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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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815.「作戦続行」

 話を終えたキージーは集落へと戻っていった。わたしも戻ろうかと思ったのだけれど、そうするわけにもいかない。なぜならゲオルグが『しばし休憩します』と空中に金文字を(えが)いたからである。


 ゲオルグは依然(いぜん)として正体不明の獣人だ。単独行動を許すわけにはいかない。ゆえにわたしは、岩肌に背をもたれてぼんやりと薄靄(うすもや)の景色を(なが)めている。


貴女(あなた)は戻らないのですか?』


 きらきらと空中に浮かぶ文字。それを(えが)いた張本人(ちょうほんにん)である山羊顔(やぎがお)の獣人は、くすりとも笑っていなかった。徹底(てってい)した無表情である。そもそも山羊の表情なんてわたしには読み切れないけど。


「もうしばらくここにいるわ。あなたが戻るなら、わたしもそうするけど」


『私に()れたんですか?』


 金文字とゲオルグの顔を交互に見る。自分の眉間(みけん)にほんのりと力が入っている自覚はあった。


「そんなわけないでしょ」


『残念』


 ゲオルグは肩を(すく)め、空中の文字を払った。魔力の(つぶ)(きら)びやかに散っていく。


 谷を渡る微風(びふう)が、停滞(ていたい)した空気を()き混ぜていった。『骨の揺り籠(カッコー)』から届く物音はほとんどない。途方(とほう)もなく静かで、けれど寂しさは感じなかった。ここには(おだ)やかな死がある。あるいは打ちひしがれ、寄り()い合う小さな生命がある。『骨の揺り籠(カッコー)』の獣人たちを想うと、先ほどのキージーの話をどうしても考えてしまう。そしてわたしたちの――『灰銀(はいぎん)の太陽』の――ことを対岸に浮かべてしまう。双方(そうほう)の生き方を比較したところで(むな)しいだけなのは分かっていたけれど。


『夜が来ますね。静かな夜になればいいのですが』


「ええ、同感よ」


貴女(あなた)にとっても安らかな夜になればいいですね』


 わたしにとって? なんだか随分(ずいぶん)とおかしなことを言う人だ。わたしはどちらかと言えば、夜を静かに維持(いじ)する側だ。キージーの話を聞く前から決めていたことだけれど、『骨の揺り籠(カッコー)』にいる(あいだ)はわたしも夜間防衛に参加するつもりだ。


「わたしは魔物と戦うわ。リフと一緒に。どちらかと言うと、静かな夜を守る側になるのよ。もちろん魔物があんまり出ないに越したことはないけど、そんな期待をしたってがっかりするだけだわ」


『リアリストみたいなことをおっしゃいますね。私の目にはそんな性格には見えませんが』


「じゃあ、どういう性格に見えるのよ」


無茶(むちゃ)無謀(むぼう)がお好きな――』


 金文字が中途半端に()える。わたしの意識もまた、文字から離れていた。『骨の揺り籠(カッコー)』へと続く短い洞窟を見つめ、息を()む。


「行きましょう」


 ゲオルグに呼びかけると、彼はすんなりと(うなず)きを返した。


 集落の方角から甲高(かんだか)い叫びがしたのだ。それは(まぎ)れもなくリリーの声で、しかも普通ではなかった。怒りを多量に(ふく)んだ怒声(どせい)である。




 高台は(じつ)に妙な状況だった。リリーとハックが、立ち上がって(にら)み合っているのだ。ジェニーはというと、彼らの(あいだ)できょときょとと目を泳がせている。


「な――」


 なにがあったの? そう聞こうとしたわたしの声は、リリーの静かな――しかし怒りの(こも)った――声に(はじ)かれた。


「どういうことよ!? 説明しなさいよ!!」と、リリー。


「さっき言った通りです。それ以上の意図(いと)なんてありませんです」とハック。


 周囲の家々から不安げな、あるいは好奇心(こうきしん)旺盛(おうせい)な顔が(のぞ)いている。


「ねえ、二人とも落ち着いて」そう呼びかけてから、ふと、リリーの手になにかが(にぎ)られているのに気付いた。「リリー、それは?」


 彼女の小さな手には一枚の紙が握られていた。ぐしゃり、と。なんだかものすごく嫌な予感がする。


 リリーは紙を握り潰した(こぶし)を、苛々(いらいら)とこちらに突き出した。「クロエも見なさいよ」


 くしゃくしゃになった紙を、彼女の拳からするすると引き抜く。振り返ると、背後でゲオルグが興味深げにわたしを覗き込んでいた。いや、厳密(げんみつ)には『共益紙(きょうえきし)』を。


「ごめんなさい、ゲオルグ。ちょっと離れててもらえるかしら?」


 すると彼は肩を(すく)め、リリーの背後へと移動した。なんで女性の背後に立とうとするのやら……まあ、いっか。


 紙を広げ、そこに書かれた文字に目を落とすと――。


「え……」


 紙面(しめん)に並んだ端正(たんせい)な文字を、何度か目で往復する。(のど)が急激に乾いていき、呼吸が乱れるのが自分でも分かった。


『交渉失敗。次の作戦は追って言い渡す。ハックより』

『本隊を二分割(にぶんかつ)する。族長を(ふく)むグループはルドベキアへ侵攻。再度交渉を目指す。族長を含まないグループは敵とぶつかり、可能な限り捕縛されたし。ハックより』


 最初のふたつは、ハックからほかのメンバーに向けたメッセージである。作戦失敗。そして次なる作戦へ。


 作戦の内容には明らかに問題があるように、わたしには思えた。


 二分割(にぶんかつ)? なぜ? ルドベキアへの侵攻? 『緋色(ひいろ)の月』の捕縛?


 どのような行動をするにせよ、こちらの戦力を分断(ぶんだん)して勝てる相手ではない。そんなことくらいハックにも理解出来ているだろうに。


 紙面(しめん)を追う目が、次の項目(こうもく)で止まった。


『捕縛組、敵襲によりほぼ全滅。生き残ったのはアレクほか数名。取り急ぎ報告まで。 アレクより。ゴーシュ代筆(だいひつ)


 どくり、と心臓が()ねる。絶対に起こってほしくない悲劇が現実に展開されていた。ほんの短い一行に()められた苦痛が、筆致(ひっち)から(ただよ)ってくるようだった。筆圧(ひつあつ)は強く、文字は鋭角(えいかく)


 つい先ほど自分の脳裏(のうり)()けた『実現してほしくない光景』が、ほんのわずかな文字に凝縮(ぎょうしゅく)されている。


 目は止まらなかった。次の――そして最後の――項目が強烈な引力でわたしの視線を奪う。


『作戦続行。 ハックより』


 ぐしゃり、と手元で紙面(しめん)(ゆが)む。


 顔を上げると、ハックと視線が交差(こうさ)した。


 まばたきを二度。瞳孔(どうこう)(かす)かな震え。寂しげな(うる)み。ハックの瞳は、尾根(おね)を出発した朝に見たそれと酷似(こくじ)していた。涙がそこにないだけで、(はかな)さが瞳に貼り付いている。


 口にしようとした言葉が次々と撤退(てったい)していく。残ったのはぎこちない理性(りせい)だった。


「ねえ、ハック。これからどうなるか、あなたはちゃんと予測出来てるの?」


「出来てるです」


 思いのほか彼はすんなりと返事をした。迷いはない。ただ、表情に変化もなかった。瞳もまったく変わらない。


「こうなることは分かってたの?」


 先ほどと同じだけの理性を()めてたずねる。(さいわ)い、わたしの口調はそう強く反響しなかった。


 一秒、二秒。沈黙が流れていく。


 彼の()わりに答えたのはリリーだった。


「想定通りなんでしょ!! さっきワタクシにそう言ったじゃない!」


 彼女はひどく感情的になっているようだった。でも、気持ちは分かる。『灰銀の太陽』の半数が『緋色の月』とぶつかり、そして命を失う。それが既定(きてい)路線(ろせん)だなんて言われたら激昂(げっこう)して当然だ。たとえ『緋色の月』を弱体化させるためだとしても、あまりに闇雲(やみくも)なやり方に見える。それでどれほどの成果(せいか)が得られたかは『共益紙』に(しる)されていないし、ハックの返事もそれを置き去りにしている。


『なにがあったかは(ぞん)じませんが、子供を()めるのは良くないです』


 空中に金文字が浮かぶ。いつの()にかゲオルグは、リリーをわしゃわしゃと()でていた。


(さわ)らないでよ、変態!!」


 彼女は容赦(ようしゃ)なくゲオルグの(すね)を蹴り、腹に拳を入れた。それでも山羊顔の男は彼女の頭を撫で続けている。攻撃されるたびに、ぶるん、と身体が大きく震えるのだがやめなかった。


 ハックへと視線を移すと、彼は口を真一文字(まいちもんじ)に結んで(うつむ)いていた。


 (なさ)けない。素直(すなお)にそう思った。ハックが、じゃない。わたしがだ。


「ハック」彼へと一歩踏み出し、身を(かが)めて視線を合わせた。「ひとりで(かか)え込まないで」


 彼の瞳がわたしを(のぞ)き込み、それからすぐに()らされた。リリーの暴力の音もやんでいる。たぶん、わたしとハックを凝視(ぎょうし)しているのだろう。(いぶか)しげに。


「あなたは(かしこ)いし、決断力もある。でも、間違うことだってあるわ。わたしだってしょっちゅう間違って、そのたびにたしなめられたりなんかして……そうやって進んできたから」


 がりがりに()せた、癖毛(くせげ)の後ろ姿が脳裏(のうり)に浮かぶ。わたしはいまだに間違えてばかりだけれど、(あき)れながらも旅路(たびじ)に付き合ってくれた人がいた。あくまでも利害(りがい)一致(いっち)していたからだけど、それでもわたしは救われたし、たぶん今も救われている。誰かにこんなことを言えるようになったのは、その人――ヨハンのおかげなのだから。


 ハックの瞳が揺れ、口が激しく震える。そして――。


 いくつもの影が、高台の周囲に落下した。

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『ゴーシュ』→『灰銀の太陽』に所属する半馬人。清き魂は死を通過し、再び清き肉体に宿るというイデオロギーを信奉している。規則や使命を重んじ、そこから逸脱する発言や行為には強い嫌悪を示す。要するに四角四面な性格。言葉遣いは丁寧。腕を盾に変える魔術を使用。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『アレク』→青みを帯びた緑の鱗を持つ竜人。興奮すると鱗の色が変化する。サフィーロ同様、次期族長候補であり派閥を形成している。詳しくは『685.「開廷」』にて


・『共益紙(きょうえきし)』→書かれた内容を共有する紙片。詳しくは『625.「灰銀の黎明」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて

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