Side Grimm.「鳥籠の鍵」
※グリム視点の三人称です。
クロエたちがルドベキアを脱出した翌日。
グリムは地下空間で目を覚ました。周囲ではまだ小人たちが寝息を――あるいは鼾を――立てている。たっぷり寝たようにグリムは思ったが、自分が一番はじめに目を覚ましたあたり、そう長い時間は経っていないようだった。
彼は頭にかかった靄を晴らすべく、ゆったりと室内を見回す。石造りの小部屋にはひとつとして照明具がないのにもかかわらず、薄黄色の均質な明るさに満ちていた。床も壁も天井も、それ自体が光源であるかのように、まろやかな光を帯びている。グリムは小人たちの眠る室内から廊下へと、ゆっくり視線を動かす。短い廊下の先に、鳥籠の一部が見えた。
霞のかかった頭で、グリムは昨日のことを思い出す。クロエたちと別れ、ひとりでルドベキア内を探索したこと。小人の様子を見る名目で地下へと向かったエルドに続いて、自分もその空間に飛び込んだこと。長い通路の先で鳥籠に囚われた老人――かつてタテガミ族を束ねていたアルビスと出会ったこと。そして仲間の小人と無事再会出来たこと。
グリムはぷるぷるとかぶりを振り、頬を二、三度軽く叩いた。そして昨晩、寝入る前にじっくりと考えた内容を反芻する。
彼の目的は仲間と再会し、もう一度小人の住処――『岩蜘蛛の巣』で暮らすことだった。ただ、当初抱いていた目的はすでにかたちを変えてしまっている。竜姫と結婚した以上、グリムの帰るべき場所は『霊山』だ。が、それは彼自身の意志で決めたことであり、今さら覆そうだなんて思ってはいない。せめて仲間たちを『緋色の月』から離れさせ、元の通りの生活を送ってもらえるように、というのが彼の望みである。
しかし、事はそう単純ではない。現在小人たちは軟禁状態にある。軟禁の理由までは小人族の長老も不明であるらしかった。
なんにせよ小人たちを地下から解放する必要があるものの、樹海から『岩蜘蛛の巣』までは途方もない距離がある。上手く逃げ出したとしても、安全な移動手段を確保しなければならない。長老はその事実に対し、『エー、八方塞りだ』と口にしていた。
小人の力だけでは帰還不可能。その条件を、グリムはむしろ快く思った。もし簡単に帰還出来るような条件が整っていれば、仲間たちに促されるままに自分も逃げ出してしまっただろう。流されやすく臆病な性格は、グリム自身が一番分かっているのだ。だからこそ、逃げ出せない状況が好都合なのである。
グリムの目的は、今やひとつではない。『灰銀の太陽』の望みは、いつしか彼の意志となっていた。人間を殲滅するのは駄目、という程度のものだったが。
小人が帰還するためには『灰銀の太陽』が目的を完遂するしかない。少なくとも現状のグリムにはそう思えた。ふたつの異なる目的が、ひとつの結末へと繋がっている。
グリムは立ち上がり、ほかのみんなを起こさないように慎重な足取りで廊下へと出た。
やがて広間に出ると、グリムはぐるりと鳥籠をめぐるように歩き、老人の正面で立ち止まった。アルビスは胡坐をかき、腕組みをしている。その目は閉じているが、眠っているかは定かではなかった。はじめて彼を目にしたときも、眠っているように見えてしっかり起きていたのだから。
本当に眠っていたら悪いと思い、グリムは小声で呼びかける。「起きてるので?」
すると老人はゆっくりと瞼を開けた。
「早起きじゃな、チビすけ」
「チビすけじゃなくて、グリムなので」
訂正すると、アルビスは目を細めてくつくつと笑った。
「グリム。あまり眠れなかったか?」
そうたずねられて、グリムはちょっと困ってしまった。頭は比較的冴えているし、たっぷり寝たような気もする。「ちゃんと寝れたので」
「そうか? 寝入ってからまだあまり経っておらんぞ」
「そうなので?」
「うむ。もう一度眠るといい。朝食の時間まではまだまだ長い」
それを聞いて、グリムは昨晩の食事を思い出した。エルドが桶を持ってきて、中に入った芋を一人一人に手渡ししたのだ。タテガミ族に対する恐怖心はいまだにあったものの、仲間に紛れれば大丈夫と思い、グリムも配給を受け取ったのである。そのときのエルドの様子はなんとも言えず穏やかだった。小人の軟禁されている小部屋に入ってきた直後は険しい顔をしていたのだが、芋を配りはじめてからは、表情が和らいでいくのがはっきりと見えたのである。
「エルドは、食べ物を渡すのが好きなので?」
グリムは、ふと浮かんだ疑問をすんなりと口にした。アルビスは姿勢も表情も崩すことなく、しかし柔らかな口調で返した。
「ちんまいのが好きなんじゃろうて。元来、誰しもそんなもんじゃ」
グリムは小首を傾げてから、曖昧に頷いた。なんとも不思議な理屈だったが、それ以上のことを聞いても仕方がない。
グリムはハッと真顔になり、アルビスを見つめる。聞かなければならないことを思い出したのだ。朝食のことも大事だが、もっと大事なことがある。
「おじいさん、お願いがあるので!」
「なんじゃ?」
呼吸を整えてから、グリムは大きく息を吸った。「ボクたちと協力して、戦争をやめるよう説得してほしいので!」
アルビスが優秀な魔術師だったことはすでに、彼自身の口から語られている。だからこそグリムは、アルビスならばハックとはまた違った方法でゾラを説得出来るのではないかと考えたのだ。
アルビスは哀れっぽくグリムを眺めたのち、瞼を閉じた。
「見ての通り、わしは幽閉されておる」
それはそうだ。グリムは鳥籠の一部にかかった大きな錠を見上げ、唾を飲み込んだ。
ゾラに敗北し、幽閉されている老人。ならば、解き放ってやればいい――グリムがそこまで決心することが出来たのは、ひとえに『霊山』での経験によるものだった。竜姫の解放と、サフィーロの撃破。当たり前に考えれば困難極まりない物事を成し遂げた人間がいる。自分にもそれだけの力があるとは思わないが、少なくとも、限界を決めてしまうにはもったいないぐらい、この世界には常識破りな展開が山ほどある。肝心なのは踏み出すかどうかだけ。そうした思想を、グリムは自分のなかで明確に言語化することなく把握していたのである。
「ボクが錠を外すので!」
「ん」老人は瞼を開け、グリムを見た。深い皺の刻まれた顔のなかで、瞳が好奇の色を浮かべている。「チビすけに開けられるのか?」
「チビすけじゃないので。グリムなので」
「うむ……。グリム。誰が鍵を持っているのかすらお前は分からんだろう?」
確かにそうだ。なにもヒントがない。
「おじいさんは知ってるので?」
老人は黙したまま、じっとグリムを見つめている。グリムもグリムで、目を逸らしてはいけないと懸命に自分に言い聞かせていた。これは必要なことだ、と。
やがてアルビスは掠れたため息をついた。
「本気か?」
「本気なので」
「せっかく仲間と再会出来たのに、もう二度と会えなくなるぞ。……寝不足で冷静に物事を考えられなくなっておるだけじゃ。悪いことは言わんから、もう一度寝ておいで」
アルビスが親切心からそう言っているのはグリムにも分かった。だからといって、彼が引き下がる気になれなかったのは、おそらく仲間のおかげだろう。これまでグリムは、たったひとりの小人族として他種族と一緒に難局を乗り越えてきた。心のどこかに、ひとりぼっちの寂しさや、みんなと再会出来るだろうかという不安があったことは言うまでもない。
再会は彼に勇気をもたらした。小さいが、力強く輝く勇気を。
「逃げないので」
そう言って、グリムは鉄格子をひしと掴んだ。視線は真っ直ぐ、アルビスを射ている。
アルビスの目に哀れみや憂いが浮かび、やがて凛と確かな眼差しへと変わっていった。
「鍵を持っておるのは、ゾラじゃ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『グリム』→『岩蜘蛛の巣』に暮らしていた小人。かぶっている間は姿を消せる帽子型の魔道具『透過帽』を持つ。竜人の至宝とも言える存在『竜姫』の結婚相手。詳しくは『597.「小人の頼み」』『第四話「西方霊山」』にて
・『エルド』→ルドベキアに住むタテガミ族の戦士。アルビスを信奉している。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて
・『アルビス』→ルドベキアの元酋長。優秀な魔術師であり、多くの獣人に魔術の手ほどきをした。戦争への参加に反対したが、ゾラとの決闘に敗れ、地下に幽閉された。温和な性格であり、同じく幽閉された小人族の信頼を得ている。詳しくは『Side Grimm.「鳥籠の老人」』『Side Grimm.「ルドベキア今昔物語」』にて
・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて
・『サフィーロ』→蒼い鱗を持つ竜人。『純鱗』。次期族長候補と噂されている人物で、派閥を形成している。残酷な性格をしているが、頭も舌も回る。シンクレールと決闘し、勝利を収めている。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『竜姫』→竜人たちにとって、族長に次ぐ重要人物。竜人たちの住処である『霊山』一帯の山脈に雪雲を固定し、人間の侵入から守っている。彼女の姿を見た者は目が潰れ、命を失うとされる呪いを持つ。『聖域』と呼ばれる場所に隔離されており、接触が出来るのは盲目の世話人であるパルルか、唯一前述の呪いの対象にならない族長のみ。詳しくは『687.「姫の呪い」』『Side Grimm.「困惑小人の赤面」』にて
・『小人』→人間とは別の存在。背が低く、ずんぐりとした体形が特徴。その性質は謎に包まれているものの、独自の文化を持つと語られている。特に小人の綴った『小人文字』はその筆頭。『岩蜘蛛の巣』の小人たちは、人間を嫌っている様子を見せた。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『岩蜘蛛の巣』→王都を追放された者が放り込まれる洞窟。実は最果てと王都近辺を繋いでいる。中には小人の住処も存在する。詳しくは『第七話「岩蜘蛛の巣」』にて
・『霊山』→竜人の住処。王都の遥か西方にある雪深い山脈の一角に存在する。詳しくは『第四話「西方霊山~①竜の審判~」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




