812.「骨の地の食事」
『大変ご立派な身体をお持ちですね、リフさんは』
空中に描かれた金文字を目に留め、リフはとんでもないと言わんばかりにぶんぶんと首を横に振った。絶壁を背に縮こまって三角座りをした彼は、それでもあまりに巨大だ。手にはちんまりした器が摘ままれているけれど、それさえ大鍋ほどの大きさはある。
「立派だなんて、そんなことないよ」
そう言ってリフは大鍋を掲げ、なかのスープを目を細めて啜った。彼の食事にペースを合わせるように、わたしとゲオルグも器に入った液体を喉に流し込む。滋味深いと言えば聞こえはいいが、ひどく薄味のスープだった。ほんのりと苦味と臭味が感じられる程度である。
『骨の揺り籠』での食事は一日一度の配給だけ。それも、ほとんど具のない薄味のスープである。鳥や獣が取れればスープの中身も多少豊かにはなるけれど、それでも住民全員を満腹に出来るほどの食事は提供出来ないらしい。配給に並んでいる際にほかの住民に聞いた話である。
ラップの家を出てから、ゲオルグは散歩したいと主張した。そして歩いているうちに配給の列を見つけ、一緒に並んだのである。夜も更けてきたからか、わたしたちが最後尾だった。料理番の獣人はわたしたちまでスープを配り終えると、「これで全員だなー? いいなー? 誰もいないなー? もらいそびれてないなー?」なんて口にして、急におたまでカンカンと鍋を打ち出したのである。けたたましい音のあとに、料理小屋の上からリフが姿を見せ、その長い腕を料理番へと伸ばした。大きなネズミとも呼べそうな見た目の料理番は、大鍋をリフの指に摘まませると「落とすなよなー? たんと食べろよなー? お前はおっきいんだからなー?」なんて言って満足そうに顔を綻ばせた。
リフに興味を抱いたのだろう、ゲオルグは彼のところまで行って一緒に食事をしようと提案したのだ。かくしてわたしたちは料理小屋の真裏にある、柵で仕切られた広場へと足を踏み入れたのである。広場といってもリフがようやく胡坐をかくことが出来る程度の大きさでしかない。柵のすぐ横には峡谷へ出る巨大な横穴が空いていて、穴からは真っ直ぐ高台まで通りが続いている。実質、リフが移動出来るのは高台と峡谷と、この柵の内側くらいなものだ。あとは家屋がひしめき合っていて、彼がうっかり足を突こうものなら大惨事である。
大鍋の中身を平らげたリフは、にんまりと頬をゆるめた。
「リフ。それだけで大丈夫なの?」
大鍋とはいえ、彼の身体からすればあまりに少ないように見えた。人間の食事に換算すれば、ほんのひと口程度にしかならない。
「大丈夫だよぉ。身体が丈夫だから」
リフは困り顔を浮かべ、遠慮がちに言う。
食事の量については同じ疑問を抱いていたのか、ゲオルグが金文字を描く。
『いつもそれしか食べないのですか?』
「うん。いつもそう」
『お腹が減りませんか? 失礼ながら、貴方にとって充分な量とは思えません。いつか倒れてしまいますよ?』
「で、でも、みんなも同じだから……」
『骨の揺り籠』の食糧事情はなんとなく想像出来る。峡谷を歩いているなかで、動植物の姿はほとんど見なかった。水場にわずかな緑があるくらいなものだ。もちろん、わたしの知らない食料調達のための場所があるのかもしれないけど、食事の質や頻度を鑑みるに、それも皆無に等しいのだろうと思う。
「大変な土地なのね」
本心が、ほとんど意識しないまま喉を通過して声となった。その他人事じみた響きを、我ながら苦々しく感じてしまう。でも、これでいいのかもしれない。わたしたちはこの地に永住するつもりはないのだ。過ぎ行く者の情けほど、そこに住まう人々の苦痛を喚起するものはない。だから、通り一遍の平凡な感想くらいがちょうどいいのだと、そう思うことにした。
「うん」リフは目を伏せ、空っぽになった大鍋をじっと見つめた。「だから、たくさん死んじゃうんだ」
なにか返そうと口を開いたけれど、言うべき言葉――あるいは、口にしていい言葉――が思い浮かぶことはなかった。ゆるやかに、自然と口が閉じていく。
死。
それはこの地では実に身近な現象なのだろう。日々訪れる終わりを重く捉えていないことは、リフの口調から理解出来た。特別な想いの籠もっていない『死』という語は、それ自体が悲劇的な色合いを帯びている。
『住民が減ると、きっと子供が育つんでしょうね』
宙に浮かんだゲオルグの文字。その意味がちっとも分からなかった。ひとりあたりの配給の量が多くなるとか、そんなことだろうか。それでどうして子供がすくすく育つというのだろう。
「どういうこと?」
『亡骸は食料になるのですよ。普段のスープとは比べ物にならないくらい栄養価の高いご馳走にありつけるというわけです』
自分の眉間に皺が寄るのが分かった。それは……あまりに露骨で邪すぎる考えではないだろうか。
が、リフはすんなりと頷いた。
「そう。でも、誰かを殺したりなんかしない。自然に死んだら、それが、あの、その、ええと……」
リフは言葉が出て来ないのか、きょときょとと目を泳がせ、口を何度も開閉した。背後からの足音に気付いたのは、そのときのことである。
「死者は生者の糧となる。骨は、夜を乗り切るための武器や、貴重な建材となってわしらの生を安らかなものとする。ゆえに、この地を『骨の揺り籠』と呼ぶ」
振り返ると、キージーは無表情で柵の向こうに佇んでいた。
『これはこれは長老殿。ご機嫌麗しゅう』
「リフよ。そろそろ夜に備えて一睡するのじゃ」
金文字を一瞥し、柔らかい口調で言う。
「そ、そうだね長老。眠るよ。ちゃんと眠る。魔物と戦わなきゃだから……」
「いい子じゃ。しっかり休むんじゃよ。さて、ゲオルグとクロエ、お前さんがたはわしについてきなさい」
そう言い残して、キージーは踵を返した。足の向かう先は大穴――峡谷の方角である。
ぽかんとその背を眺めていると、ゲオルグが彼に続いた。
仕方ない。わたしも行くしかないか。
陽が落ちた峡谷は灰色の靄に包まれていた。『骨の揺り籠』から出てすぐのところだというのに、ほとんどなにも聴こえない。どうやら音の通り具合が違うらしく、集落で交わされるささやかな会話や物音はよほど大きくない限り峡谷までは届かないようだ。
『骨の揺り籠』を出てすぐにキージーは足を止め「今日は靄が濃いのう」と呟いた。返事を求めないその言葉は、峡谷の景色と相まってひどく寂しげに流れた。
「それで、キージー。わたしたちになにか用かしら?」
「なに、大したことじゃないわい」そう前置きをして、老人はわたしたちに向き直った。「あまりリフにかまってくれるな。あれは感じやすい奴じゃからな」
リフの一挙手一投足は臆病さに溢れている。それは誰が見ても明らかだ。あまり積極的にコミュニケーションを取ろうとしても却って負担になるかもしれないというのも分かる。しかしながら、キージーの言葉には安易な首肯を妨げる含みがあるように思えた。
『それは失礼しました。なにぶん珍しい見た目をしておりますから、ついつい好奇心が刺激されてしまいましてね』
キージーの瞳が鋭利に細まり、ゲオルグへと注がれた。
『そう睨まないでください。私はあまり嘘をつきたくないのですよ。ハンデを負った者同士、出来ることなら率直に言葉を交わしたいと思っているだけです。他意はありません』
ゲオルグの言葉が真実かどうかはさておき、彼の紡ぐ露骨な言い回しを肯定することは出来ない。しかしながら、その内容にはいくらか共感出来る部分もあった。直視したくないことではあるけれど。
『リフさんは明らかにほかの住民と違いますね。いったいどんな出自なのです? 今後ともに生きていく仲間ですから、ぜひとも嘘偽りない真実を知りたいものです』
キージーはじっと金色の文字を見つめていた。十秒ほど経過してそれらが金の粒子となって霧散したあとも、じっと瞳を動かすことなく佇んでいた。
やがてゆっくりと、諦めたように、その口が開かれる。
「リフは、獣人と魔物の混血じゃ」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。




