Side Jade.「深紅の一本槍」
※ジェイド視点の三人称です。
樹上から放たれた、高速回転する一本槍。
コルニオラが全身を使って作り出したその攻撃は、ちょうどサフィーロの頭上へと真っ直ぐに降下する軌道だった。
ジェイドは無意識に拳を握り、思う。
――そうだ。コルニオラにはその攻撃がある。先ほどは爪の連撃で手一杯になっていたようだったが、そこから逃れてしまえば攻撃の手段はあるのだ。
ジェイドは決して、コルニオラの勝利を願っていたわけではない。サフィーロが勝ってしかるべきだと、本心から思っている。しかしながら、コルニオラは死ぬべきではないと、そう感じたゆえの一連の行動である。裏切りと捉えられても仕方のない言動をしてきたが、敵の勝利を願っているわけではないのだ。
ジェイドが思考していたのは、ほんの短い瞬間のことだった。コルニオラの攻撃の顛末――そこに目と頭を奪われたのである。
サフィーロは彼女の攻撃を避けなかった。彼は両手で槍の先端を掴んだのである。
甲高い擦過音が響き渡り、サフィーロの顔に苦悶が浮かんだ。
回転が止まればサフィーロの勝利。そのまま両手を弾いて突き抜ければコルニオラの勝利。誰もがそのように考えたことだろう。ジェイドもまた、結末を直感していた。これが最後の攻撃に違いない、と。
回転はやがて緩やかになり――しかし、サフィーロに掴まれたまま静止することはなかった。止まる一歩手前で、コルニオラが彼の手のひらを裂いて翼を開いたのである。
鮮血が散り、サフィーロは苦しげに一歩退き、両手を胸の前で交差した。それぞれの五指から鋭利な爪が伸びたのは、その直後である。コルニオラが着地するより前――つまり、敵が追撃の姿勢に入る前にサフィーロが仕掛けたのだ。
蛇行し、分岐し、無数と評するのが妥当であるほどの攻撃がコルニオラに迫る。四方八方、そして地中からも。
「終わる」
ジェイドはなかば無意識に呟いた。正真正銘、これが最後だと感じた。コルニオラが全身を貫かれるイメージが脳裏に閃く。現実の景色はみるみる想像の光景に接近していった。
爪が身体に到達する直前、彼女はサフィーロへと足を踏み出した。腕を伸ばせば届く、そんな距離まで接近した刹那、彼女は翼を除いて全身を爪に貫かれた。
「が……あ……」
「貴様の負けだ、コルニオラ」
しかし、彼女の目にはまだ意志の輝きがあった。
翼が俄かにはためき、両の先端がサフィーロの顔面へと向かう。
読んでいたのだろう。サフィーロは瞬間的に爪を引き、自由になった両手で翼の先端を掴んだ。
「残念だったな。翼さえ封じてしまえば貴様など非力な虫けらも同然。……息をするのも苦しかろう? 全身を貫いたからな。すぐ楽にしてやろう」
ぐらり、とコルニオラの身体が揺らぐ。サフィーロの胸へと倒れ込もうとするその姿は、脱力の結果でしかなかった。
――が、彼女の身体に力が宿るのを、ジェイドは確かに目にした。踏み出した片足、そして爪を立てて引いた右手。一瞬にしてなされた抵抗の準備動作も、サフィーロは把握していたに違いない。彼の瞳はしっかりとコルニオラを捉えていたのだから。それでもなんの対処もしなかったのは、翼から手を離すわけにはいかなかったからか、それとも非力な細腕では蒼の鱗に傷さえつけられないと高を括っていたからか。
鱗を砕く鋭い音。そして、肉を貫く生々しい音色が流れる。
この場の全員が例外なく、その瞬間を目にしていたことだろう。息を呑み。思考の一切を奪い去られて。
「な……に……?」
コルニオラの突き出した腕は、サフィーロの背まで貫通していた。
「「「サフィーロ様!!」」」
いくつかの叫びが重なる。が、戦場へと踏み込む者はいなかった。今は決闘のさなかであることを、頭ではなく身体で理解していたからだろう。ほかならぬサフィーロ自身が邪魔をひどく嫌っているのは周知の事実である。
コルニオラが腕を抜き去ると、蒼の巨躯が沈んだ。
「わたしの……勝ちよ。……サフィーロ」
喘ぐような、必死の声。しかし勝利宣言には違いない。
サフィーロはきつく目を閉じ、言葉を返すことは出来ていない。が、その口元が何事かモゴモゴと紡いでいた。誰の耳にも届かない言葉が、そこにあるのだろう。
「わたしは……殺すまで戦うつもりなんてないわ。誰か、サフィーロを運んであげて」
五秒。
十秒。
無反応が続いていく。
やがてコルニオラはため息を漏らし、蒼の巨体を持ち上げ、その下に自分の身体を差し込むようにして背負った。瞬間、彼女の全身から血液が迸った。満身創痍なのはむしろコルニオラのほうなのだ。
ジェイドが足を踏み出すことが出来たのは、彼女の一連の行為を見てからのことである。
「俺が運ぶ」
「そう……。じゃあ、お願いするわ。薬草は持ってる?」
「量は多くないが……持っている」
「よかった。もし足りなければ、わたしの仲間に声をかけて。分けてあげるから」
サフィーロを負い、ジェイドは小さく頷いた。彼女に疑問をぶつけるつもりはない。コルニオラがどうしてそこまで申し出るのか。なぜ敗者の立場から物を考えることが出来るのか。その答えはすでに出ている。
サフィーロを背負い、『純鱗』のもとへと踏み出す。背を伝うぬるい滴りは、きっと血液だろう。
「お……ろせ」
かすれ声がジェイドの耳に届く。それを聞くことの出来た者は彼だけだったろう。
「降ろしません。早く治療しなければ――」
「だ、まれ……うら、ぎり、もの」
胸の痛みを、ジェイドは意識した。サフィーロにとって自分は裏切り者でしかない。ほかの竜人の目から見ても同様だろう。
「……サフィーロ様。俺は今でも貴方を尊敬していますし、忠実な部下でありたいと思っています」
しかし、それは隷属を示すわけではない。自我はある。――そこまでは口にしなかった。
やがて仲間のもとまでたどり着くと、すぐに治療がはじめられた。血まみれの患部に薬草を貼り付け終える頃には、サフィーロはすっかり気を失ってしまったようだった。荒い呼吸が規則的に繰り返されているが、瞼は決して開かない。彼のうわ言も収まっていた。
「サフィーロ様が負けるなんて……」
「ありえないことだ……」
「許さんぞ……」
言葉はそれぞれ違っていたが、『純鱗』の意志の方角は同じだった。誰もがサフィーロの敗北に衝撃を受け、復讐心を燃やしている。
「一回目の決闘はわたしの勝ち……。さあ、二回戦をはじめましょう」
声の方角を見ると、コルニオラが血に染まった地面の上に立っていた。先ほどサフィーロと死闘を繰り広げた、その場所である。
立ち上がったジェイドの肩を、仲間の竜人が乱暴に引き戻した。
「おい、お前に任せるわけにはいかん。サフィーロ様はお前を信用していなかった」
違いない。もはやサフィーロの信用は失ってしまっている。
が、問題はそんなところにはない。
「俺はサフィーロ様から二戦目の出陣を許された。すでに決まった物事だ」
ジェイドは竜人の手を振り払い、戦場へと踏み出す。後ろから怒声が飛んだが、決して振り返ることはなかった。
コルニオラの前まで行くと、ジェイドは顔を歪めた。間近で見る彼女の傷は、痛々しいなんてものじゃない。全身のいたるところの鱗が砕かれ、爪による傷が今も血を滴らせている。
「二戦目も貴様が出るのか?」
「ええ」
「治療しろ」
「え?」
「その傷で俺に勝てると思うな。早く治療しろ」
ジェイドは小声で言う。すると、コルニオラの目元が柔らかく歪んだ。
「そんな時間ないでしょ。薬草を貼ったってすぐには治らないもの」
当たり前の事実である。治癒には相応の時間がかかる。そして薬草を貼り付けたまま戦うなど滑稽でしかない。どうせ戦闘中に剥がれてしまうのは目に見えている。
そんなことにも思い至らず言葉を発してしまった自分自身に、ジェイドは苦笑した。そして、深呼吸をひとつして表情を切り替える。真剣で獰猛な顔へと。
しかし、コルニオラは脱力したままジェイドを眺めていた。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ジェイド』→碧の鱗を持つ竜人。サフィーロの部下。『純鱗』だったが、サフィーロの怒りを買い、一方的に『半鱗』に格下げされた。煽られるとつい反応してしまう性格。詳しくは『681.「コツは三回」』『684.「鱗塗り」』
・『コルニオラ』→心優しい女性の竜人。深紅の鱗を持つ。被差別階級である『半鱗』のなかで、戦士長のポジションを与えられている。クロエとともに竜姫を捜索する役目を受けた。詳しくは『682.「紅色の施し」』『693.「半鱗の戦士長」』にて
・『竜人』→全身を鱗に覆われた種族。蛇に似た目と、鋭い爪を持つ。王都の遥か西にある山脈に生息している。弱者には決して従わない。鱗の色で階級が二分されており、『純鱗』は気高く、『半鱗』は賤しい存在とされている。詳しくは『626.「血族と獣人」』『幕間.「青年魔術師の日記」』にて
・『純鱗』→竜人たちの優遇階級。誇り高い存在とされている。生まれた時点で鱗の色により『純鱗』か『半鱗』かに選別される。次期族長を決める乱闘に参加出来るのは『純鱗』のみ。詳しくは『683.「純鱗と半鱗」』にて




