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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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824.「百合の泉の満開の中」

 爪先を水に(ひた)すと、一気に目が覚めた。身震いするわたしとは打って変わって、リリーは気持ち良さそうに身体の隅々(すみずみ)を自分の手のひらで(こす)っている。さながら水を塗り込んでいるようだった。


 段々と身体が水温に慣れていく。さて、わたしもリリーに(なら)って身体の汚れを落とそう。


 昨日同様、わたしたちは『骨の揺り籠(カッコー)』付近の泉に来ていた。木々や(こけ)瑞々(みずみず)しい緑に出迎(でむか)えられ、こうして水浴びをしている。


「水場があって助かったわ」


「クロエの言う通りね。どれだけ身体が汚れたとしてもワタクシの高貴(こうき)さは失われないけれど、やっぱり水浴びはいいものだわ」


 リリーは先ほどとは打って変わって上機嫌(じょうきげん)だ。それだけ水浴びが好きなのだろう。まあ、気持ちは分かる。どんな過酷(かこく)な状況にあっても身は清めたいものだ。


「ねえ、クロエ。後ろを向いてくれるかしら?」


「こう?」


 小さな手のひらがわたしの背中に()れ、少しずつ丁寧(ていねい)(こす)っていく。なんとなく意図(いと)(さっ)したわたしは、黙ってされるがままになっていた。


 肩口から肩甲骨(けんこうこつ)、背骨を(くだ)って腰のあたりまで(こす)ると、手のひらが離れた。振り返ると、リリーの背中が見える。


「お返しさせてあげてもよくってよ」


 くすり、と笑ってしまった。「それじゃ、お言葉に甘えて。お姫様の肌を洗えるだなんて光栄だわ」


「ちょっと! 馬鹿にしてるでしょ!?」


滅相(めっそう)もないですぅ」


 リリーは「失礼極まりないわ!」なんて口だけで怒って見せる。わたしの手が触れると、一瞬身体を強張(こわば)らせたが、すぐに脱力した。


 彼女の背中を擦りながら思う。冷たい肌だ。()えているのは水温のせいじゃないことは分かっている。血族(けつぞく)の体温が低いことは常識だから。肌の色と体温を(のぞ)けば、リリーはただの強がりな少女だ。肌は年相応(としそうおう)(なめ)らかさをしている。華奢(きゃしゃ)なのに弱々しく感じないその背は、なんだか性格が(にじ)み出ているようにも感じた。


「ちょっと! 手が止まってるわよ!」


「あ、ごめんごめん」


 色々考えているとつい手元がおろそかになってしまう。


 彼女がしてくれたのと同じように、肩から順番に擦っていく。腰のあたりまで来たところで、不意にリリーの声がした。


「ワタクシ、ここに残るわ」


「……え?」


 どういうことだろう。


「ここで暮らす、って意味じゃなくってよ。貴女(あなた)たちがルドベキアに行ったあと、入れ違いで『緋色(ひいろ)』が襲ってきたときのために残るだけ」


 確かにその可能性はあった。だが『骨の揺り籠(カッコー)』に残留(ざんりゅう)する獣人たちにもリスクはちゃんと伝わっている。キージーが懇切(こんせつ)丁寧に説明していたから。もちろんリリーも老人の説明を聞いていたから分かっているはずだ。


「万が一に備えて、ってこと?」


「それだけじゃないわ」


 彼女はゆっくりと振り返った。大袈裟(おおげさ)な金の巻き髪が揺れ、真剣な顔が表れる。


「信用出来ないのよ。ハックも、あの山羊男も」


 彼女はまだハックのことを許していないのだろう。そしてゲオルグがわたしたちとともに行動することも(こころよ)く思ってはいないわけだ。確かに得体の知れない獣人だし、おまけに妙な魔術ばかりを使う。


「でも、今動かないと『灰銀(はいぎん)の太陽』に勝機(しょうき)はないかもしれない。本隊のメンバーもそれぞれルドベキア目指して進軍してるし……」


 ルドベキアを包囲(ほうい)し、ゾラを疲弊(ひへい)させ、交渉を成立させる。それがハックの(ねら)いだ。『骨の揺り籠(カッコー)』の住民がどれほどの戦力になるか怪しいものだけれど、少なくとも協力者が増えた状況である。動くなら今しかない。


「それは分かってる。だから止めたりなんかしないわ。でも、ワタクシはここに残る。絶対に残る」


 断固とした口調。


 真剣な眼差(まなざ)し。


 どうやらリリーの意志は固いようだった。たぶん彼女は、ルドベキアで起こるであろう戦闘を恐れているわけではない。ほんのわずかでも(しょう)じるリスクを自分の力で防ごうとしているのだ。


 彼女は暴力や、その結果としての死を決して受け入れることが出来ない。それはこれまでの態度から分かっていることだし、ほかならぬわたし自身が、そんな彼女を理解して仲間に引き入れている。


 リリーの肩に触れると、ぴくりと身体が微動(びどう)した。全身が強張(こわば)っているのが分かる。


尊重(そんちょう)するわ。あなたが真剣に考えて決めたことだもの。でも、一緒に残ることが出来ないのは理解して頂戴(ちょうだい)


 ふわり、と彼女の肩が脱力する。「もちろんよ。クロエにはクロエの考えがあるんでしょ」


「ええ。……生きてまた会いましょう」


 ほとんど同時に(うなず)きを()わす。そしてわたしたちは、どちらからでもなくハグをした。人間だの血族だの、そんなことはもはやどうでもいい。冷えた肌と温かい肌。それぞれの体温が混ざり合って、ちょうどのところに落ち着いていく。その感覚がなんだか不思議で、そして嬉しかった。




 おだやかな、ひとときのハグ。それは唐突(とうとつ)な水音と嬌声(きょうせい)に破られた。


「きゃ~! 百合(ゆり)の花が満開~!」


 声に驚いて身を離すと、わたしたちからほんの三メートルの位置に黒髪の女性がいた。頭には珊瑚(さんご)の髪飾り。肌理(きめ)の細かい、陶器(とうき)のような肌。豊満な胸部(きょうぶ)。目元に笑い(じわ)のある、整った顔。彼女は両手で自分の(ほお)を挟み込み、きゃあきゃあと声を上げて身をくねらせている。


 一番の特徴はへその下だ。(あわ)い銀色の鱗が並んでいる。


「人魚……?」


 怪訝(けげん)そうに呟くリリーに、わたしは呆然(ぼうぜん)と返す。「ええ。そうみたいね」


「なんでここに?」


「さあ……」


 どうして人魚がここにいるのか、さっぱり分からない。まあ、水場だからと言えばそれまでだけど。泉の底の部分が深く(えぐ)れており、人ひとり入れそうな穴があるので、おおかたそこからやってきたのだろう。


「ねえ」


 呼びかけても、彼女はちっとも聴こえていないようで、「百合百合~!」なんて恥ずかしそうに頬を赤らめてはしゃいでいる。


 おそるおそる近づき、彼女の二の腕を指先でつついてみた。「人魚さん?」


 するとようやく人魚は自分の世界から返ってきたのか、わたしをきょとんと見つめた。


「なぁに、人間さん」と言ってから、彼女はハッと口元を(おお)った。「もしかしてわたしも百合の世界に……? めくるめく……?」


「よく分からないけど違うわ」


「なんだ~違うんだ~」


 ふにゃり、と人魚の表情が崩れる。牧歌的(ぼっかてき)()みが顔いっぱいに浮かんでいた。ようやく誤解がとけたようでなにより。そもそもなんの誤解だったのやら分からないけど。


「あなた人魚よね。どうしてひとりでここに? メロも近くにいるの?」


「いないよ~。だってえ~わたしぃ~お姉ちゃんに内緒で出かけたからぁ」


 お姉ちゃん?


 ん?


 どういうこと?


「お姉ちゃんってことは……もしかしてメロの妹さん?」


「大正解~。妹のルミナです。お姉ちゃんがいつもお世話になってま~す。ん~? お世話になってるのかな~?」


 先ほど百合だのなんだの叫んでいたときとは打って変わって、極端(きょくたん)におっとりした喋り方だ。見た目もそうだけど、なんだか性格もメロと正反対に見える。


 なんにせよ、ここで人魚に会えたのは幸運だ。現状彼女たちがどうなってるのか聞き出すいい機会(きかい)――。


 隣から自信たっぷりの甲高(かんだか)い声が響く。「オ~ホッホッホ! ワタクシは人呼んで『高貴なる姫君』リリーですわよ! 気軽にリリー様とお呼びなさいな!」


 ……リリー、初対面の相手にはいつもこの調子なんだろうか。ちょっと心配。いや、ちょっとじゃないな。だいぶ心配だ。


「えへへ~、よろしくね~リリーちゃん」


「リリー様!」


「リリーちゃん」


「様!」


「ちゃん」


 そんな具合に二人が平和な争いをしているうちに、もうひとつの異変が泉に(しょう)じた。水底の穴で鱗が光ったのだ。当然ルミナのものではない。その鱗はサッと水面に上がり――。


「ルミナァ!! アンタ、マジでいい加減にしろよ!? ウチがどれだけ心配してるか――あれ? クロエちゃんじゃん。こんなトコでなにしてんの?」


 こっちの台詞だ。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『メロ』→人魚の族長。小麦色の肌を持ち、軽薄な言葉を使う。口癖は「ウケる」。なにも考えていないように見えて、その実周囲をよく観察して行動している。地面を水面のごとく泳ぐ魔術を使用。詳しくは『745.「円卓、またはサラダボウル」』『746.「笑う人魚」』にて


・『ルミナ』→人魚の族長であるメロの妹。メロとは対照的に能天気な性格。オオカミ族に捕まっていたが、クラナッハたちの働きによって救出された。詳しくは『Side Cranach.「内緒話の結末」』『Side Cranach.「姉妹の抱擁、あるいは擬態の動揺」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ゾラ』→別名、『獣化のゾラ』。勇者一行のひとりであり、『緋色の月』のリーダー。獣人(タテガミ族)の長。常に暴力的な雰囲気を醸している。詳しくは『287.「半分の血」』『336.「旅路の果てに」』『702.「緋色のリーダー」』『790.「獣の王」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『人魚』→女性のみの他種族。下半身が魚。可憐さとは裏腹に勝手気ままな種族とされている。『灰銀の太陽』に協力。詳しくは『741.「夜間飛行」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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