806.「骨の揺り籠」
枯れ枝を組み上げて作られた円形の高台。その周囲には幾本もの粗い手製の梯子が架けられていて、地上には粗雑な木組みの家屋が身を寄せ合うように建っている。それを囲うように円筒状の崖が、絶壁を晒していた。上は吹き抜けになっているのか、重なり合った靄が光を吸い込んでぼんやりと白のヴェールを垂らしている。
その下――といっても地上からは十メートル以上高い位置に、蜘蛛の巣そっくりに編み上げられた糸がかかっている。靄によく似ているので一見すると気付かないが、それは確かに存在していた。材質までは分からないし、目的も定かではない。
……とまあ、こんな具合に周囲の観察をしてしまったのも、ちゃんと理由がある。
「あぁーん! ごめんよぅ!! もう意地悪しないよぅ!!」
わたしと同じく高台の上で、頭を押さえて蹲る巨大な獣人。彼は一向に泣きやむ気配がなかった。体躯のせいか、声は非常に大きい。近くで聞いているからか、さっきから頭痛が止まらなかった。
「ねえ、いい加減泣きやんで頂戴。ほら、わたしもやり過ぎちゃったから……おあいこってことで……」
「あぁーん!!」
さっきからずっとこの調子だ。わたしがなにを言っても獣人は聞く耳を持たず、泣き続けている。巨大な体躯に不似合いな号泣に戸惑ったわたしは、なんとなしにあたりの様子をチェックしたのである。自分の状況を把握するためというより、どちらかというと助けを求める気持ちが先行していたのは否めない。
この鳥の巣じみた高台には、ハックとジェニー、そしてリリーが昏々と眠っていた。起こそうと揺さぶったり声をかけたりしてみたのだけれど、まったく反応がなかった。けれど、ちゃんと呼吸はあるし身体も温かい。つまり異常に深く寝入っているというわけだ。おそらくは、目の前の巨大な獣人のかけた魔術によって。
高台の下の集落からは、いくつか毛むくじゃらの顔が覗いていた。不安。好奇心。恐怖。苦悶。表情にはいくつかのバリエーションがあったけれど、おおむね臆病な雰囲気をまとっていた。
おそらくここがラップの言った『骨の揺り籠』なのだろう。そして目の前で泣き続ける獣人は、ラップを回収した巨大な影に違いない。わたしたちはいつの間にか魔術にかけられ、ここまで運ばれたわけだ。
「うぇ~ん! やだよぅ! 怖いよぅ!!」
散々わたしを脅かそうとしたくせに……。まあ、今さら恨み言を口にしてもはじまらない。というか、段々この獣人が可哀想に思えてきた。
「大丈夫、大丈夫だから。わたしはあなたを傷付けたりしないわ」
もうとっくにサーベルは鞘に納めてある。それなのに彼は、少しもこちらを見ようとしないのだ。頭を抱えて縮こまったまま、視線を寄越そうともしない。
むう。本格的に困ったな。ぺしぺしと身体を叩いてみても我に返ってくれないし……どうしよう。
「もし、もし」
しゃがれた声。振り返ると、茶色の毛がぼうぼうに伸びた獣人が、ちょうど梯子を登り終えて姿を見せたところだった。彼はよろよろと数歩、こちらに寄る。
声からして随分と老いていたし、立ち姿も老人そのものだ。毛に隠されてよく分からないけど、皮膚もたるんでいる気がする。人間で言うと九十近い年齢かも。
「もし、お前さん」
老人の声は、巨大な号泣に押し潰されそうになりながらも、なんとかわたしの耳まで届いた。
「あなた、この集落の住人よね? 色々と聞きたいことがあるんだけど、とりあえず」巨大な獣人を振り仰ぐ。彼は老人が高台に姿を見せたことにも気付いていないようだ。「あの獣人を泣きやませてほしいんだけど……」
「うあぁーん!! 怖いよぉー!!」
いい加減、頭が割れそうだ。にもかかわらず一向に目を覚ます気配のないわたしの仲間は、やっぱり不可思議な眠りに囚われ続けているのだろう。
「うむ、うむ。そうじゃな」
老人は呟くと、ゆっくりとした歩みで巨大な獣人へと近付いていった。そして、なんとその巨体を登りはじめたのである。それも、かなりしっかりした手付きで。先ほどまでのよろよろした調子はどこにもない。たぶん、足腰だけがひどく弱いのだろう。
だとしても……大丈夫だろうか。この巨躯だと、身じろぎひとつで老人なんて軽々吹き飛ばしてしまいかねない。
ひやひやしながら老人の登攀を見守っていたのだが、彼はさして危なげもなく巨大な獣人の肩を過ぎ、うなじを這い登り、ついには頭に到達した。そして頭に生えた枯れ木を掴み、コンコンとノックする。
「あぁーん!! あ――」
瞬間、ピタリと泣き声がやんだ。巨大な獣人は、きょとんとした様子で目だけをずいっと上向ける。
コンコン、と再び老人は木をノックする。
「だ、誰……?」
「わしじゃよ」
「長老……?」
「そうじゃ。いかにも。この『骨の揺り籠』を治める長老のキージーである」
キージーと名乗った老人はちらとわたしを見て、そう言った。
「長老、どうしてぼくの頭にいるの?」
「お前さんがあんまり泣くもんで、心配になったんじゃよ」
「だって、だって……!」
巨大な獣人の瞳が、またしても潤んでいく。わたしの脅しを思い出して、また怖くなったのだろう。なんとまあ、身体に反して臆病な獣人である。
「落ち着け、リフ。お前さんは根が弱すぎるから、ちょっとしたことですぐ泣いてしまうんじゃ。深呼吸して、よく周りを見よ」
巨大な獣人の名前はリフというらしい。音数が少なく、吐息を伴う二文字。巨人ほどもある身体からは考えられない繊細な名前じゃないか。
リフの視線が、ようやく枯れ枝の上に落ちた。その瞳の中心にわたしが映っている。
「ひぃ」と短い悲鳴を上げて、彼は顔を覆った。些細な動作ではあったが、彼の頭に乗った老人は必死の形相で木にしがみつく。
「こ、これ、リフ! 暴れるでない! 落ちるでないか!」
「あぅ、ご、ごめんなさい長老。ぼくは悪い子だぁ……」
「いいか、リフ。善し悪しなど自分で決めるでない。お前さんはお前さんにしかなれないのだから、そう卑屈になるな。ともかく、もうなにも恐れることはない。お前さんはそのままじっとしておるといい」
「う、うん。長老、ぼくじっとしてるよ。じっとしてれば怖くないかなぁ……?」
「そうだとも。怖くないぞ」
リフが深く息をついた。それがちょっとした風となってわたしの髪を搔き乱していく。彼の吐息は湿った土の臭いがした。雨上がりの森で嗅ぐ、噎せ返るような香り。
ひとまず頭痛の源はなくなった。これでようやく話が出来そうだ。「キージー、って言ったかしら」
老人はわたしに視線を向け、二度短く頷いた。
「分かっておる。お前さんにとっては知りたいことだらけじゃろうて、この状況は」
「そうね、なにがなんだか……」言葉を切って、いまだに眠りのなかにいるハックたちを見回す。「とりあえず、わたしの仲間を起こしてもらっていいかしら? リフの魔術でこうなってるんでしょ?」
自分の名前が出たからか、リフはビクリと肩を震わす。震動が頭にも伝わり、老人がひしと木にしがみついて耐えるのが見えた。
「あ、う、え……と」
リフはきょどきょどと目を泳がせていた。どうすればいいのか分からない、と言わんばかりに。素直に魔術を解除してくれればいいだけなのに、なにを迷う必要があるのだろう。
「すまんのう、旅の方。リフは自分で物事を決められんのじゃ」
「うぅぅ……ごめんなさぁい」
「いいんじゃ、リフよ。お前さんはなにも悪くない。そう気にするな。……さて、魔術を解いてやっておくれ。出来るじゃろう?」
「う、うん!」
じわり、と空中に魔力が溢れた。それははじめリフの身体から放出され、空気中に広がったかと思うとハックたちの身体目がけて帯状に流れ込む。それからわずかに時間を置いて、それぞれの身体から魔力が流れ出し――。
「うぅん……」
寝ぼけ眼のハックと視線が交差する。
わたしはほっと胸を撫でおろし、笑顔を作った。「おはよう、ハック」
発言や単語が不明な部分は以下の項目をご参照下さい。
登場済みの魔術に関しては『幕間.「魔術の記憶~王立図書館~」』にて項目ごとに詳述しております。
なお、地図については第四話の最後(133項目)に載せておりますのでそちらも是非。
・『ジェニー』→『毒食の魔女』の邸にメイドとして住み込む少女。愛嬌たっぷりで天真爛漫。語尾に「にゃ」を付けて喋る。『ケットシー』と呼ばれる獣人の一種。興奮すると耳と尻尾が出てしまう。故郷の村をルドベキアの獣人に滅ぼされている。手引きしたのは友人だったケットシーのクロ。詳しくは『第八話「毒食の魔女」』『600.「或るケットシーの昔話」』『601.「たった二人の生き残り」』参照
・『ハック』→マダムに捕らわれていた少年。他種族混合の組織『灰銀の太陽』のリーダー。中性的な顔立ちで、紅と蒼のオッドアイを持つ。詳しくは『438.「『A』の喧騒」』『453.「去る者、残る者」』『623.「わたしは檻を開けただけ」』にて
・『リリー』→高飛車な笑いが特徴的な、『黒の血族』の少女。自称『高貴なる姫君』。『緋色の月』と関係を築くべく、『灰銀の太陽』をつけ狙っていた。無機物を操作する呪術『陽気な浮遊霊』を使用。夜会卿の愛娘を名乗っていたが実は嘘。彼女の本当の父は夜会卿に反旗を翻し、殺されている。夜会卿の手を逃れるために、彼の支配する街から逃げ出した。詳しくは『616.「高貴なる姫君」』『708.「亡き父と、ささやかな復讐」』にて




