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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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Side Grimm.「男と女と湯と小人」

※グリム視点の三人称です。

 グリムは玉座横の通路をたどっていた。両の壁際(かべぎわ)には細い水路が()びており、涼しげな水音が耳に心地よい。


 相変わらず油断は出来ない状況ではあったものの、グリムはほっとした気持ちになっていた。それも無理からぬことである。協力者があと一歩で自害(じがい)するところだったのだから。


 それにしても、とグリムはテクテクと通路を歩みながら考える。


 ――それにしても、そうしてゾラさんはエルドさんを見逃したので?


 ――気まぐれなので?


 ――それとも、なにか理由があるので?


 グリムには、命令者であるゾラ自身が自害を制止した事実が奇妙でしかなかった。止めるくらいならはじめから命令なんてしなければいいのに、と。


 矜持(きょうじ)(ふく)んだ駆け引きなどグリムは経験したことがない。ゆえにグリムがゾラの思考を理解出来なかったのも自然なことである。


 なんにせよエルドが傷付かなくて良かったと、グリムはそればかりを思った。苦痛や悲哀はなるべく見たくないものである。


 グリムは突き当たりを左に進み、奥へ奥へと進んでいった。段々と空気に熱が混じってくるのを感じる。


 エルドによると、鍵は(つね)にゾラが持ち歩いているらしい。謁見(えっけん)や外出の際はもちろん、食事のときも、眠るときも、その身から離すことはない。唯一(ゆいいつ)の例外は――。


 目的地にたどり着いた瞬間、グリムは深く息をついた。『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』の荘厳(そうごん)さもすさまじかったし、ルドベキアに満ちる(あわ)い光の演舞(えんぶ)も素晴らしかった。しかしながらグリムは今この瞬間、ここ数日でもっとも感動していた。


 広間の中央に横たわる浴槽。正面には獅子(しし)の顔を()した像があり、その口からドバドバと水が流れている。獅子の顔の上部には、見事な風景画が塗装付きで()られていた。グリムの立つ入り口付近には、なにやら灰褐色(はいかっしょく)の四角い石が整然と()まれている。


 湯については、グリムもこれまで聞いたことがあった。世の中には暖かい水があって、それで身を清めるのだと。グリムは長いこと『湯』とやらに漠然(ばくぜん)とした憧れを(いだ)いていた。特別な者にだけ許された、極めて限定的な贅沢(ぜいたく)。それが彼の想う『湯』である。たったひとりで大きな湯船につかり、蒸気でとろとろにした鳥の卵を食べる様子を何度となく空想したものだ。


 夢の景色が今目の前に広がっていることに、グリムは興奮を隠すことが出来なかった。今すぐにでも浴槽に飛び込んで、湯の温かさに癒されたい。そんな欲望が彼の内側でふつふつと沸騰(ふっとう)していた。


 ――少しくらいならいいかもしれないので。ちょびっとお湯に手足を()けるくらいなら問題ないので。


 グリムの誘惑がいよいよ(おさ)えがたくなったそのとき、浴場に近付く足音が彼の耳を打った。すっかり(ゆる)んだ意識が一瞬で引き締まり、心臓が声高(こわだか)に危機を叫ぶ。彼は咄嗟(とっさ)に、積まれた石の影に隠れた。


 足音はふたつ。一方は悠然(ゆうぜん)としたリズムで繰り返される、存在感のある重たい音。もう一方は(かろ)やかな金属音と衣擦(きぬず)れを(ともな)う、(なめ)らかな歩み。それらが次第(しだい)次第に浴場へと接近するのを、グリムは息を()んで耐えていた。もちろん彼はゾラの入浴を待っていたのだが、一気に(ふく)れ上がった緊張や恐怖や(おび)えは、彼に忍耐の二字を()いていたのである。


 積まれた石から入り口を(のぞ)いていたグリムは、やがて二体の獣人を目にした。


「湯は(じつ)にいい。霊感が芸術へと昇華(しょうか)するきっかけを与えてくれる場だ。――そうは思わないか、ミスラよ」


「全然思わないわよ。それよりほら、ゾラに見つかっちゃうわよ。二人で入浴しているのがバレたら大目玉を食らうわ。今のうちにたっぷり楽しみましょう?」


 片方の獣人は、グリムがはじめて見る相手だった。毛は(つや)やかな黒で、女性ゆえにタテガミを持っていない。そして妙なことに衣服を(まと)っていた。上は刺繍(ししゅう)(ほどこ)された羽衣(はごろも)。下は深い青のズボン。両手足には輪が光り、艶のある青い靴を()いている。


 グリムがルドベキアで見た獣人はすべて裸だった。衣服を身に纏う習慣などないと思っていたので、彼女の姿はひどく場違いで奇異(きい)なものとしてグリムの目に映ったのである。


 が、彼が注目したのはミスラと呼ばれた女性のほうではない。


「うむ、うむ。この機会を無駄にしてはならん。いざ、湯と(たわむ)れようではないか。そして霊感を刺激するのだ。ミスラよ。君も服を脱ぐといい」


 もう一体の獣人は、グリムの記憶にしっかりと残っていた。


 ――オッフェンバックなので。


灰銀(はいぎん)の太陽』を襲撃したタテガミ族、オッフェンバック。浴場に入ってきたのは(まぎ)れもなくその人物だった。特徴的な純白のタテガミ。その先端を均等(きんとう)に分けて(ひも)(くく)ってある。姿かたちはもちろんのこと、声や口調もグリムの知るオッフェンバックでしかない。そしてなにより、堅固なまでに変わらない満面の()みは彼の特徴だった。


 クロエたちを裏切ったのだろうか。そんな不安が小さな胸に(うず)を巻く。『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』で彼らの交渉が失敗に終わり、今はルドベキアを離れていることは『共益紙(きょうえきし)』を通じてグリムも知っている。もしかするとオッフェンバックがなにかを仕掛けて、結果的にクロエたちが追い詰められたのかもしれないと考えるのは、ごく自然なことだろう。


 じっと二人を観察しながら頭を悩ましていると、湯船に入ろうとするオッフェンバックをミスラが床に押し倒すのが見えた。


「!? なにをするのだ」


「こっちの台詞よ。なに驚いてるの? 二人きりで湯浴(ゆあ)みだなんて、やることはひとつじゃない」


「ひとつ? 湯浴みだろう?」


「前から思ってたんだけど、貴方(あなた)ってウブな人よね。……まあ、いいわ。せっかく拾った命なんだもの。パアっと使いましょ?」


 なにがはじまるのか、グリムは石の影からじっと見つめていた。


「……ゾラともこのようなことをしたのか?」


「どうかしら。だって男女だもの……。アハハ! 嘘よ。あの人は潔癖(けっぺき)だから、手も()れなかったわ。それに、もともと貴方を嫉妬(しっと)させるつもりでゾラに鞍替(くらが)えして見せたんだもの」


「!? なんと……」


「でも、本当に良かった。ゾラが許してくれなかったら今頃(いまごろ)仲良く死んでいたものね」


 話の流れは分からない。が、二人の関係性はグリムにもなんとなく理解出来た。おそらく恋人同士なのだろう。


 倒れ込んだオッフェンバック。彼にぴったり身体を密着(みっちゃく)させたミスラ。グリムは息を()んでその光景を目に焼き付けていた。


「しかし、浴場はゾラにとって聖地だ。ここで(まじ)わるのは命を捨てるようなものではなかろうか……」


「なに言ってるのよ。とびきり背徳的(はいとくてき)だからいいのよ。貴方、普段は芸術だなんだってうるさいけど、こういうときは臆病なのね。ふふ。新しい一面を知るのって、とっても(たの)しい」


 やがて二人はうっとりと目を閉じ、唇を重ね合わせる。グリムはというと、咄嗟に『見てはいけないので!』と思って両手で目を(おお)ったものの、指の隙間(すきま)からバッチリ見ていた。


 あんまり二人の様子に集中していたものだから、入り口から声がした瞬間、小さく跳び上がってしまった。


「……おい」


 浴場の入り口に立つ、金色(こんじき)のタテガミ族。その目付きは先ほど見たときと少しも変わらず厳格(げんかく)で、どこか怜悧(れいり)だった。


「ゾラ!?」とミスラが叫びを上げてオッフェンバックから離れる。


「ゾ、ゾラ! 違うんだ! これは――」起き上がったオッフェンバックは、ぎょっとした表情をしていた。彼の笑みが消えたのは意外だったが、それどころではない。この場で殺戮劇(さつりくげき)が展開されるのではないかと思い、グリムは身を堅くした。


「……お前たち、婚礼(こんれい)はまだだったな」


 淡々(たんたん)と問うゾラに、おずおずと(うなず)く二人。


 しばしの沈黙ののち、ゾラは落ち着いた口調で言い(はな)った。


「……そういうことは、結婚してからだ。そして仮に夫婦になったとして、浴場で……浴場は……」


 言葉が宙を彷徨(さまよ)い、不自然な間隔(かんかく)が開く。ゾラは咳払(せきばら)いを二度も繰り返し、断固とした口調で続けた。


「とにかく出ていけ。俺はこれから湯浴みする。誰も入って来ないよう、見張っていろ」


「え、ええ。本当にごめんなさい、ゾラ。ほら、オッフェンバック、行くわよ」


「う、うむ。すまないなゾラよ。貴君(きくん)寛容(かんよう)な心、このオッフェンバックは痛く感動した!」


 そう残して、二人は去っていった。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽(とうかぼう)』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて


・『エルド』→ルドベキアに住むタテガミ族の戦士。アルビスを信奉している。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『オッフェンバック』→純白の毛を持つタテガミ族の獣人。『緋色の月』に所属。自称音楽家の芸術至上主義者で、刺激を得るという動機でハックの和平交渉を台無しにした。クロエとの戦闘に敗北し、あわや絶命というところを彼女に救われた。それがきっかけとなって『灰銀の太陽』への協力を申し出ている。詳細は『774.「芸術はワンダー哉!」』『780.「君が守ったのは」』にて


・『ミスラ』→女性のタテガミ族。しなやかな黒毛。多くの獣人と異なり、薄衣や足環など服飾にこだわりを見せている。オッフェンバックの元恋人であり、わけあってゾラに侍るようになった。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』『789.「絶交の理由 ~嗚呼、素晴らしき音色~」』『797.「姫君の交渉」』にて


・『共益紙(きょうえきし)』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて


・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『黄金宮殿(ザハブ・カスル)』→獣人たちの中央集落『ルドベキア』の中心にある宮殿。玉座には財宝が大量に集められている。歴代酋長が使用する私室や、浴場、ゲストルームが存在する。全体に魔術除けが施されており、魔術を一切通さない。詳しくは『787.「青き魔力の光」』『788.「黄金宮殿」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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