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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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Side Jade.「正しさの在り処」

※ジェイド視点の三人称です。

 コルニオラの全身は、今やぬらぬらとした光沢のある緑に染まっていた。粘性(ねんせい)の液に()け込んだ薬草のせいである。


「ごめんなさい」


 もう何度目か分からない呟きが、彼女の口元から(かす)かに漏れ出す。それを耳にした『半鱗(はんりん)』が「いいえ、覚悟の上です」やら「後悔はありません」やら涙交じりに返すのもまた、何度も聞いたやり取りだった。


 決闘の勝者はジェイドであり、『半鱗』を(ふく)めてこの場にいる『緋色(ひいろ)の月』の生殺与奪(せいさつよだつ)は『純鱗(じゅんりん)』に握られている。


 コルニオラの治療に(みな)の意識は向いていたが、それが終わった今、そろそろ動かねばならないとジェイドは自覚していた。それでも獣人に機先(きせん)を制されたのは、朦朧(もうろう)とする意識のせいだろう。


「オレは認めんぞ……! 大人しく死ぬくらいなら戦って散ってやる……!」


 その言葉を皮切(かわき)りに、次々と同意が返る。


「そうだ!」


「オレたちには大儀(たいぎ)がある!」


「従うべきはゾラ様であって、竜人ではない!」


 それらの声を(はば)んだのは、『半鱗』だった。


「私たちは一蓮托生(いちれんたくしょう)だったはずだ。敗北したから(くつがえ)すなど笑止千万(しょうしせんばん)


「黙れトカゲ! お前らは承知(しょうち)の上でここまで来たのかもしれんが、オレたちは巻き込まれたも同然だ! 綿密(めんみつ)吟味(ぎんみ)する時間も与えずに勝手に決めたのはお前らだ!」


「この場にいる一切の指揮権(しきけん)はコルニオラさんにある。勝手な真似(まね)は許さん!」


 獣人は牙を()き出しにして威嚇(いかく)し、対する『半鱗』もまた身構えていた。殺気立った空気があたりに充満している。


 ジェイドは途絶(とだ)えそうになる意識の糸を繋ぎとめ、一同を見渡した。獣人の表情には、死に対する抵抗の意志が(にじ)んでいる。


 こうなることは予想がついていた。そう簡単に(こと)が収まるはずがない。


 自分が()すべきこと。たったひとつの確信。


 ジェイドは痛みを(こら)え、大きく息を吸った。


「俺たちは誰も殺さない」


 瞬間、周囲が水を打ったように静まり返る。特に獣人と『半鱗』は唖然(あぜん)としていた。


 が、それもわずかの(あいだ)だけである。


「なにを言っているんだ、貴様(きさま)! 我々『純鱗』は『半鱗』どもに侮辱(ぶじょく)されたのだぞ!? サフィーロ様も深手を()った! 死をもって(つぐな)いとするのが至当(しとう)だ!」


 一体の『純鱗』の声に遅れて、ほかの者からも「そうだ!」「殺せ!」と同意が返る。それらが(つの)っていくにつれ、一度は(しず)まった獣人の殺気も(にわ)かに立ち(のぼ)った。


 ――そのうち全部が良くなるから。


 コルニオラの言葉が耳に(よみがえ)る。『霊山(れいざん)』の入り口付近で横たわるジェイドに、そう声をかけた彼女の表情が蘇る。


 そしてもうひとつ。音楽家を名乗るタテガミ族を水中から救い出した人間の姿も、蘇る。自分を『純鱗』に戻すと約束し、その通りに事を()した人間。


 クロエ。


「馬鹿ども!!」


 ジェイドの視界が(ゆが)んだ。


 (なさ)けなくて、情けなくて、涙が出たのだ。


「コルニオラは、『半鱗』は、『霊山』で革命を起こすことだって出来たのだ! だが、それを選ばなかった!」


 コルニオラの実力をもってすれば、ヒエラルキーの逆転も不可能ではなかっただろう。もちろん、多くの(しかばね)の上に成立する物事ではある。


「憎悪を、苦しみを、哀しみを消すために、『半鱗』は『霊山』を出ることを選んだのだ!! それを(はば)んで血を流させた上に、逃げ出した連中を殲滅(せんめつ)する道理(どうり)がどこにある!!」


 一瞬気圧(けお)された顔をした『純鱗』が、すぐに言葉を返す。


「それが我々の正義だ! 屈辱(くつじょく)を晴らし、誇り高く生きるために必要なものだ!」


「そんな馬鹿げたもの正義であってなるものか!!!」


 空気が震える。ジェイドの眼前(がんぜん)の『純鱗』は、歯噛みして一歩後退した。口をきつく結んで。


 見下ろすと、ジェイドとコルニオラの視線がぶつかった。なんと丸い目だろう。そして、なんと(ほう)けた表情だろう。戦闘中の彼女からは考えられないほど、(ゆる)み切った顔だ。


「コルニオラは」とジェイドはトーンを落として続ける。「俺に手心(てごころ)を加えた。あのままでは殺してしまうと思ったんだろう」


 (くれない)の一本槍。あの状態のまま彼女が猛進してきたならば、ジェイドは間違いなく身体を引き裂かれて絶命していたことだろう。彼女は相手を殺してでも勝利をもぎ取ろうとはしなかった。急所を外して身体を貫くよう、自分自身に()いたのだろう。サフィーロのときと同様に。


 コルニオラはなにも言わず、何度かまばたきをしただけだった。


「敵が本気でやっていなかったとでも言うのだな? それゆえ勝利は情けの報酬であり、こちらも情けで返すべきだとでも?」


 先ほどジェイドに噛みついた『純鱗』が、信じられないといった顔で言う。


「違う。必要のない殺生(せっしょう)()けるべきだと言っているのだ」


「我々『純鱗』の誇りのために連中の犠牲(ぎせい)が必要だと言っている!! さっきから何度も何度も――」


()めばいい」


「……は?」


「屈辱なんぞ、呑み込んでしまえばいい」


「なにを馬鹿な――」


「ここで『半鱗』を殺して晴れる程度の誇りなど、たかが知れている」


 その『純鱗』は忌々(いまいま)しそうに顔を(ゆが)めてジェイドを(にら)んでいた。ほかの仲間も、程度の差はあれ似たような表情をしている。それらを俯瞰(ふかん)して、ジェイドは途方(とほう)もない(むな)しさを覚えた。


『純鱗』としての誇りをかつて信奉(しんぽう)していた者として、彼らの反応は痛いほど分かる。が、それがどれほど矮小(わいしょう)なものかも分かる。


 このやり取りが永久に平行線だということも、分かってしまう。


 肩を落としたジェイドの耳に、(いか)めしい声が飛んだ。


「『半鱗』および、この場の獣人は殺さないだと?」


 見ると、腹部に薬草を貼りつけたサフィーロがよろよろと歩いてくる。


 ジェイドは苦々(にがにが)しく(うつむ)いた。


 ――もう駄目だ。サフィーロ様が気を失っているうちにすべてを済ましてしまえればよかったのだが……。


 無言のジェイドに(しび)れを切らしたのか、サフィーロがさらに言葉を重ねる。「それで、この者たちの処置はどうなる?」


金輪際(こんりんざい)灰銀(はいぎん)の太陽』に危害を加えないことを誓ってもらいます。そして、俺たちはこの道を通ってルドベキアに向かうだけです」


「ふん……日和見(ひよりみ)主義の阿呆(あほう)め」


 サフィーロの侮辱(ぶじょく)に、ジェイドは返す言葉がなかった。先ほどまで『純鱗』に息巻いていたのが嘘のように。


 サフィーロはようやくジェイドの前まで来ると、ゆっくりとした動きで一同を見やった。『純鱗』はもちろん、『半鱗』や獣人、そして地に横たわるコルニオラまでも。


 たっぷり(もく)したのち、サフィーロは平然と言い(はな)つ。


「勝者の言葉は絶対だ」


 ジェイドは思わず顔を上げ、サフィーロを見つめた。そこには冷徹(れいてつ)な、普段通りのサフィーロがいるだけだった。


「我々はこの者たちを殺さぬ。危害も加えぬ。ただし、そちらも『灰銀の太陽』に一切手出し無用と心得よ」


 しばしの()があって、呆然(ぼうぜん)とした(うなず)きがまばらに返った。『半鱗』も獣人も、そして『純鱗』までも(ほう)けた顔をしている。


 ひと足早く我に返ったのは、先ほどジェイドと口論を繰り広げていた『純鱗』である。


「しかし、サフィーロ様! それでは我々の屈辱は――」


「勝者が呑めと言っているのだ。呑めばよかろう。それとも、神聖なる決闘の(すえ)に勝った者に物申(ものもう)すとでも?」


「く、悔しくはないのですか!?」


 瞬間、『純鱗』はサフィーロに頭を(つか)まれた。蒼の鱗に(おお)われた顔――そこに()まった宝石のような瞳は、憎悪に燃え(さか)っている。


「悔しいに決まっているだろうが、愚図(ぐず)め!!!」


 びり、と痺れるような感覚がジェイドの身体を走った。サフィーロの怒号(どごう)(まぎ)れもなく本心だろう。だからこそ迫力がある。


「しかし」サフィーロは『純鱗』の頭を離し、淡々(たんたん)と口にする。「従うほかあるまい。すでに勝敗は決した。私は負け、ジェイドは勝った。勝者の意志以上に重んじられる物事など存在しない」


「サフィーロ様……」


「なんだ、ジェイド」


「……ありがとうございます」


「頭を下げるな日和見主義の阿呆め。貴様がどれだけ私を侮辱したか分かっているのか? 感謝など虫唾(むしず)が走る」


 だろうな、とジェイドは落胆(らくたん)交じりに納得する。自分がどれだけの非礼を働いたかは理解していた。


 ――最後にもうひとつだけ、非礼を働かなければ。


 ジェイドは意を決し、顔を上げた。


「サフィーロ様。俺はここに残ります」


「……『半鱗』になると言うのか?」


 サフィーロの瞳には怒りが燃えている。が、ジェイドは(ひる)まなかった。


「いいえ。竜人として残りたいのです。コルニオラに恩義があるので」


 コルニオラだけではない。かつて『半鱗』の烙印(らくいん)を押された自分の手を引いてくれた、すべての者に恩がある。結局彼らの誘いに乗ることはなかったが、そうした経験がなければ今この瞬間、自分が本当に正しいと思える決断を口にすることは出来なかった。


「貴様……どれほど私の顔に泥を塗りたくれば気が済むのだ」


「……すみません」


 サフィーロは「好きにしろ」と吐き捨て、(きびす)を返した。向かう先はルドベキアへと続く道である。


 ジェイドは膝を突き、その後ろ姿に土下座する。決して振り返らないと分かっていても。


「お世話に……お世話になりました!!」


 返事などあろうはずがない。そこまで望むのは過剰だ。そう(あきら)めたジェイドは、サフィーロの声に、思わず顔を上げた。相変わらず背を向けたままだったが、蒼の歩みは止まっていた。


「黙れ阿呆め。……ほとぼりが冷めたらこれまでの非礼を()びに来い。『霊山』まで」


 ジェイドは涙声にならぬよう必死で(こら)えながら、声を張り上げた。


「必ずや、(まい)ります」

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『ジェイド』→碧の鱗を持つ竜人。サフィーロの部下。『純鱗』だったが、サフィーロの怒りを買い、一方的に『半鱗』に格下げされた。煽られるとつい反応してしまう性格。詳しくは『681.「コツは三回」』『684.「鱗塗り」』


・『コルニオラ』→心優しい女性の竜人。深紅の鱗を持つ。被差別階級である『半鱗』のなかで、戦士長のポジションを与えられている。クロエとともに竜姫を捜索する役目を受けた。詳しくは『682.「紅色の施し」』『693.「半鱗の戦士長」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて


・『純鱗』→竜人たちの優遇階級。誇り高い存在とされている。生まれた時点で鱗の色により『純鱗』か『半鱗』かに選別される。次期族長を決める乱闘に参加出来るのは『純鱗』のみ。詳しくは『683.「純鱗と半鱗」』にて


・『半鱗』→竜人たちの被差別階級。賤しい存在とされている。基本的には生まれた時点で鱗の色により『純鱗』か『半鱗』かに選別される。『純鱗』の権力者によって、一方的に『半鱗』と決めつけられて転落するケースもある。詳しくは『683.「純鱗と半鱗」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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