816.「地底への闖入者」
もう少しで決定的な和解が得られたはずだった。しかし、その機会は唐突な来訪者に遮られてしまった。
周囲を見回し、サーベルの柄に手をかける。『骨の揺り籠』に降り立ったいくつもの影。五体満足で屈強な身体。そして頭には一様にシンボリックなタテガミが広がっている。
薄靄に包まれた夜の空気を、いくつもの悲鳴が震わした。『骨の揺り籠』の住人にとってタテガミ族――つまりルドベキアの者は恐怖の象徴だ。『異形の穴』という、口減らしを正当化する流れを作ってしまったのが他ならぬルドベキアの獣人である。実態は別として、『骨の揺り籠』で細々と暮らす者にとっては二度と目にしたくない存在だったろう。
タテガミ族がなんのためにここに降り立ったのか。
そんなの決まってる。わたしたちの捜索であり、殲滅のためだ。『緋色の月』として始末しに来たのだろう。
降り立った獣人の数は、およそ二十。決して多くはない。
「ハッハァ!!」
上機嫌な声が頭上でした。見ると、『骨の揺り籠』を囲む壁際の一角にいくつもロープが垂れていて、そのうちのひとつに妙な獣人がぶら下がっていた。声を発したのは彼に間違いない。
そいつは壁を蹴って一気に跳躍し、高台に着地した。
その獣人はタテガミを有していたが、通常のタテガミ族とは見た目が大きく異なっていた。綺麗な茶の斑模様の毛に覆われた体躯はひょろ長い。色素の薄い紫のタテガミ。そして頭には、まるで樹木の枝のような角が一対伸びていた。タテガミを抜きにすればどことなくトナカイに似ている。手足は細いが非力には感じない。力が凝縮しているような雰囲気があった。
「アタリだ! どうだオメェら! オレ様について来て良かったろ? 幸福の源に感謝しな! つまり、オレ様に感謝しろ!」
トナカイじみた獣人は、わたしたちを目の前にしながら意気揚々と仲間に呼びかける。すると、そこここで歓声が湧いた。もちろん、トナカイの仲間の声だ。
「万歳!」
「ドルフ様、万歳!」
「万歳! ドルフ様!」
トナカイはうっとりと瞼を閉じて歓声に聴き入っている。さぞ気分がいいのだろう。敵を前にして随分と余裕なことだ。
サーベルを抜き去る金属音が歓声を裂く。それと同時にトナカイじみた獣人――ドルフという名前なのだろう――は目を開けた。
「物騒だな、『灰銀』ども。だが殺気よりも混乱が強い。怯えてるわけじゃねえなあ? 上手く隠れたのにどうして見つかっちまったのか、それが不思議なんだろお?」
知ったようなことを。
「興味ないわ。あなたたちは『緋色の月』でしょ。おおかた手分けしてわたしたちを探してたのね。それで、あなたたちのグループは『異形の穴』を疑った。単純な答えよ」
こうも早く見つかるとは思っていなかったし、あわよくばこのまま『緋色の月』の追手が来なければいいと願っていた。敵はそう甘くないというわけだ。残念ではあるけれど、気持ちを切り替える必要がある。そして、戦闘状態への推移に関して、こっちは自信を持っている。
「ケッ。可愛くねえ女だ」
「それはどうも――」
言葉と同時に刃を振り下ろす。決して本気ではない。命を奪うのではなく、あくまでも血と体力を奪い、戦意を失わせるための一撃だ。それでも、簡単に対処出来るような威力ではないはず。だからこそ刃が彼の腕に防がれた瞬間、息を呑んだ。
鋼。そんな比喩がよく似合う、硬質な肌。刃がドルフの腕に激突すると同時に響き渡った音も、金属のそれと酷似していた。いつの間にやら、彼の肌に上質な魔力が視えている。身体の奥底に魔力を隠し、それを瞬時に展開したのだろう。
身体硬化の魔術は、ありふれたもののひとつとして王都でも語られている。実際、使い手も少なくない。が、ドルフの魔術展開速度と練度は極めて上質だった。
「血の気の多い女は嫌いじゃねえけどよ、焦って飛び込んでくる馬鹿は好きじゃねえ」
言って、ドルフは刃を大きく弾いた。
わたしに焦りがあったのは事実だ。闖入者がわたしたちだけを標的にするのならそれでいい。けれど彼らはきっと『骨の揺り籠』を放ってはおかないだろう。墓場と同義である『異形の穴』の底で、死んだはずの畸形たちがひっそりと暮らしている。彼らはルドベキアに恨みを持ち、それゆえに『緋色の月』に与することはない。闖入者がそのように判断する可能性を、わたしは高く見積もっていた。だからこそ即座にリーダー格の獣人を倒し、ほかのタテガミ族も打倒しようと考えていたのだ。
「ここはゴミ捨て場だろ? おいおい、どうして仲良く死人どもが暮らしてやがんだ?」
わたしの二撃目をひらりと跳躍してかわし、ドルフは屋根のひとつに降り立った。彼の言葉は止まらない。
「ま、どうでもいいか。おいオメェら! こいつらはひとり残らず死者だ! 土に還してやれ!」
歓声と悲鳴が響き渡る。
ふと谷底へ出る洞窟の方面を見ると、壁際で寝ていたリフの姿はなかった。逃げたわけではない。密集した家屋の屋根――その一角から林檎の樹が覗いている。
タテガミ族の暴力的な咆哮が轟き、悲鳴が数を増していく。そんななか、林檎の樹がぶるりと大きく揺れ――。
「お、おい! なんだあれ!?」
「巨人だ!」
「でも、毛があるぜ?」
「獣人の巨人……?」
タテガミ族の困惑が、怯えた声となって夜に流れた。ドルフもまた、リフを見て目を丸くしている。
「おいおい、おいおいおい。なんだこりゃ? オレ様は化け物退治に来たわけじゃねえっつうの」
当然の反応だ。畸形たちを捨てるための場所――『異形の穴』の底にまさか自分の体躯の何倍もある巨大な獣人がいるとは思わなかったろう。
「おぉぉぉおああぁぁあ!!」
びりびりと肌を震わす叫びが轟いた。それがリフの口から放たれたことは意外でしかない。彼の臆病さをたっぷりと見てきたのだから。
が、彼も闖入者に対して完璧な勇敢さを持っているわけではないことはすぐに分かった。握った拳が不安定にガクガクと震えていたのだ。タテガミ族たちにとっては武者震いに見えるかもしれないけれど、リフが心の底から怯えていることは確かだった。彼の頭上では、木を支えにキージーが立っている。
「侵入者よ! よく聞けい!」
老いた一喝が飛ぶ。タテガミ族は一様にリフと、彼の頭に立つキージーを見上げてぽかんと口を開けていた。ドルフも例外ではない。
「ここで見たものはすべて忘れ、地上に戻るのじゃ。さもなくば、お前さんがたは命を無駄に喪うこととなる。目的を諦めるか、それとも命を諦めるかじゃ。答えは出ておるじゃろう?」
キージーが言い終わるか否かといったタイミングで、ドルフに変化があった。彼はぐっと身を屈め――。
ドルフが立っていた屋根が、衝撃で木片を散らす。そこに彼の姿はなく、気が付くとその身はリフの鼻先へ迫っていた。拳を弓なりに引いた姿勢で。
「オレ様に命令すんじゃねえ!!」
強烈な打撃音。そして空震。
顔面を強打されたリフが地面へと崩れ落ちるのが見えた。やがて巨大な転倒音ののち、屋根に着地したドルフが鬨の声を上げた。
長く間延びした遠吠え。それがタテガミ族にも伝播していく。
まずい。非常にまずい。
「オメェらあ! こいつらはオレ様を侮った! 死をもって償いとする! 蹂躙しろ!!」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




