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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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Side Grimm.「命を救われたから」

※グリム視点の三人称です。

 グリムは浴槽に浮かんで、黄金色に輝く天井を見上げていた。全身を包む温かさに、自然と(ほお)がゆるむ。


「いい湯加減なので」


 のんびりと口に出した言葉が浴場に反響する。天井から一定の間隔(かんかく)で落ちる水滴が、火照(ほて)った身体に心地良い。


 広大な浴場をひとり()めしている事実に、グリムの心は弾んだ。


「湯浴みの好きな奴に悪人はいない」


 不意な声にも、グリムは決して驚かなかった。たったひとりだとばかり思っていたから意外ではあったけれど、不快感や恐怖心、不安や猜疑心(さいぎしん)はちっとも浮かんでこない。身体も脱力したままである。


 少しばかり顔を動かすと、視界に声の(ぬし)が見えた。


「ゾラさんも湯浴(ゆあ)みなので?」


「うむ」


 浴槽の(ふち)にだらりと腕を投げ出した巨躯(きょく)の獣人――ゾラは、くすりとも笑うことなく答えた。威厳(いげん)たっぷりな表情は変わらない。そしてグリムの気の(ゆる)みも相変わらずだった。浴場にゾラがいることを、(かえ)って自然に感じたほどである。


「ゾラさんは一日何回湯浴みするので?」


「一日ずっとここにいるときもある」


「ふやけちゃうので」


「ふやけるほど好きなのだ」


 それなら仕方ない、とグリムは納得した。好きならふやけたってかまわないのだ。好きというのは、なににも増して強い力になるものだから。


「そろそろ上がるといい」


 ゾラにそう(うなが)された瞬間、グリムは心に影が差すのをありありと感じた。まだ湯に()かっていたいし、このひどく曖昧(あいまい)で温厚な時間に身を(ゆだ)ねていたい。


「まだふやけたいので」


「あまり浸かっていると溶けるぞ」


「溶けちゃうので!?」


「冗談だ」


 遠くで、重たい音が鳴った。地鳴りにしては短く、足音にしては大きすぎる。グリムの意識はまるで吸い込まれるように物音へと向かっていき――。




 目覚めると、グリムは身震いした。手足がすっかり冷えている。寝起きの気怠(けだる)さが全身を(おお)っていたが、(まぶた)だけは(かろ)やかだった。


 がらんどうの家屋(かおく)に満ちた朝の空気。それをのんびりと吸い込んでいるほど、グリムは悠長(ゆうちょう)ではなかった。彼の瞳は室内の一点に釘付(くぎづ)けになっている。


 ――開いてるので。


 地下への入り口を(ふさ)いでいた岩がどかされ、(あわ)い黄色の光が室内にこぼれていた。


 心臓が徐々(じょじょ)にペースを速めていく。きっと今は朝で、エルドが食事を届けるために地下へ降りたのだ。そうに違いない。グリムは寝起きの身体を叱咤(しった)して、穴へと飛び込む。


 意識に反して身体は覚醒(かくせい)していないらしく、グリムは上手く着地出来ずに尻もちを突いてしまった。


「あうっ!」と否応(いやおう)なく声が(あふ)れ――。


「……ん?」


 数メートル先で振り返った獣人。その姿を目にして、なんだかグリムは泣きそうな気持ちになってしまった。炎のように(あざ)やかな橙色(だいだいいろ)のタテガミの男――エルド。彼がいなければ鍵を奪取(だっしゅ)することは出来なかっただろう。


「エルドさん」


 グリムは尻もちを突いたまま、ゆっくりと『透過帽(とうかぼう)』を取る。刹那(せつな)、エルドの瞳が大きく見開かれた。


「やり()げたか?」


 彼の問いかけに、グリムは二度三度と(うなず)きを重ねる。服の上から鍵の存在を確かめながら。


「これでアルビスさんを出してあげられるので……!」


 エルドはグリムの前まで寄ると、(ひざ)を突いた。


「鍵を見せてくれ」


「これなので」


 鍵を受け取ると、エルドは長いことそれを見つめていた。真贋(しんがん)を確かめているような様子はない。なにか、物思いに(ふけ)っているような雰囲気がある。


「……どうしたので?」


「いや、なんでもない」エルドは首を振り、グリムに鍵を返した。そうして彼の身体を抱き上げる。「よく頑張ったな。礼を言う」


「こちらこそなので。早く助けてあげたいので」


「ああ、行こう。すぐに……」


 エルドはしばしその場に(たたず)んでから、またぞろ首を横に振り、広間へと足を向けた。グリムを抱えたまま。


 エルドの様子はどこか違和感があったが、あまりに漠然(ばくぜん)としていて、グリムには問いただすことが出来なかった。胸に(もや)がかかるような気持ちになりながら、いや、と考える。いや、気のせいなので。僕が臆病だから、こんなふうになんでも疑ってしまうので。


 エルドの歩調(ほちょう)()えず変化したが、グリムはそれに気付かなかった。やがて広間にたどり着くと――。


「アルビスさん!」


「おお、チビすけ。生きておったか。昨晩、エルドから(こと)次第(しだい)は聞いた。もしや死んだのかと思ったぞ」


 グリムはエルドの腕から飛び降りると、銀の鍵を頭上に(かか)げた。


「鍵をとってきたので!」


 アルビスは(おり)に寄りかかったままだったが、目を細め、グリムの頭上を見つめた。そしてひと言。「でかした」


「これで『灰銀(はいぎん)の太陽』に協力してくれるので?」


「……ここまでしてもらって(いな)とは言えん。よかろう。(わし)の力を貸そうではないか」


 グリムは有頂天(うちょうてん)だった。すべてが上手くいっている。これで『灰銀の太陽』は勝利を収めることが出来るかもしれない。人間の殲滅(せんめつ)も、戦争の参加もなし。すべてが丸く収まる。


 (じょう)はグリムには手の届かない高さにあった。なんとか鍵穴に差し込もうと跳ねてみたものの、ちっとも駄目である。


「エルドさん、お願いなので」


「ああ。開ければいいんだな」


 エルドは受け取った鍵を差し込んだ。


 一秒。


 五秒。


 十秒。


 刻々(こくこく)と時間が流れていく。何度目かのため息が流れ、ようやくガチャリと金属音が響き渡った。


「アルビス様」鳥籠(とりかご)を開けて、エルドは呟く。「私は貴方(あなた)忠臣(ちゅうしん)です。今までずっとそうでした。貴方には小さい(ころ)から世話になってきましたし、成長してからは戦士としてお(そば)(つか)える許しまでくださった」


 異様なほどあらたまった顔をするエルドを見上げ、グリムは胸の奥が不穏(ふおん)にざめつくのをはっきりと感じていた。


 エルドはこれまでずっと、アルビスの解放を願ってきたはずだ。否、ゾラが玉座を()めてなお、彼はずっとアルビスの復権(ふっけん)を望んできたはずである。


「言いたいことがあるのなら、はっきりと口にするのだ。エルドよ」


「……ゾラを殺すのですか?」


「そうでもせんと止められんだろう」


 しん、と広間に沈黙が降りる。二人の()わす視線は、まるで互いを刺す針のようにグリムは錯覚(さっかく)した。


「……私はゾラに命を救われました。今回の一件で私は、殺されても文句を言えないほどの失態を(おか)したのです。しかしゾラは――」


「それがあやつの手管(てくだ)だろうに。お前はまんまと(じょう)を突かれただけだ」ふぅ、と短く息を吐き、アルビスは話頭(わとう)(てん)じる。「地上に儂の支持者は残っておるか? (すみ)やかに呼びかける必要がある。これまでは穏当(おんとう)にしておったが、いよいよゾラの寝首(ねくび)()かねば――」


 ガァン、とけたたましい音が鳴り響いた。


 エルドは今まさに(おり)へと叩きつけた(こぶし)を、ゆっくりと手元に引く。


「アルビス様。私は貴方の忠臣であるとともに、ルドベキアの奉仕者(ほうししゃ)でもあります。私が手伝えるのは、申し訳ありませんがここまでです。……どうか、お元気で」


 エルドは(きびす)を返し、広間の入り口に向かって()を進めた。その足取りは決然としていて、なんの(よど)みもない。


「エルドさん!」


 グリムの叫びに、彼は短く一度振り返っただけだった。決して足を止めることなく。


 やがて入り口を(ふさ)いだであろう重い擦過音(さっかおん)が遠くで鳴った。もはやエルドの姿はどこにもない。それでもグリムは、彼の消えた通路の先をじっと見つめずにはいられなかった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『アルビス』→ルドベキアの元酋長。優秀な魔術師であり、多くの獣人に魔術の手ほどきをした。戦争への参加に反対したが、ゾラとの決闘に敗れ、地下に幽閉された。温和な性格であり、同じく幽閉された小人族の信頼を得ている。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて


・『エルド』→ルドベキアに住むタテガミ族の戦士。アルビスを信奉している。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『透過帽(とうかぼう)』→かぶっている間は姿を消せる角帽。魔道具。気配も消すが、物音までは消えない。詳しくは『597.「小人の頼み」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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