825.「捨てられし者に栄光を」
「お姉ちゃんがいじめる~! うえぇ~ん!」
「アンタはマジで反省しろ! 今回は泣いても許さないかんな!!」
頬を引っ張られて泣くルミナ。そして、怒りを露わにして頬を引っ張るメロ。
甘えん坊の妹と、しっかり者の姉。なんだかそんな感じだ。
彼女たちの、なんだか牧歌的に見えてしまうやり取りを眺めつつ、ほんのりと拳を握った。メロはルミナを叱りつつ、わたしたちにこれまでのことを説明してくれたのだ。話の途中でわたしとリリーは泉のほとりで身体を乾かし、今はもう服を着ている。それくらい長い話だったのだ。
はぐれたシンクレール。ルミナの誘拐をきっかけに結ばれた、人魚とオオカミ族との約束。そして、その結末。
今もシンクレールが生きていることは、もちろんわたしにとって心の底からありがたかった。ただ、すべてが終わったわけではないので安堵は出来ない。メロによると、彼は帰還しない有翼人を探すべくクラナッハとともに出発したらしい。その後メロはルミナの消失に気付き、単身で彼女の痕跡をたどってここまでやってきたというわけだ。だから、結局シンクレールや有翼人の行方は不明のままである。
無事でいてくれればいいけど……。
シンクレールの実力は分かってる。迂闊に行動しない性格だってことも知ってる。もちろん、信用もしてる。それでも心配なものは心配なのだ。
「助けて~。クロエちゃぁん!」
不意にルミナに抱きつかれ、思考がぷつりと絶える。水中から飛び出したルミナに押し倒され、視界がぐるりと天へ向いた。
「ルミナ! 人に迷惑かけんなって! マジで!」
メロはぴちぴちと暴れるルミナの尾を掴み、泉へと引き戻す。ルミナがパッと身体を離してくれたので、水に落ちる羽目にはならなかった。
まあ、メロが怒るのも分かる。誘拐されたばかりなのに自由を優先する妹なんて持ってしまったら、ハラハラしっぱなしだろう。しかもちっとも反省の色が見えないのだから、徒労感もすさまじいものがあるに違いない。
「うわぁ~ん! お姉ちゃんの怒りん坊!」
「アンタが心配だから叱ってるだけだっての! ……ったく、なんで理解しないのかねぇ」
「お姉ちゃん、わたしが心配なの?」
「じゃなかったらこんなに本気で怒らないっつうの!」
「えへへ~。お姉ちゃん大好き!」
「うっ……ご、誤魔化すなって!」
泣き笑いするルミナと、妹に抱きつかれて困惑と怒りの入り混じった、なんとも悩ましい表情を浮かべるメロ。たぶんこの姉妹は、普段からこんな具合のやり取りをしているのだろう。
「それで」盛大なため息をひとつ漏らし、メロはこちらに視線を向けた。「リリーちゃんとクロエちゃんはどうしてここに?」
「それは――」
ひと通り説明を終え、ひとまとまりの吐息をついた。泉の姉妹はそれぞれまったく違った反応を見せていた。ルミナは話の途中で飽きたのか、水辺の草を結んで遊んでいる。メロはと言うと、真剣さと、それゆえの興味深さを顔に浮かべていた。
「それじゃ、これからルドベキアに行くってワケね? 穴の底にいる獣人たちと一緒に」
「そう。とりあえず今日は出発の準備をして、明日の朝一番で発つ予定になってるわ」
すぐにでも出発したいところではあったが、『骨の揺り籠』の住民にも武器の調達やら携帯食料の準備やらが必要である。キージーの判断のもと、出発が明日になったわけだ。
思えば、今このタイミングで彼女たちに会うことが出来たのは幸運かもしれない。
「ねえ、メロ。お願いがあるんだけど――」
「ルドベキア襲撃を手伝ってくれ、って?」
メロは腕組みをしてわたしの視線を真正面から受け止めている。口元には薄笑い。
そもそもメロは――というか人魚は――攫われたルミナを助けるために『灰銀の太陽』への加入を決めたのだ。それも、裏切りを前提として。本来はどちらにも肩入れするつもりなんてなかったに違いない。オオカミ族の集落を占領したまま維持しているのも成り行き上のことだろう。メロにとってすでに目的は達成出来ている。早く住処である入り江に帰って、これまで通りの生活を取り戻したいに決まってる。
だから、メロが「ウチは仲間のところに戻るよ。ウチがいないとみんな不安になっちゃうからさ」と返事したときにも、そう意外ではなかった。もちろん少しばかりの落胆を覚えたわけだけれど、当たり前の判断なのだから食い下がる気にはなれない。
「分かったわ。成り行きだとしても、『灰銀の太陽』に協力してくれてありがとう」
するとメロは、「ギャハハ!」とわたしを笑い飛ばした。それから彼女の表情はすぐに、ふわりと柔らかい微笑に遷移していく。
「ウチらは『灰銀の太陽』から抜けるなんて言ってないっての。クロエちゃんは早とちりだな~」
ということは……。
メロは得意気に口角を上げ、ウインクをした。
「『緋色』の大将をぶっ飛ばしに行くんだろ? ウチらも協力したっていいじゃん?」
「じゃあ、仲間のところに戻るって言うのは――」
「みんなを連れて、またここに戻って来るよ。そっからは水脈をたどってルドベキアに入る。陸で動けるのはウチだけになるけど、川辺で敵を惹きつけるくらいなら出来るんじゃね~? ま、危なくなったら逃げるけど? ギャハハ!」
メロを見つめながら、けれど頭に浮かんだのはシンクレールの姿だった。彼がメロに対して自己犠牲を厭わないほどの協力を見せていなければ、決してこんな展開にはならなかっただろう。
再会したら、思いっきり褒めちぎろう。照れたってやめてあげないくらい。
「ありがとう、メロ。本当に助かるわ」
本来わたしたちは、ハックとリリー含め三人で再びルドベキアに乗り込むはずだった。それが『骨の揺り籠』の住民と人魚、そして黒山羊族なる獣人ゲオルグの助力を得られることとなった。ありがたい想定外が次々と起きている。
もちろん、それで上手くいく保証はひとつとしてない。ゾラとの交渉において、わたしたちはまだ決定的ななにかを手にしているわけではないのだから。ルドベキアを完全に包囲し、『緋色の月』の大部分を無力化したとして、ゾラが戦争参加を諦める可能性は未知数だ。彼が血族との契約を交わしているのなら、それこそ不可能な話だろう。
交渉決裂の末になにが待っているか。
腰に提げた武器の重みを意識し、深く深く息を吐き出した。
「それじゃ、行くわよ」
リリーの声に、いくつかの頷きが返る。そのうちのひとつはわたしだ。
人魚との邂逅の翌日。出発の日だ。
『骨の揺り籠』の住民たちはそれぞれ、思い思いの武器を手に緊張した面持ちである。棍棒や尖った木切れ、あるいは骨を加工した槍など、バリエーションは様々だ。その身体も不揃いである。片目のない者、異様に腕の短い者、あるいは腕の長い者。彼らは先天的に、後天的に、なにかが欠けている。それゆえ『異形の穴』に落とされ、死者として地底で生きるほかなかった。
獣人の表情に緊張はあれど、それ以上の高揚が心を燃やしているように思える。
彼らはこれから、取り戻すのだ。失われた未来を。本来あるべき生命を。
「リフ、大丈夫?」
背後の巨大な獣人――リフへと呼びかける。彼は誰よりも不安そうな様子だった。全身が震えている。
「が、頑張るよ……」
ドルフに対する圧倒的な暴力。その記憶は彼の意識に焼き付いていて、今も心を揺さぶり続けているに違いない。それでも彼は、ルドベキア襲撃に名乗りを上げたのだ。勇気を振り絞って。
やがて重たい音が鳴り響き、『骨の揺り籠』を囲む円形の崖の一部が開き、階段が形成されていく。すべてはリリーの『陽気な浮遊霊』によるものだ。彼女は両手を前方に突き出し、歯を食い縛って汗を滴らせている。
やがて地上までの階段が出来上がると、彼女はぺたりとその場に座り込み、大きく肩で息をした。
「ありがとう、リリー」
「どういたしまして、クロエ。ワタクシはここに残るけど……絶対に生きて戻って来なさいよ! ちゃんと目的を果たさなきゃ承知しないんだから!」
頷きを返し、彼女の手を握った。しばしのお別れだ。
手を離し、階段を見上げる。すると、じんわりと空中に金文字が浮かんだ。誰もが目にすることの出来るほどのサイズで。
『勇敢なる同志諸君。遂に出発の時です』
『不安や恐怖は多少なりとも心にあることでしょう』
『しかし、貴方がたは対峙すると決断した。私はその勇敢さを祝福します』
『我々の旅路に栄光の未来が待つことを願い、全力で戦うのです』
断続的に明滅するメッセージを見つめ、拳を握る。
今この瞬間、『骨の揺り籠』は鳴動していた。捨てられた人々の鬨の声で。
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『シンクレール』→王立騎士団のナンバー9。クロエが騎士団を去ってからナンバー4に昇格した。氷の魔術師。騎士団内でクロエが唯一友達かもしれないと感じた青年。他人の気付かない些細な点に目の向くタイプ。それゆえに孤立しがち。トリクシィに抵抗した結果、クロエとともに行動することになった。詳しくは『169.「生の実感」』『第九話「王都グレキランス」』にて
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて
・『クラナッハ』→灰色の毛を持つ獣人(オオカミ族)。集落には属さず、『黒の血族』であるリリーとともに行動していた。気さくで遠慮がない性格。二度クロエたちを騙しているが、それはリリーを裏切ることが出来なかった結果として行動。可哀想な人の方でいたいと日頃から思っている。詳しくは『613.「饒舌オオカミ」』『650.「病と飢餓と綿雪と」』
・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて
・『ルミナ』→人魚の族長であるメロの妹。メロとは対照的に能天気な性格。オオカミ族に捕まっていたが、クラナッハたちの働きによって救出された。詳しくは『Side Cranach.「内緒話の結末」』『Side Cranach.「姉妹の抱擁、あるいは擬態の動揺」』にて
・『陽気な浮遊霊』→周囲の無機物を操作する呪術。リリーが使用。初出は『618.「大人物の愛娘」』
・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて
・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて
・『有翼人』→純白の翼を持つ他種族。別名、恋する天使の翼。種族は男性のみで、性愛を共有財産とする価値観を持つ。年中裸で過ごしている。王都の遥か北西に存在する塔『エデン』で暮らしている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『742.「恋する天使の[検閲削除]」』にて
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて




