プロローグ
切っ先が目の先を霞める。
風が、ひゅう、と鳴った。
ブロンドの髪が眼前で散って、わたしは思わず後ずさりをしてしまった。彼――ニコルは満面の笑顔を見せている。窓から注ぐ月光に、彼の手元のナイフが煌めいた。
「その髪型のほうが似合ってるよ」
甘ったるい声。余裕たっぷりにゆるんだ口元。一見優男風なルックスの彼は、元勇者である。ひと月前に魔王を倒し、晴れて英雄となった存在。我が国の誇り、救世主、光の化身、とは国王の言葉だ。
自分の髪の具合を指で確かめる。左右に緩やかに流していた前髪は、見事なまでに眉の辺りでばっさりやられていた。
眉間に皺でも寄っていたのだろう。彼はわたしを見てアハハと笑う。乙女の髪を断りなく切って高笑いとは。
短剣を構え直し、歯を食いしばって彼へと突進した。
ナイフと短剣がぶつかり合う。鋭い金属音と火花が絶え間なく散った。身体が悲鳴を上げているのを無視して、自分の出せる最高速度で剣を振るう。袈裟切り、逆袈裟、左右に薙いでは切り上げる。
わたしの刃を、彼はナイフで受け流す。絶妙に力を逃がして、まるでわざと逆上させようとしているみたいだった。斬撃の合間に緩急をつけた刺突を繰り出しても、わけなくナイフで止める。
自分が小さな子供に思えて仕方なかった。いや、大人と子供以上に力の差があるだろう。月並みだが、象と蟻、いや、クジラとミジンコくらいの実力差だろうか。あるいは、月とスッポン?
油断したわたしを、彼は容赦なく襲った。銀に輝くナイフの残光がわたしの首をひと回りする。彼も刃と同じくらいのスピードで動いたのだろうけど、全く分からなかった。こちらの斬撃がスローに思えてしまうくらいの速さ。
はじめ、切られたことさえ理解できなかった。彼のマントが翻り、あとは残光と突風が首元を駆けたのだ。
「うん、やっぱりその前髪にはショートが一番だ。前髪ぱっつんショートヘア。内向きの癖っ毛。最高だね」
ぶつん、と頭で血管が弾けるような随分可愛くない音がした。絶対に許さない。
散る髪とわたしの斬撃が、つむじ風のごとく滅茶苦茶に混ざり合っていた。耳には風の呻りと、耳をつんざくような金属音。それをチンケなナイフで受ける彼の余裕は、確かに、魔王を葬り去るほどの力があるだろう。
昔から武術に秀でていたのは知っている。だって、幼馴染なのだから。けれど今は立場が違う。わたしたちは一週間前に、夫婦になったばかりなのだ。
幸せいっぱいのはずのわたしたちが、どうしてこんなことになっているのか。
そもそもこの一幕はなんなのか。
夫婦喧嘩? いいえ、殺し合いです。
【改稿】
・2017/11/05 口調及び地の文の調整。ルビの追加。
・2017/12/21 口調及び地の文の調整。ルビの追加。