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花嫁騎士 ~勇者を寝取られたわたしは魔王の城を目指す~  作者: クラン
第三章 第五話「緋色の月~③骨の揺り籠~」
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810.「語る金文字」

『私はゲオルグと(もう)します。皆様と同じく、人でも血族(けつぞく)でもない存在です』


『きっとご存知(ぞんじ)ないでしょうが、黒山羊族(バフォメット)という(しゅ)でございます』


『私たち黒山羊族(バフォメット)は、ラガニアの奥地で血族とともに暮らしております』


『なかなか文化的な土地でして、ゆえにこのような格好(かっこう)をしているのです』


 白手袋の(えが)く金文字。それらは十秒ほど空中に浮かんでから、(にぶ)明滅(めいめつ)して霧散(むさん)した。次から次へと(つづ)られては消えていく言葉の数々を見つめて、わたしはそっと息をつく。


 空中に文字を描き出す魔術は知っている。確かテレジアがその魔術を使ったっけ。


 脳裏(のうり)に浮かぶ寂しげな微笑(びしょう)。ガラス細工(ざいく)のように繊細(せんさい)な指先が(ちゅう)()でるその(さま)。月光色の長髪が黒の修道衣に()えて、ひどく美しい。記憶のなかの彼女を見つめていると、心臓のあたりにぎゅっと()されるような痛みを覚えた。もちろん、現実の痛みではない。追憶(ついおく)のもたらす苦々(にがにが)しい痛痒(つうよう)だ。


 ……ああ、いけない。記憶に(ひた)ってる場合じゃない。


 小さく首を横に振る。すると、記憶の肖像(しょうぞう)は意識の網目(あみめ)をこぼれていった。


『こうして文字を綴るのには理由があります』


 ゲオルグと名乗った山羊顔の男は、相変わらず優雅(ゆうが)筆致(ひっち)で金色の文字を浮かべる。


『私は声を出せないのです。生まれながら』


 手をとめて、ゲオルグは自分の(のど)()める仕草(しぐさ)をして見せた。


 声が出せないからこそ、彼は文字を浮かべる魔術を体得したのだろう。なんだか胡散(うさん)(くさ)い見た目だから鵜呑(うの)みには出来ないけど。


「ゲオルグって言ったかしら?」


 リリーは先ほどよりはいくらか得意気な調子を取り戻していた。ようやく山羊頭の男が動き出したのでホッとしたのだろう。彼の身を(あん)じていたわけではなく、生物らしい動きをしているので多少なりとも不気味さが軽減したという意味で。


 ゲオルグはじっとリリーを見つめた。先ほどよりもずっと(おだ)やかな眼差(まなざ)しで。山羊顔だからか、(まご)を見守る祖父母のような雰囲気があった。


「ワタクシは人呼んで『高貴(こうき)なる姫君』――リリーよ。ごきげんよう」


 髪を()き上げて言い(はな)つ彼女は、いかにも自信たっぷりな様子だった。たぶん、先ほどまでの(おび)えがすっかり反転したに違いない。ゲオルグは依然(いぜん)として正体不明の他種族(たしゅぞく)だけれど、今のうちに優位に立っておこうという計算があるのかもしれない。いずれにせよ、健気(けなげ)なものだ。


 ゲオルグは返事を(つむ)ぐことなく、すいっとリリーの目の前に進んだ。


 リリーは「な、なによ」と気圧(けお)されたように返す。すると――。


「え、や、やめ、やめにゃさいよっ! 変態!」


 わしゃわしゃわしゃ、と髪を撫でられ、顔を()まれるリリー。ゲオルグの手付きに敵意は感じない。それどころか、(いと)しさすらある。


 ……なんだろう。子供が好きなんだろうか。いや、でも、リリーはそこまで幼くもないし、だとするとやっぱりアレだろうか。ロリコンとかいう……。


「ちょ、ホント、やめなさいよ! ちょっと!」


 ぼす、と重たい音が広がる。お腹に膝蹴(ひざげ)りを受けたゲオルグがよろよろと後退(こうたい)した。そして元の位置に戻ると、背筋(せすじ)をピンと伸ばす。


 白手袋の先が宙を()いた。


『私がここを訪れた理由をお伝えしましょう』


 あ、なにもなかったことにしようとしてる。


 さすがにリリーが気の毒に思えたけれど、ゲオルグの綴る言葉に吸い寄せられてしまう。黒山羊族(バフォメット)なる聞いたこともない種族を名乗る彼が、どうして樹海に足を踏み入れたのか。それもこのタイミングで。……どうしたって偶然には思えない。


「ぜひとも聞かせていただきたいものじゃな」と、キージー。


『先ほど申し上げた通り、私は声を喪失(そうしつ)しております。誤解(ごかい)なきように説明しますと、黒山羊族(バフォメット)がすべて声を持たないわけではございません。声は所有していて(しか)るべきものなのです。私には当たり前のものが欠如(けつじょ)しているのですよ。皆様がたと同じように』


 散りゆく金文字の先で、ゲオルグは目を(ほそ)めた。


『私は排斥(はいせき)されたのです。特に理由もなく。いえ、声がないというだけで立派な理由になるのかもしれませんね』


 彼の指先は一拍(いっぱく)置いて、再び文字を(つむ)ぐ。


『私はあてもなく旅をしてきました。この樹海まではるばると。特に目的地があったというわけではありません。さして深く考えることもなく足を動かしていたらたどり着いたというだけのことですから』


「して、どうして『異形(いぎょう)の穴』に? 地上の者どもに追われでもしたのか?」


『いいえ。私は(みずか)ら望んで落ちたのです』


 望んで?


 思わず首を(かし)げると、ゲオルグと目が合った。山羊の目が線のように細くなる。不意に彼はするするとわたしの前まで来て――。


「んえ!?」


 頭に伝わった感触に、我ながらなんとも()の抜けた声を(はっ)してしまった。いや、でも、わけが分からなかったのだ。人間、不意の出来事には妙な反応を示してしまうものである。


 ゲオルグは三秒ほどわたしの頭を()でると、スタスタと元の位置まで戻っていった。


『そう、望んでここまで来たのです』


「え、ちょっと。なんで撫でたの?」


『樹海に来た私は、身を隠しながら日々を過ごしていました』


「いや、無視しないで頂戴(ちょうだい)


『ある日私は獣人の会話を小耳に挟んだのです。(いわ)く、畸形(きけい)の捨てられる穴があると』


 うん、何事(なにごと)もなかったことにしたいようだな。まったく。人にちょっかいを出しておいて無視はさすがにひどいじゃないか。


 とまあ、モヤモヤした気持ちを(かか)えながらも目の前の男に集中した。しっかり意識していないと金文字はすぐに消えてしまうから。


(じつ)に素晴らしい場所だと思ったのです。ぜひ私も仲間入りしたいと。そして勇気を出して飛び込んだ次第(しだい)です』


 最後の一文字を書き終えると、ゲオルグは胸に手を当てて一礼をした。これで説明は終わり、といった具合に。


 正直、なんとも眉唾(まゆつば)な話である。ハッキリとした矛盾は見えないものの、頭のなかで違和感が(ふく)れ上がっている。どうしてこのタイミングなのか。どうして無傷なのか。さっきの硬直はいったいなんだったのか……。聞きたいことはいくらでもあるのに、言葉にするのは躊躇(ためら)われた。頭を撫でられて警戒心がさらに強まったからじゃない。わたしがどんな疑問を投げかけようとも、素直に答えてくれないような気がしたのだ。もし彼が『灰銀(はいぎん)の太陽』の敵――すなわち『緋色(ひいろ)の月』のメンバーか、あるいはその回し者なら、言葉を(にご)されるだけだ。問答(もんどう)自体が無意味になってしまう。


「経緯は分かりましたです」とハックが(はっ)する。「つまり貴方(あなた)は『骨の揺り籠(カッコー)』の一員になるためにここまでやって来たと、そういうことですね?」


 ゲオルグはゆっくりと(うなず)き、ニンマリと口の(はし)を持ち上げた。なんとも不気味な笑顔である。なかなかどうして形容(けいよう)しがたい異物感(いぶつかん)がある。その()みのせいか、ゲオルグの言葉は一切の信憑性(しんぴょうせい)を失っているように思えた。


「よかろう。お前さんがわしらの仲間に入りたいと言うなら、喜んで受け入れよう」


 そう簡単に決めていいことなんだろうか。いや、これまでは被害者しか『骨の揺り籠(カッコー)』に落ちてこなかったんだろうけど、ゲオルグは例外だ。自分自身の意志で落ちたのである。


 とはいえ、長であるキージーの判断だ。部外者のわたしがどうこう出来るものではない。


 まあ、少なくとも数日程度様子を見れば、彼が本当に『緋色の月』と繋がっていないのかどうかは分かりそうだ。たとえば交信魔術を使っていたりとか。なんにせよ、偵察(ていさつ)目的ならどこかでボロを出すはずである。


 そんな気持ちでじっと(なが)めていたら、またしても撫でられた。ふわりと。ちょっとだけ。


「だから、なんで撫でるのよ」


 黒山羊はなんとも気さくに肩を(すく)めて見せた。そして空中に文字を描く。


『ともかく、よろしくお願いします。ぜひとも皆様と昵懇(じっこん)になりたいものですね』

発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。

登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。

なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。



・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて


・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊(ポルターガイスト)』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて


・『教祖テレジア』→勇者一行のひとり。山頂の街『キュラス』を牛耳る女性。奇跡と崇められる治癒魔術を使う。魔王の血を受けており、死後、『黒の血族』として第二の生命を得たが、クロエに討伐された。詳しくは『288.「治癒魔術師 ~反撃の第一歩~」』『第二章 第三話「フロントライン~①頂の街の聖女~」』にて


・『黒の血族』→魔物の祖と言われる一族。老いることはないとされている。詳しくは『90.「黒の血族」』にて


・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて


・『灰銀の太陽』→半馬人を中心にして形成された、他種族混合の組織。『緋色の月』に対抗するべく戦力を増やしている。詳しくは『第三章 第一話「灰銀の太陽」』にて


・『ラガニア』→かつてはグレキランス同様に栄えていた地域。今は魔物の跋扈する土地と化している。魔王の城は元々ラガニアの王城だった。初出は『幕間.「魔王の城~書斎~」』

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