(まったん)が震えるのだ。どれだけ頑張ろうと、手にも足にも一定以上の力は入らなかった。立ち上がるには足りない程度の力しか。


 そんなジェニーの隣に、なにかまとまった物体が落ちる。彼女がなんとか顔を上げると、すぐ横でタヌキ顔の獣人が伸びていた。


「きゅうぅ」とタヌキ顔は(うめ)く。目をきつく閉じて。クロに吹き飛ばされたことは明らかだった。


「痛ぇよぉ……きゅうぅぅ……」


 クロに殴られたか蹴られたのだろう、彼は閉じた(まぶた)(あいだ)からぽろぽろと涙を流しながら肩を押さえていた。




『もしひとつだけ願いが叶うにゃら、クロはなにをお願いするにゃ?』


『誰よりも強くなりたい』


『? ……なんでにゃ?』


『理由なんてない』


『うにゃぁ。クロはよく分からないにゃ』


『分からなくていい』


『ジェニーは、お芋をお腹いっぱい食べたいにゃ! 満腹になったらたくさん寝たいにゃ!』


『お願いはひとつだけじゃないの?』


『んにゃ!? にゃにゃにゃ……ジェニーは特別にふたつお願いを叶えてもらえるんだにゃ』


『へぇ』


『しょうがにゃいにゃ。クロも特別にふたつ叶えてあげるにゃ』


『そりゃ、どうも』


『もうひとつのお願いはなんにゃ?』


『ないよ』


『にゃ! 無欲にゃ。つまんないにゃ』


『ないんだからしょうがない』


『絶対あるにゃ! 探すにゃ!』


『ない』


『あるにゃ!』


『……じゃあ、君が幸せにぶくぶく太れるよう願うよ』


『にぇああ……クロは優しいにゃ。無欲だにゃ。じゃあジェニーも、クロが幸せになれるように願うにゃ!』


『みっつめのお願いはナシ』


『なんでにゃ!?』


『きりがない』




 記憶を見つめていた。(おだ)やかな午後。二人だけの場所。燦々(さんさん)(そそ)陽光(ようこう)


 気が付くとジェニーは立ち上がっていた。そして、記憶に奪われた視界が徐々(じょじょ)に現実と馴染(なじ)んでいく。


 瓦礫(がれき)の山に立ち尽くす巨大な獣人。それと対峙(たいじ)する華奢(きゃしゃ)なケットシー。二人の姿が、やけに(あざ)やかに彼女の視界に()えた。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ジェニー』→『毒食(どくじき)の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村をルドベキアの獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』参照


・『キージー』→『骨の揺り(カッコー)』の長老。かつて夜会卿のもとで使用人をしていたが、リフとともに追放された。詳しくは『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて


・『リフ』→『骨の揺り(カッコー)』の住民。巨人の魔物キュクロプスと、タテガミ族とのハーフ。巨大な身体を持ち、頭には林檎の樹が生えている。夜会卿の統べる街で女性研究者によって生み出された。夜会卿の妾を誤って殺してしまった結果、使用人をしていたキージーとともに街を追放された。臆病な性格。幻覚の魔術を使うことが出来る。詳細は『806.「骨の揺り籠」』『813.「巨獣の起源」』『814.「狂気と墜落と」』にて


・『クロ』→黒毛のケットシー。ケットシーの族長を殺し、ルドベキアに移住した男。トムの脚を切断したのも彼。かつてジェニーの友達だった。詳しくは『Side. Etelwerth「集落へ」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『ケットシー』→獣人の一種で、猫に似た姿をしている。しなやかな毛で小柄。五感が優れている


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『骨の揺り籠(カッコー)』→身体的ハンデから、口減らしの目的で『異形の穴』に捨てられた獣人のうち、生き残った者たちで作り出した集落。『異形の穴』の底に存在する。詳しくは『第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて

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