807.「一度死んだ者たち」
「お前さんがたのことはラップから聞いておる。ルドベキアのタテガミども……『緋色の月』と言ったかいの。そいつらと敵対しておると」
『骨の揺り籠』の長老キージーは、全員が起き上がるのを確認してから語りはじめた。
「まず、わしらは『緋色の月』などという連中とはなんのかかわりもない。もっと厳密に言うならば、地上のあらゆる物事と無関係に生きておる」
老人は言葉を切り、ふぅ、と息をついた。彼を頭に乗せた巨大な獣人リフは、先ほどまでとは打って変わって大人しくしている。身じろぎひとつせず、不安げな瞳をふらふらと泳がせているだけだ。
「世捨て人みたいなものかしら?」
そうたずねてから、素早く周囲の景色――高台の下にひしめき合う不揃いな家屋を見やる。リフが号泣しているときからいくつもの視線があったわけだけれど、今や『骨の揺り籠』の住人は遠巻きにその姿を晒していた。誰もがぼさぼさの毛をした獣人ばかりで、しかもそれぞれ姿が違っている。オオカミ族やキツネ族らしき凛々しい外観の者もいれば、タヌキに似た顔立ちのちんまりした獣人もいた。外見的な特徴はそれだけではない。片腕のないものや、異様に背の低い者、あるいは身体に比して頭部が大きすぎる者や逆に小さすぎる者もいた。
世捨て人。さして考えずに放り投げた自分の言葉が正しくなかったことを悟るのに、そう長い時間は必要なかった。
「察したかいの」キージーは目を細める。「わしらは世捨て人なんぞではない。逆じゃ。捨てたのではなく、捨てられたんじゃ」
捨てられた。頭のなかで老いた声を反芻する。
「畸形だからですか」
ハックが無表情に言い放つ。そこには同情も蔑視もなかった。ただ淡々と事実を口にしただけ――そんな具合だ。
キージーは短く頷く。そしてゆっくりと腕を掲げ、指先を真っ直ぐ頭上に向けた。蜘蛛の巣状に張りめぐらされた糸と、円く切り取られた靄が、その先に存在する。
「『異形の穴』と呼ばれる場所があっての……。狩りの能力を持たない畸形の同胞がそこに投げ込まれるんじゃ。赤子や、わしのような老いさらばえた者も例外ではない。その風習をはじめたのがルドベキアじゃが、今ではどこの集落でもやっておる」
老人は腕を下ろし、目をしばたたかせる。
彼の口にした『異形の穴』がどこにあるのかは明白だった。家屋ひしめくこの空間は、周囲を崖に円く囲まれている。わたしたちの遥か頭上には、きっと巨大な穴が空いていることだろう。
王都の文献にも似たような風習の話があったのを覚えている。もちろん、人間の社会での話だ。極端に貧しい村では、養える人数がおおむね決まっている。そんな土地では、若者をはじめとする労働力は大変重宝されるものだが、身体的理由から労働に向かない者は淘汰される。人身御供の名目で土地神に捧げることがほとんどだ。
たとえば、とある村では人身御供として生きたまま村の外の木に括りつけておいたりする。翌日には生贄の姿はすっかり消えていることがほとんど。村人は『神様の元へ旅立った』などと口々に言うのだが、なんのことはない、木に括られた者は魔物に襲われるだけのことだ。
そんな露骨な口減らしを礼賛する気にはなれないけど、そうせざるを得ないだけの環境条件があるのも確かなのである。
獣人たちの集落もその点は変わらないというわけだ。
「穴に落ちても命が残っていた者どもが寄り集まって、棄民の集落――『骨の揺り籠』を作ったんじゃ。穴に落とされた哀れな同胞を救うために、ほれ、ネットも架けておる。むろん、助かる割合は低いがの」
老人は頭上を顎でしゃくった。
蜘蛛の巣状の糸は、そんな理由で架けてあったのか。ところどころ粗くはあるが、確かに獣人を受け止められる程度には網目が細かい。助かる割合が低いというのは、たぶん、地上からネットまでの距離があまりに離れすぎているからだろう。打ちどころが良くなければ生存出来ない程度には深いのだろう、ここは。
「地上の者どもは、わしらがこうして生きていることなどまったく知らんじゃろうし、興味もなかろう。じゃが、わしらのほうではそうは思っておらん。地上の同胞を少なからず憎く思っておる。自分のことを『必要な犠牲』だなどと割り切れる殊勝な聖人はそうおらんからな」
ゆえに、風習の先駆けとなったルドベキアのタテガミ族を――否、厳密には地上で暮らす五体満足な獣人すべてに恐怖し、同時に憎悪している。そんなところだろう。
「だからラップはあんなに怯えてたのね……」
「ラップは特別じゃ。あやつは最近ここに落ちてきたからな。まだ傷が塞がっておらん」
脚のことだろうか、と思ったけれど違った。キージーはポンポンと自分の胸を軽く叩いて見せる。
ああ、そういうこと。
要するに、捨てられた記憶がまだ新鮮であるがゆえに、地上の獣人に対する想いも色濃く残っているというわけだ。ルドベキアという語に過剰なまでの反応を見せたのも仕方のない話である。
知らなかったとはいえ、問い詰めすぎちゃったな。
『二度も死ぬなんて』。
昨晩ラップが震えながら吐き出した言葉だ。『骨の揺り籠』の住民が、死を間近に経験したであろうことは考えるまでもない。それを一度目の死、といった具合に捉えてしまうのも分かる。
「ともかく、安心しましたです」とハックが言葉を挟む。「『骨の揺り籠』はルドベキアと関係性がないことはもちろん、存在すら知られていないということですね」
『緋色の月』との繋がりがない点は、わたしも素直に安堵した。これで『骨の揺り籠』の住民に対して物騒な働きかけをしなければならなくなる可能性が消えたわけだ。彼らが平和に細々と生きているのなら、別段こちらとしてもなにかを強制するような必要はないし。
けど――。
「そういえば、どうしてわたしたちを……えと……眠らせたの?」
ピクリ、とリフが耳を立てた。その瞳がぷるぷると微動している。自分が責められるとばかり思っているのかもしれない。そんなつもりはないんだけどな……。
キージーが、リフの頭に生えた木を優しく撫でた。
「リフよ、そうビクビクするでない。お前さんはなにも悪くないんじゃ」そう慰めてから、キージーは打って変わって真剣な表情でわたしたちを見下ろした。「お前さんがた旅の者を捨て置くわけにはいかなかったんじゃ。ラップの話を聞く限り、地上の獣人と繋がりがあるようじゃからな……。どんな経緯でわしらの存在が明るみに出るか分かったもんじゃないからのう。ともかくも眠らせて……『骨の揺り籠』でじっくり話を聞こうとしたんじゃ」
キージーはほんの少し口ごもった。
『骨の揺り籠』に運び入れてからどうするか。そこには多少の嘘が含まれている気がする。決してポジティブでないなにかが影を落としているような、そんな直感を得た。
「つまり『骨の揺り籠』のことを口外しないように、ということですね。それは分かりましたです。貴方がたがどんな境遇か理解しましたので、口に出すことはしませんです」
「うむ」
キージーは重々しく頷いた。その眼光は、先ほどまでの柔らかな調子とは随分変わっていて、どんよりとした暗い光を放っている。
「しかし、信用は出来ないのじゃよ。ゆえに、お前さんがたにはここに留まってもらいたいと思っておる」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『オオカミ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、オオカミに似た種
・『キツネ族』→獣人の一種。読んで字のごとく、キツネに似た種
・『タテガミ族』→獣人の一種。男はタテガミを有し、女性は持たない。獣人たちの中央集落『ルドベキア』はタテガミ族の暮らす地
・『緋色の月』→獣人を中心として形成された組織。人間を滅ぼし、血族と他種族だけになった世界で確固たる地位を築くことが目的とされている。暴力的な手段を厭わず、各種族を取り込んでいる。詳しくは『610.「緋色と灰銀」』『625.「灰銀の黎明」』『626.「血族と獣人」』にて
・『ルドベキア』→獣人の集落のひとつ。もっとも規模が大きい。タテガミ族という種が暮らしている。『緋色の月』はルドベキアの獣人が中心となって組織している。詳しくは『608.「情報には対価を」』『786.「中央集落ルドベキア」』にて
・『王都』→グレキランスのこと。周囲を壁に囲まれた都。詳しくは『第九話「王都グレキランス」』にて




